9・5 誘拐
目が覚めると身体は縄でぐるぐる巻きに縛られ、倉庫のようなところに転がされていた。
狭くて汚くて、沢山の大きな木箱が置いてあるせいで、視界が悪い。いかにもガラの悪い男たちが数人。無造作に床に放り出されている何本かの剣。
私の近くにある木箱にはさっきの男たちふたりが腰かけて、お酒を飲んでいた。
これは絶対に、良くない状況だ……。
「おう、目が覚めたか」と男。
「地獄の入り口にようこそ」と、もう一人が笑う。
どういうことだろう。
身体がガタガタと震えている。
口に猿ぐつわをされていなかったら、きっと叫んでいる。
「おうおう、震えてんのか。可哀想になあ。恨むならお前のオヤジと妹を恨めよ」
「そうそう、あのろくでなし、俺たちより悪党だ」
「金を借りるだけ借りて、夜逃げしやがった」
「しかも担保にした宝石が全部偽物。貴族のくせに、ありえねえよ」
なにそれ。
お父様、ひどすぎる。隣国へ行く資金がなくて借りたということ? 偽物の宝石で騙して?
そんなの詐欺だ。
「まっとうな商売のやつらは、裁判所に行けば保証が受けられるらしいんだが、俺たちはなあ」
男たちが笑いあう。
「ま、あんたを手に入れたから、ラッキーだよ。待ってな、もうすぐ迎えがくるから」
迎え?
「非合法売春宿の旦那だよ」男がにやにやと笑う。「悪いな、そこが一番高く買ってくれるんだよ」
「元貴族の美人令嬢は、掘り出し物だ。きっと大事にしてくれるさ」
「非合法っつっても、顧客にゃ貴族もいるから、うまくすれば身請けしてもらえるかもよ。せいぜい励みな」
それって……。
あまり考えたくない。
本当に地獄だ。
どうしよう。どうにか逃げ出さないと。
リシャール様たちだって、私がこんなところに捕まっているなんて思いもしないはずだ。助けは来ない。自分でなんとかするしかない。震えている場合ではないのよ。
だけど身動きすることもできないのに、どうやって?
見えるところに窓がひとつあるけど、あそこまで行けるだろうか。行けたとしても、小さすぎて通り抜けられないかもしれない。
でも出入口はきっと、男たちの向こうだ。木箱で見えないけど、多分そう。
「ていうかさあ」と別の男が声を上げた。「やっちゃっててよくねえか? ヴィルジニー・カヴェニャックってずいぶんな男好きだったんだろ? こいつもきっとそうだよ」
「だよなあ。実際がどうであれ、あの旦那は絶対、処女じゃないって主張して買い叩くぞ」
「そうかもな」男がニヤリとする。「どうせ元金の回収はできねえんだ。楽しんでもいいか」
そう言って彼は木箱から飛び降りて、私のほうへ歩いてきた。もうひとりも。
どうしよう!
ぐるぐる巻きの私にできることなんて、頭突きしかない……。
そうだ、こういうときこそ冷静になるのよ、キャロライン殿下が言っていたじゃない。
慌てず、落ち着いて、状況を見極めて。
焦る気持ちを必死に落ち着ける。キャロライン殿下が自分を守る術を色々と教えてくれた。なにかあるはずだ。
……そうだ、思い出した、男の人の急所を蹴ればいいのだわ!
ここにいる全員の……?
うまくできるだろうか。
でも、やらないと。
リシャール様と一緒にクラルティ邸に帰るのだから!
男に足で蹴られて転がされる。
お、落ち着いて、冷静になって……
リシャール様に会いたければ、自分で逃げ出さないとダメなのだ。
でも、ムリかもしれない……
涙がにじんだそのとき、バタン!と激しい音が響いた。
男が動きを止めて、振り返る。
「なんだてめえ!」
「ふざけんな!」
叫び声と物騒な物音がする。ふたりの男が剣を手にして、そちらに向かって走って行く。
木箱の陰から剣を持った男が走り出てきた。
ランスだわ!
その後ろからリシャール様が。男が剣を振りかざす。
『逃げて!』
叫ぶけれど声にならない。
だけれどリシャール様は振り降ろされた剣を、杖で受け止めた。よろけたけれど、なんとか姿勢を保っている。そして相手を跳ね返すと、その首筋に杖を叩き込む。
でも背後から別の男が――
と、その男がくずおれる。
リシャール様の背後に、剣を構えた憲兵がいた。
ああ!
よかった!
リシャール様!
リシャール様が足を引きずりながらも、駆け寄ってくる。
「ヴィオレッタ!」
杖を投げ出し、私のそばにひざまずく。ランスもやって来て、剣で縄を切ってくれた。
「すまない! 目を離したせいで!」
リシャール様が私を抱き寄せた。ぎゅっと力がこめられる。
――ああ、もう大丈夫なんだ。
リシャール様が助けてくれた。
そう安心したら、気力が途切れてしまった。
◇◇
リシャール様の腕の中で、赤ん坊のように泣いてしまった。
恥ずかしくてしかたない。まずははぐれてしまったことを謝らなければいけなかったのに。だけど彼は頑固なほどに、謝らせてくれなかった。
今回、不幸中の幸いだったのは、私が男に連れて行かれるのを見ていた人がいたこと、リシャール様が偶然その人に話しかけたことだった。それもまだ早い段階だったので、目撃者を辿ってあの倉庫まで来れたそうだ。
イレーネが憲兵を呼びに行き、その到着を待ちながら中の様子を伺っていたら、私が大変な状況になってしまったという。それで、リシャール様がランスの制止を振り切って、飛び込んだらしい。彼が持っていたのは杖ではなくて、道中のパン屋から借りた火かき棒だった。
リシャール様は、以前はとても剣術が得意だったそうだ。
だけど彼が無事だったのは、たまたま幸運だっただけ。
私は申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、リシャール様は友達として当然のことをしただけだと譲らなかった。
優しすぎないかしら。
ただ。私を見失った彼は、すぐにキャロライン殿下に出動要請をしたみたい。おかげで近衛騎士隊まで出てきてしまって、大事になってしまった。
ありがたいことだけど。私なんてただの、元貴族令嬢にすぎない。
リシャール様が危険な目にあってまで助けなければならないほどの、人間ではないのよ……。




