9・1 セドリックの婚約者
キャロライン殿下がサロンに戻ってくるなり、良い笑顔で
「わかったぞ、ヴィオレッタ」と言ってくれた。
「まあ! ありがとうございます」
私の処罰が確定したあと、キャロライン殿下がカヴェニャック邸の使用人たちについて、調べに行ってくれたのだ。
私のとなりにすわると彼女は、にっこりする。
「安心するがいい。捕らえられた者はいない」
「よかった!」
お父様たちのせいで逮捕されていたらどうしようと、心配だったのだ。
「ただ、酷い目にはあったようだ。カヴェニャックが夜逃げをしたときに、使用人たち全員を地下の食料品貯蔵庫に閉じ込めたらしくてな。幸い憲兵が翌日に発見したからみな無事だったが、そうでなければ悲惨な状況になっていただろう」
「なんてことを……」
もし発見されるのが遅かったらと考えると、身体がぶるりとふるえた。
「カヴェニャックはすぐに見つかるよう、手筈は整えていたと主張しているようだがな」
「そんなものは殺人未遂として扱うべきだよ」ジスモンド様が珍しく、鋭い口調で言う。
そのとおりだ。いくら身内でも、弁護できない非道さだもの。
「使用人たちは」とキャロライン殿下が続ける。「入れ替わりについて、ヴィオレッタは完全な被害者だと憲兵に訴えていたらしい。だが所詮使用人の言だからと無視されたようだ」
「仕方ないね」とジスモンド様。「それが貴族たちの常識だ」
キャロライン殿下がうなずく。
「ヴィオレッタ」と向かいからリシャール様が私を呼んだ。「お父上は国外に出れば自由の身だ。君は一緒に行くこともできる」
本当だ。ちっとも考えていなかった。
「私はそうすべきではないと思う」とリシャール様。優しいまなざしをしている。「だが決めるのは君だ。どうしたい?」
答えは考えるまでもなかった。
「父と妹を嫌いにはなれませんが、理解をすることもできません」お金を踏み倒したり、長年仕えてくれた使用人たちを監禁したり。「クラルティ邸でお世話になりたいです。いつか必ず恩は返しますから」
「そんなものは必要ない。私がそうしたいのだからね」
「あのさあ」と、突然セドリック殿下が割り込んできた。
「なんでしょうか」
「黙れ、セドリック!」鋭く、キャロライン殿下が制する。
なんなのかしら。
「いやだって」
「邪魔をするな」
「大人は口を挟まないものです」
ジスモンド様まで加わって、三人でやいやい言い出した。
本当になんなのかしら。リシャール様も首をかしげている。
と、サロンの入り口に立っていた近衛騎士が、慌てた様子を見せた。なんだろう、と思う間もなく美しい令嬢が入って来る。まるで女神のような美しさだけど、ひどく怒っているみたいだ。
「おや、マグダレーナ嬢」彼女に気づいたキャロライン殿下が、そう名前を呼んだ。
どこかで聞いたことがあるような。
マグダレーナと呼ばれた令嬢がセドリックの前で立ち止まる。そして――
彼女は盛大に王子の頬を平手打ちした。
バチーン!!とすさまじい音が室内に響き渡る。
そうだ、マグダレーナはセドリック殿下の婚約者の名前だわ。
「どこまで王族としての自覚がないのかしら! 出奔だなんて、考え無しもいいところ。どれほどの迷惑を周囲にかけたのかわかっているの? 婚約者として恥ずかしいわ!」
令嬢が責め立てる。
「俺を好きになっただけで死を宣告されるのは、おかしいだろうが」対して、セドリック殿下は冷静だった。
「もしそれが正しいならば、俺も同じ罰を受けなくてはならないはずだ。なのに不公平な処罰がくだったんだ、王子の前にひとりの人間として助けるべきだ」
令嬢が怯んだ。
「恋人を見捨ててへらへら笑っているような人間が、王族として民の上に立っていいのか? 俺はそう思えない」
「でも……!」
令嬢が口を開きかけたところに、ジスモンド様がそっと寄り添い、ごく自然に手を取った。
「おふたりとも、そこまでにしましょう。そもそもの前提がおかしいのです。納得できない婚約と」ジスモンド様はセドリック殿下を見た。「婚約を無視した恋愛。それに」と彼は笑みを浮かべで再び令嬢に顔を向けた。「ウンケル公爵令嬢はセドリック殿下をご心配なさっていたのですよね」
令嬢の顔が真っ赤になった。
「違います!」
「そうでしたか。失礼しました」
この流れからして、彼女は間違いなくセドリック殿下の婚約者だわ。つまり、ヴィルジニーがとてつもなく失礼なことをした相手。
「あの」勇気を奮い声を掛け立ち上がった。
令嬢が私を見て、眉をひそめた。
「お初にお目にかかります。ヴィオレッタ・カヴェニャックです。妹が多大なご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「……マグダレーナ・ウンケルです」彼女は全員の顔を見渡し、最後にキャロライン殿下のもとで止まった。美しい所作でカーテシーをする。「ご挨拶もせず、失礼しました」
「あなたらしくないな」と言うキャロライン殿下。微笑んでいる。「だが今回は見逃そう。悪いのはセドリックだ」
『ありがとうございます』と答えたマグダレーナ様は再び私を見た。
「その顔を見るのは不愉快ですけど、謝罪は受けました。あなたが妹のような非常識な人間ではないことを願っています」
「ご寛容に感謝いたします」と、答えつつ。
もしかしてこの方はとても良い方なのじゃないかしら?
今日の野次馬たちは、私を非難することしか言わなかったというのに、彼女は私を許している。
「ウンケル公爵令嬢」と、またもジスモンド様が彼女の手を取る。「早く冷やさないと美しい手が腫れてしまいますよ」
あ、さっきから彼が彼女の手に触れているのは、そういうことだったのか。
ジスモンド様に『さあ、行きましょう』と促され、マグダレーナ様はセドリック殿下以外に挨拶をして、サロンを出て行った。
ふたりの姿が見えなくなると、
「俺が悪いのか?」とセドリック殿下が不満げな声をあげた。
「当然だろう」とキャロライン殿下が答える。「お前の言い分はわかる。だが、みな、次に見るお前の姿は骸かもしれぬと戦々恐々していたのだぞ」
「マグダレーナが俺を心配するか?」
「ただ怒っているだけならば、わざわざ会いになんて来ない。お前の顔を見て安心したかったんだ。彼女に心配をかけたことはきちんと謝れ」
「……わかった」ぼそりと答えるセドリック殿下。
素直だ。
「しかし」とキャロライン殿下が苦笑する。「あの人たらしは、さりげなく女性に触れるな。このぶんならマグダレーナも落とすかもしれないぞ」彼女はリシャール様に顔を向けた。「公爵も愛想ぐらいは叔父を見習ったらどうだ」
「なぜです」
「しばらくは都に滞在するのだろう? 後見人であるあなたの印象が悪くなると、ヴィオレッタの夫選びが難航するからだ」
「それはそうだ」とセドリック殿下が賛同し、リシャール様は考え込んだ。
「リシャール様。ご無理はなさらないでください。結婚でなくてもいいのです。私が自立できるお力をお貸しいただければ。いえ、むしろそのほうが――」
リシャール様が私を見た。
「そうだな。君の希望を第一に考えよう」
その優しい笑顔にほっとする。
そして深く考えずに言葉にしたことで、気がついた。
リシャール様が結婚まで面倒を見るといってくれたから、それしか頭になかったけれど。私自身は結婚をしたいなんて、これっぽっちも思っていないのだ。
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