7・〔幕間〕公爵閣下は困惑する
ヴィオレッタの部屋から出ると、ちょうど廊下をやってきた叔父上と鉢合わせた。キャロライン殿下の部屋にいたのだろう。彼が来た方向には彼女の部屋しかない。
「ヴィオレッタはどうだい」と叔父上。「だいぶショックを受けていたようだ」
「ええ。予想外に早く家族が捕まって、気持ちの整理が追いついていないといったところです。でも大丈夫、彼女は強いですよ。混乱していることを自覚して、平静を保とうとしています」
「無理することはない」
「そのとおりです。ただ、家族からひどい扱いを受けることを甘受してきたのは、彼女に引け目があるからかもしれません。なんとも気の毒ですよ」
「――そうか」
叔父上に促されて、私の客室に入る。控えていたランスがお茶を用意してくれようとしたが、叔父上は『もうお腹いっぱいだよ』と笑った。どうやら殿下にたくさんご馳走になったようだ。
「しかしリシャールはずいぶんと女心――というかヴィオレッタの気持ちがわかるようになったな。えらい進歩だ」
「彼女はちゃんと口に出して教えてくれます」
「お前にはね。僕には話さないよ」
「そうですか?」
ああ、と叔父上が頷く。
そうか。私だけか。
「リシャール。信頼されているな」
「趣味が合うというのはいいですね」
最初の妻、ハンナローラとの付き合いは長かった。両親同士の交流があったから婚約前から彼女とは顔見知りで、付き合いは十年を越える。けれど会話が弾んだ記憶はない。
二人目の妻は結婚前に会ったのは一度だけ、三人目は無し。正直なところ、顔すらもよく覚えていない。
「だから、私のことを話しました」
「どこまで?」と叔父上。
「……半分といったところです。王宮へ着いたら彼女の耳に入るだろうことだけを。私の口から伝えたほうがいいだろうと思いましたから」
「そうだが」
叔父上が笑みを深くした。
「お前が自ら打ち明けるのは、初めてじゃないか?」
「話す相手なんていませんでしたからね」
実母は庶民のメイド。
義理の母親を自殺させた子供。
私はいつだって、そう後ろ指をさされる。だから、他人と交流なんてしたいと思ったことはない。友人なんていなくても、私には叔父上がいる。社交界になんて出なくても、領地経営には差支えない。ずっと、そう考えてきた。
「そうですね。叔父上が友人はいいものだと言っていた意味が、二十八にもなってようやくわかりましたよ」
「それはよかった」と言った叔父上は、なぜか壁際に控えているランスを見て首をすくめた。
「なにか変なことを言いましたか?」
「いいや、なにも。まずは陛下との対決を乗り切って、そうしたらクラルティ邸でみんなで楽しく暮らそう」
「叔父上もいてくれるのですか」
「しばらくはね。心配だから」
「心強いです」
ヴィオレッタとうまく友人関係を築けているとは思う。だがそう思っているのは私だけかもしれない。叔父上がいてくれれば、いつでも彼女のことを相談できる。
「まあ、もしかすれば、ヴィオレッタがクラルティ邸に戻ることはないかもしれないな。そのときは私も帰らないよ。隣国の恋人が会いに来てくれとうるさくてね」
「戻らないことなんてありませんよ。彼女はキャロライン殿下の侍女になるより、私の屋敷のほうがいいと言っています」
「違うよ」
叔父上はそう言って、出来の悪い子供を諭すような顔をした。
「ヴィオレッタは美しい。しかもヴィルジニーと違って性格もいい。都にいる間に、すんなりと結婚相手がみつかるかもしれないだろう?」
「……そう、ですね」
それは考えていなかった。確かにそうだ。父親の件は著しいマイナス要素だが、キャロライン殿下の後見はそれを補えるだろう。
「そうですね、確かに。都で探せば、私も本人を見て判断できますしね。いいことなのかもしれません」
だけど、それでは屋敷に帰って、本の話をすることができなくなってしまう……。
彼女の控えめで柔らかな笑顔が脳裏に浮かぶ。けれど書物の話題になると一変し、目を輝かせながら積極的かつ多弁になる。本当に好きなのだ、とわかるほどに。
彼女と話せなくなるのは、残念だ。
「どうなるかはわからないけどね」叔父上の声に、目を上げる。「ヴィオレッタはお前に遠慮して、多少おかしな相手でも結婚を承諾するかもしれない。お前がよく見極めてやるといい」
「叔父上がそうしてくれるのではないのですか」
「助言はする。だがリシャールが納得した相手を選びなさい」
「わかりました」
叔父上を頼るつもりだったのだが、確かにそれは無責任が過ぎるか。
ふと、ランスと目が合った。なぜだか心配そうな表情をしている。そこで、キャロライン殿下に呼び出される前に彼が告げたことを思い出した。
「――そういえば、叔父上はキャロライン殿下となんのお話を? ランスが見かけたのは王宮からの使者ではなく憲兵だったそうなのですが」控えている彼がうなずく。憲兵の制服は国内で統一されているから見間違うこともない。「まさか——」
「ああ、そうだ」と叔父上はうなずいた。「彼らはクラルティ邸にヴィオレッタを捕らえに行くところだった。彼女の逮捕命令が出ている。キャロライン殿下がなんとか引き下がらせてくれたようだ」
「ありえない! なにひとつ事情を知らないくせに!」
「王命に背いたのは事実だからな」
だとしても、だ。
ふつふつと怒りが沸いてくる。そもそも国王が私に嫁がせるなんて中途半端なことをしたのが悪いのだ。ヴィルジニー・カヴェニャックにきちんと罰をくだせば、ヴィオレッタが窮地に陥ることはなかった。
だがそれだと私は彼女に出会えなかったし、彼女は今ごろ四十も年が離れた男の妻になっていたわけだ。
「リシャール」と叔父上。「あとで殿下によく礼をいってくれ。近衛と憲兵は仲が悪い。今回殿下は借りをつくった形だ」
「わかりました」
「無論のこと、彼女自身がヴィオレッタを気に入っているから、というのもあるがね。セドリック殿下と、お前のためを考えてのことでもあるんだよ。豪快なようで、配慮の行き届いた方だからね」
わかりましたと答えてから、気になった。前にも一度、確認はしたのだが。
「叔父上。殿下とは本当になにもないのですか」
彼は自分からは話さないが、口さがない者が言うには、相当な数の恋人がいるという。キャロライン殿下との親密さを見ていると、もしや、と思ってしまうのだ。
「王女に手を出すほど、僕は無謀ではないよ」
「文句をつけようというのではありませんよ」
むしろその逆だ。叔父上に決まった相手ができたなら。これほど嬉しいことは他にない。
彼の相手は誰でも構わない——とは思わない。
叔父上を幸せにしてくれる女性がいい。そのためならばいくらでもバックアップはする。私にできるのは、金を出すことぐらいだが、叔父上のためならば、全財産使ったって構わないのだ。




