7・1 出発
王都へ出発するまでの一週間は、あっという間に過ぎてしまった。なぜなら忙しかったから。
ジスモンド様、セドリック殿下、キャロライン殿下に誘われて、お茶をしたり散策をしたり。堀で舟遊びまでした。
リシャール様が必死に仕事をしているのに遊んでいるのが申し訳なかったけれど、彼は、
『ヴィオレッタにはクラルティ邸で良い思い出をつくってほしい』
と言って、遊ぶことを勧めてくれた。どこまで優しいのだろう。しかも『ソフラテフはかく語りき』を私にくれると言った。出発までに読み終えなくてもいいように、と。
そのとき私はとても迷った。
『ソフラテフ』をいただくかどうかではなく、自分の気持ちを伝えるかどうかを。だけど思いきって、
「読み終えることができなかったら、続きはクラルティ邸に戻ってから読みたいです」と、伝えた。
すごく図々しいお願いだと思う。私にとっての最善がリシャール様にとっての最善かは、わからない。彼の優しさに甘えてはいけない、とも思う。だって私たちは、たまたま出会っただけの縁もゆかりもない間柄だもの。
でも、私がそう伝えたら、リシャール様は柔らかな笑みを浮かべて、
『ではそうしよう』と答えてくれたのだった。
その日から彼が仕事を終えたあと、夜の遅い時間に、ふたりで本について意見交換する時間を持つようになった。
私は、リシャール様は忙しいのだから負担になるのではと心配した。けれど彼は、だからこそ気分転換をしたいという。
時間はお茶を一杯飲み終える程度の短いもので、正直言えば私は全然物足りなかった。それでも、とても楽しく幸せな時間だった。
◇◇
エントランス前には、馬車が三台(クラルティ邸のもの二台とキャロラインが乗ってきたもの)と騎馬した十二人の近衛騎士が待機している。クラルティから出立するのは、リシャール様、私、ジスモンド様、イレーネ、ランスの五人。
私がこちらへ来たときの状況とは雲泥の差だ。あのときは御者と護衛以外には誰もいなかった。しかも彼らはお父様に禁じられていたようで、必要事項以外は口をきいてくれなかった。
今回の私には、守ってくれるリシャール様や、身の回りを世話してくれるイレーネがいる。
こんなに大切にしてもらっているのだもの。リシャール様のためにも、お父様とヴィルジニーのことを国王に告発してもいいわよね?
私はまたも、家族を死なせてしまうかもしれない。けれどお父様たちとリシャール様、どちらかを助けるならリシャール様を、と思ってしまう。
――天国のお母様は、がっかりしてしまうだろうか。
「予定外に長居をしてしまったが、なかなかに良い屋敷だった」
よく通る快活な声に考えることをやめ、発言主のキャロライン殿下を見た。彼女は執事長に滞在の感想を伝えている。
キャロライン殿下が先に帰らなかったのは、弟の監視だけが理由ではなかった。リシャール様の三人の奥様の事故死について、調査をしたかったみたいだ。そのことを隠しもせずに調べまわっていたけど、成果はなかったらしい。
私はほっとしたような、肩透かしをくらったような複雑な気分だった。たぶん、リシャール様―—できたらジスモンド様も―—以外に、殺人犯がみつかればいいと思っていたのだ。
そうすれば彼の身の潔白が証明されるうえに、心置きなく新しい結婚ができるのだから。
「そもそも」と笑いを含んだキャロライン殿下の声。「セドリックがクラルティ邸にたどり着けるとは考えていなかったからな」
「姉上! またその話!」
「だってセドリックだぞ? 出発翌日には、どこぞで死体になりかけていると思うではないか」
キャロライン殿下がそう言うと、静かに控えている近衛騎士たちがみんな頷いた。
「酷い。俺だって、やればできるんだ」とセドリック殿下が不満げな表情になる。
「半死半生のお前を探しながらの追跡とはいえなあ」と笑っているキャロライン殿下。
「つまりキャロライン殿下は」とジスモンド様が口を挟む。「あなたを『見上げたものだ』と褒めていらっしゃるのですよ」
「そうか!」と嬉しそうなセドリック殿下。
「ジスモンド、余計なことを教えるな」と文句を言いつつも笑顔のキャロライン殿下。
仲良しだわ。
「だからといって、夜中に女性の寝室に忍び込むのは、いかがなものかと思いますがね」とリシャール様がちくり。
私は大きくうなずいた。
「それはそのとおりだな」とキャロライン殿下が弟を見る。「ジスモンドがいなければ、お前は公爵邸に忍びこんだ不審者かつ暴漢として、殺されていたかもしれない。幸運に感謝するように」
本当にそうだわ。リシャール様も私も、もちろん使用人たちも、第二王子の顔なんて知らなかったのだから。
「さあ、出発しましょう」とリシャール様が私を見た。「おいでヴィオレッタ。私たちの馬車は真ん中だ」
「はい」
先頭はキャロライン殿下の馬車で、最後尾はイレーネとランス、それから五人分の荷物用の馬車だ。
「なにを言う。ヴィオレッタは私と一緒だ」
ぐい、とキャロライン殿下に腕をひかれた。
にこりとする王女様。
「公爵とジスモンドも、一緒がよければ乗っていいぞ」
「まったくワガママなのですから」と苦笑するジスモンド様。
セドリック殿下は、
「姉上に完全に気に入られたな」と同情的な目を私に向けた。
そしてリシャール様は。
おもしろくなさそうな表情をしてため息をつき、
「……ではお邪魔させていただきます」と言った。
「ありがとうございます」
咄嗟に、お礼の言葉が口をついた。彼は自分の馬車を選ぶと思ったから。
「道中で、本の話をしようと約束をしたでしょう」とリシャール様が、私には笑顔を見せる。
「はい」
「リシャール」とジスモンド様。「エスコートだよ」
彼を見ると、すでにキャロライン殿下の手を取っている。ふたりはそのまま馬車に向かう。
「私、初エスコートです」
「それは光栄だな」とリシャール様が手を差し出してくれた。
ドキドキしながらそっと手を重ねると、ほのかに温かかった。




