6・〔幕間〕公爵閣下は消沈する
廊下を戻る。仕事を投げ出して、外に行ってしまった。早く執務室に帰って、続きをやらねばならない。先日起きたトラブルのせいで立て込んでいるのだ。
余裕があれば私も叔父上たちに交ざるのだが。とはいっても――
動きの悪い右足を見る。
この足では剣術はできない。以前はそれなりの腕前だったというのに。
ヴィオレッタに、あの頃の私を見せることができたなら――。
いや。見せたからどうだというのだ。
「気にすることはない」
となりを歩くランスの声に、彼を見た。
「王女殿下はリシャールのことを何も知らない。貶めたいだけだ」
うつむき、また足を見る。
ヴィオレッタの身の振り方を話していたとき、最後にキャロライン殿下が言ったのだ。
『クラルティは、女性が三人も変死した屋敷だ』と。
それは事実だ。間違いない。
そして、私はヴィオレッタが私の妻にならなければ、この変死事件に連なることはないと考えているが、その確証はないのだ。むしろこの仮定は私の願望に過ぎないのかもしれない。母が他界して以降私が結婚するまでの間、屋敷に使用人以外の女性がいたことがないのだから、真実はわからないのだ。
「王女殿下は愛想よくしてはいるが、心の中ではリシャールを疑っている」
「それが世間一般の私への評価なんだ」と自分に言い聞かせるように返す。
「滞在させてやるというのに、失礼極まりない」
ランスはキャロライン殿下に腹を立てているらしい。
だが彼女は王族で、叔父とも親しい。無下にはできない。それにヴィオレッタを気に入ったのは良いことだ。いずれ陛下と相対するときに、味方になってくれるだろう。
そう説明するとランスは嘆息した。
「本心じゃないくせに。彼女が気に食わないのだろう? ヴィオレッタ嬢を侍女にだなんて言い出したから」
ランスを見る。
「――王宮では好奇の目にさらされる」
「だが王女殿下の後ろ盾は大きい」
そのとおりだ。国王の命に背いたカヴェニャック伯爵は、重罰を免れ得ない。ヴィオレッタが被害者として認められたとしても、立場は微妙なものになるだろう。『死神公爵』と揶揄される私より王女のほうが、彼女を守ることができる。
「だが王女殿下は噂を信じ、リシャールに不審を抱く程度の人間だ。ヴィオレッタ嬢を託すに問題ない相手とは思えない」
「そうだ。それだ」
足を止めてランスを見た。侍女の提案を聞いてから、ずっともやもやを感じていた。それを彼がうまく言語化してくれた。
さすが、乳兄弟で誰より私をよく知るランスだ。
だが彼は、浮かない顔をしている。
「なあ、リシャール。俺はお前にこれ以上、傷ついてもらいたくない」
目を伏せる。私だって、嫌な思いをしたくてしている訳ではないのだ。
「だというのに」とランス。「お前は人が良すぎる。頼むからもう少し、用心深くなってくれ。三人の奥様方は事故ではないかもしれない。わかっているだろう?」
ランスを見て、そうだな、とだけ答えてふたたび歩き始めた。
彼は叔父上を疑っている。昔はとても懐いて信頼していたのに、それを全て忘れたようだ。いくら私が取りなしても聞き入れない。私を案ずるがゆえのことだから咎めるつもりはないが、悲しくはある。
私には、友人といえるのがランスと叔父上しかいないのだから。
ふと、ヴィオレッタの顔が浮かんだ。
彼女は友人ではない。偶然知り合っただけの、他人だ。
けれどヴィオレッタと書物の話をするのは楽しい。
もしかして彼女をクラルティ邸に引き取る、というのは私のワガママな願望から考えついたことなのだろうか。




