6・3 剣術体験
キャロライン殿下と一緒に庭に出ると、ジスモンド様とセドリック殿下、それからひとりの近衛騎士が待っていた。
「なかなか似合っているね」
とジスモンド様は私を見て目尻を下げたけど、セドリック殿下は口を押さえて笑うのをこらえている。
わかっている、似合わないのよね?
『剣をやるなら、動きやすい格好で』と言って、キャロライン殿下は自分のブラウスとズボン、それから手袋を貸してくれた。けれど、それぞれ袖と裾が長すぎて折り返している。自分の姿を鏡で見たときは、兄の服を勝手に着た少年にしか見えなかった。
だけどズボンを履くのは生まれて初めて。似合っていなくても、楽しい。
キャロライン殿下が近衛騎士に、剣を構えるよう頼む。
「あれが見本だ。ヴィオレッタ、真似をしてみなさい」
「いきなりそんなことをやらせるのかい。せめて剣は模造刀を――」とジスモンド様が早口で割り込んできた。
「ヴィオレッタは『入門』を読んだから、試したいだけなんだぞ。な?」
キャロライン殿下が私を見る。いたずらげな表情をしているわ。
はい、とうなずくと、彼女はますます楽しそうな顔になった。
「本気の訓練ではないのだから――」
「近衛騎士の剣を無理やり取り上げ、振り回したあげくに怪我をした姫君が言うセリフですかね」
ジスモンド様がそう言ったとたんに、キャロライン殿下が顔を赤くした。
「そんな十七年も前のことをよく覚えているな!」
どうやらキャロライン殿下のことらしい。やっぱりこのふたりは仲良しみたいだ。しかも古い付き合い。
「ジスモンドは一時期、近衛騎士見習いをしていたらしい」
そう教えてくれたのは、セドリック殿下だった。
「すぐにクビになったんだけどね」とジスモンド様が私を見て笑顔で言う。
「令嬢を巡って、伯爵令息と揉めたからな」キャロライン殿下がため息混じりにつけ加えた。「『腕はよかったのに』と団長が嘆いていたよ」
「殿下こそ、よく覚えていらっしゃる。まだ六つかそこいらだったでしょう?」
「バカモノ、八歳だ!」
キャロライン殿下は憤慨しながらも私に『足を開いて』『腰を落として』と指導を始めた。お手本を見ながら、言われたとおりにする。
「恥ずかしがらないで、もっと大股! でないとバランスが悪いっ! ああ、違う、もっとこう!」
私の後ろに回ったキャロライン殿下が、腰をガシリと掴み下に向けて引っ張る。彼女の足が股の間に差し込まれ、私の足を押して位置を変える。
「ヴィオレッタ、大丈夫かい?」とジスモンド様が気の毒そうな目を向けてきた。
「外野は黙れ」とキャロライン殿下。「きちんと加減している」
「力でなくて羞恥だよ」
「大丈夫です!」
下半身の位置が決まるとキャロライン殿下は位置はそのままに、私に抜き身の剣を構えさせた。
「重いです!」
「私の剣だ。そこの筋肉ダルマのより、だいぶ軽いのだぞ」
キャロライン殿下がそう言って、背後から私の手の上から剣をしっかり握る。
「しっかり持てよ。離したら怪我をするからな。――ロイド、軽く剣を合わせてくれ」
ロイドと呼ばれた近衛騎士が、剣を軽く振った。甲高い金属音がして、振動が手に伝わる。
「軽くでこれですか!?」
「そうだ。ヴィオレッタの言うとおり、実際にやってみないと、わからないことだな」
キャロライン殿下は機嫌良く言うと、
「実感したところで、動きに入ろう。それとももう満足したか?」と尋ねた。
「いいえ、まだやりたいです」
「そうか、そうか。ならば『入門書』順にやるぞ」
なぜだかますますご機嫌になったキャロライン殿下が、ふたたび構えの姿勢を教えてくれる。
教えてもらえるうちに、たくさん学んでおかなくては。この先、私がどうなるのかはまったくわからないのだから。
◇◇
「いったいなにをしているんだ!」
キャロライン殿下に言われたとおりに剣を構えていたら、そんな叫び声が聞こえた。振り返ると額に汗を浮かべたリシャール様が、従者のランスを連れて早足でこちらに歩いてくるのが見えた。
向かい合って稽古をしていたジスモンド様とセドリック殿下も剣をおろす。
「見てのとおり剣術だ」とキャロライン殿下が答える。
「なぜ!」とリシャール様はまた叫び、私を見た。「ヴィオレッタ、無理をすることはない。君のことは、考えてある。カヴェニャック家が取り潰しにあっても、私が後見人になる。騎士だなんて今からではとてもではないが、間に合わないぞ」
リシャール様は真剣そのもの。紫色の瞳には心配そうな色が浮かび、前髪は汗で額に張り付いている。また、私を案じてくれたらしい。
「『騎士による騎士のための剣術入門』を実地で教えてもらっていたのです」
「ん?」リシャール様がまばたく。
「本を読んだだけでは理解できなかったので。騎士になろうだなんて、考えていません。そんな体力も腕力もありませんもの」
リシャール様はまたまばたいた。それから顔が赤くなる。
「私の早とちりか」
「誤解が生じないよう、お伝えするべきでした。すみません」
「てっきり手に職をつけようと、おかしな方向に舵を切ったのかと思った」
「そうしたくはありますが」
リシャール様を見つめる。恥ずかしそうに頬をかいている。このひとはさっき――
「リシャール様が私の後見人になってくださるのですか」
「陛下は反対されるだろうがな。絶対に承諾させる。君のことはうちに引き取って、まともな結婚相手との縁談がまとまるまで、面倒を見るつもりだ。『迷惑をかける』とは言うな」
開きかけていた口を閉じる。今まさに、言おうとしていた。
赤の他人で少し前までは厄介な存在でしかなかった私のために、そこまで考えてくれている。こんなに申し訳ない気持ちでいっぱいなのに、謝れないならば、どうすればいいのかしら。
ありがたくて胸がいっぱいなのに。
――ああ、そうだ。お礼を言えばいいのだわ。
「リシャール様のお優しさには、感謝しようもありません」
リシャール様の口元がほころぶ。
と、肩に手を回された。キャロライン殿下だった。
「私の侍女にしてやってもいいぞ。気に入ったからな」
「私をですか!?」
どうして? いったいどこに気に入られる要素があったの?
「どのような理由でも、剣術に興味を持つ令嬢は貴重だからな」と、彼女はにっこりした。
なるほど、そういうことね。ヴィルジニーも女が近衛騎士なんてありえないと言っていたっけ。
だけど私は侍女よりも――。
「『入門書』もいいがな」と私が口を開くより早く、キャロライン殿下が続けた。「明日は短剣の使い方と護身術を教えてやろう」
「姉上、自分の趣味にヴィオレッタを巻き込むな」
そう言ったセドリック殿下が心配そうに私を見る。
「断っていいんだからな」
「なにを言う。反撃が毎回通用するとは限らないぞ」
キャロライン殿下は、笑いながらセドリック殿下の鼻を指差した。
「これはヴィオレッタがやったのだろう?」
「まあ! なぜ私が犯人だとお分かりになったのですか!」
キャロライン殿下は不思議な能力でもあるのだろうか。セドリック殿下も驚愕している。
「左手の怪我」とキャロライン殿下は弟の手を示す。「診た医師が、人間の歯型だと言ったからな。そういう攻撃はたいてい、非力な人間が反撃するときにやるものだ」
「ですよねぇ」とジスモンド様が苦笑する。「殿下が気づかないはずがないと思っていましたよ」
そうなの!
セドリック殿下も、『それならそうと早く教えろ』とジスモンド様に迫っている。
「こんな令嬢を侍女にしたら面白いに決まっている」とキャロライン殿下は、いたずらげな表情を私に向ける。
私はリシャール様を見て、それからキャロライン殿下に視線を戻した。
「とても光栄です、殿下」
だけれど王宮で侍女になるより、クラルティ邸でお世話になりたい。リシャール様とたくさん書物の話をしたいもの。そう伝えなくては。
「ゆっくり考えるといい」
またしても、発言の先を越された。リシャール様だった。彼は真摯な目で私を見ている。
「君にとって一番良い選択をしなさい」
はい、と答える。
私にとっての最善は、リシャール様にとっての最善なのかしら、と思いながら。




