5・2 しょんぼり王子
午前中はゆっくり『ソフラテフはかく語りき』を読もうと考えていたのだけど。ジスモンド様に誘われて、セドリック殿下と三人(と日傘係のイレーネ)で庭園散歩をしている。傷心王子を慰めるのが目的みたいだ。
ジスモンド様が言うには、セドリック殿下は都にいたころに比べて、だいぶやつれているらしい。クラルティ邸への旅はかなり過酷だったようで、そのせいみたい。
セドリック殿下がぽつりぽつりと、旅の話をする。庶民に扮し、乗り合い馬車に乗ったり、商隊に同乗させてもらったり。追い剥ぎにあったり美人局にカモにされそうになったり。
「よく無事に着きましたねぇ」とジスモンド様が苦笑する。「あなたにそれほどの根性があるとは思いませんでしたよ」
「……ヴィルジニーを救いたい一心だった。なのに……」
セドリック殿下がうなだれる。
「えっと。そのお気持ちを、妹はきっと喜びます」
そう励ますと、ジスモンド様に厳しい目を向けられた。
「ヴィオレッタ。嘘を言ってはいけない。それを信じてヴィルジニーを迎えに行ってしまったら、殿下はまた傷つくことになる」
「あ……」
確かにそうだ。彼女は新しい獲物を探しに、隣国へ行く。出奔した王子には、きっと興味がない。
セドリック殿下はますますうなだれた。
「ごめんなさい、殿下」
「『セドリック様』だ」と王子はうつむいたまま、不満げに訂正してきた。
「ごめんなさい、セドリック様」
王子が顔を上げ、私を見る。
「顔も声もヴィルジニーにそっくりなのに、性格はまるで違う」
「すみません、暗くて」
「そうじゃない。ヴィルジニーなら『私が呼びたいように呼ぶのよ!』と怒るだろう。だがお前は謝る」
「ヴィルジニーに常識がないだけですよ」とジスモンド様。
セドリック殿下は彼を恨めしげな目で見てから、ふたたびうなだれた。
「……ヴィルジニーに『セドリック様』と呼ばれていたんだ。だから同じ声をしたお前に、同じように呼ばれたかった」
「その虚しさにいち早く気づけて、よかったです」とジスモンド。「失恋を癒やすには新しい恋がいいですよ」
「そんなに早く切り替えられない。いや、失恋したわけじゃない」
ふたりは言い合いを続けながら進む。
私は耳を傾けながら黙ってついていった。
しばらくするとセドリック殿下が、
「ヴィオレッタは静かだな。ヴィルジニーは少しでも話題に入れなくなると、怒ったものだが」
と言ってきた。
「怒ってばかりだったのですね。ワガママな子ですみません」
「そこが天真爛漫で可愛いんだ」セドリック殿下は力強く言って、それからまたしょんぼりとした。
これは長い散策になりそうだわ。
「俺は結局、誰にも愛されないのか……」
いやだ、王子の落ち込みはかなり深刻らしい。
「きっと、これからです。私も父とヴィルジニーに嫌われていましたけど、ここに来たら閣下も叔父様も親身になってくれました。だから殿下にもいずれ、想ってくれるひとが現れるはずです」
王子が私を見る。
「それがヴィルジニーだと思ったんだ」
「……すみません」
「お前は彼女と父親に嫌われていたのか? 姉は酷い人嫌いで、偏屈だと聞いていたんだが」
自分で言ったことなのに、なぜだか肯定したくなくて口ごもった。
「彼女を見て偏屈だと思うならば、目が曇っているのでしょう」とジスモンド様が私に笑顔を向ける。
「いえ、人付き合いは苦手なので、あながち間違っているとは言えません」
「そんな風には見えないよ。ヴィオレッタは素敵な令嬢だ」
セドリック殿下もうなずく。
「ああ。話しやすい」
「ありがとうございます。叔父様、殿下。素敵だなんてお言葉、光栄です」
むずがゆい気分だ。カヴェニャックの使用人たちはそう褒めてくれることもあったけれど、お父様やヴィルジニーにはいつも『陰気臭い』とか『暗い』と言われていた。
「ヴィオレッタ」と王子。「俺は『セドリック様』で彼は『ジスモンド』だ。間違えていたぞ」
「すみません」
「ほら」とセドリック殿下が左手を出した。「せっかくだ、エスコートをしてやろう。誇りに思うがいい」
えっ。それは遠慮したい。
「彼女は受けませんよ、殿下。慣れていないから、小鹿のようにオドオドびくびくしてしまうのです」
ジスモンド様が、素晴らしい助け舟を出してくれた。
「それなら、俺で慣れればいい」とセドリック殿下。
どうしよう。
でも、もうヴィルジニーのフリはしなくていいのだから、ぎこちなくてもいいのよね。だったら、練習させてもらってもいいのかもしれない。本番はこないでしょうけど。
セドリック殿下に手をのばす。
「ん? あれは」
ジスモンド様がそう言って、屋敷に向かってくる一団に顔を向けた。少し前から馬車にしてはやけに騒がしい音が聞こえてくると思っていたのだけど、それもそのはず。一台の馬車を騎馬隊が囲む、一団が見えた。しかも騎士も馬車も、遠目でもわかるきらびやかさだ。
セドリック殿下が深いため息をついた。
「追っ手が来たか」




