5・1 名前
朝食の席についたのは私、公爵、叔父に第二王子の四人だった。明るいところで見た王子は、さらさらの長い銀髪に緑色の瞳をした美青年だったけれど、鼻も手も痛々しくて血の気が引いた。
「不幸な事故だ。君が気に病むことはない」
私のショックを察したのか、公爵が優しい言葉をかけてくれる。
「そもそも殿下とヴィルジニー・カヴェニャックが道理を通していれば、君が『死神』などと呼ばれる私のもとに追いやられることもなかったんだ。むしろ怒っていいくらいだ」
「殿下の軽率な行いが招いた結果なわけだしね」と叔父が引き継ぐ。「だとしても、気になってしまうものだろうが、そんなことよりも暴漢に反撃できた強さを誇るといいよ」
「暴漢じゃない」
王子が反論する。けれど声は暗くて弱々しい。
「だがお前にどれほどの恐怖を与えたのかと考えると、噛まれたのも叩かれたのも仕方ないような気はする。痛くてたまらないが、これ以上の謝罪はいらない」
ええと、つまり?
王子はすごく根に持っているけど、許してくれるということかしら。
公爵を見ると眉を寄せていて、叔父は笑いを噛み殺している。
ここは――
「ご寛容に感謝いたします」
との返事でいいだろうか。
王子が鷹揚にうなずき、ほっとする。
「閣下はおみ足はいかがですか」
公爵に尋ねると、『問題ない』との簡潔な答えが返ってきた。
「寝る前に僕がマッサージをしてあげたからね」と叔父が私に微笑みかけた。「結婚したら、ヴィオレッタがやってあげてくれ」
「叔父上。結婚は中止ですよ」と公爵が間髪入れずに言う。
「そうだった」と笑う叔父。
公爵は私に視線を移して、
「朝一番で、教会に式の中止を連絡した。安心しなさい」
と教えてくれた。
ならば私が四人目になることもない。私は誰にも殺されない。
私の中に安堵が広がる。
「ありがとうございます、閣下。旅の最中に逃げるつもりだったのですけど、護衛の監視が厳しくてできず……。どうすれば閣下にご迷惑をおかけしないで結婚を回避できるか、ずっと考えていたのです。私が四人目にならなくて、閣下も私もようございました」
公爵が目を見張る。
「そんなことを企んでいたのか。なんて無謀なんだ」
「君みたいな令嬢が、ひとり旅などできるはずがないだろう」と叔父まで責める。
「旅行記をたくさん読んでいますもの。それに背に腹は代えられないといいますでしょう?」
「王子の俺だって、幾度も危険な目に遭ったんだぞ」
そんなに責めなくてもいいんじゃないかな。私にはほかに解決方法がなかったのだから、危険だろうがそれをやるしかなかったのに。
「……いや、それだけ思いつめていたのだな。君が無事に到着してよかった」
そう言ったのは公爵で。彼こそ、こんなに優しいのに初対面のときはすこぶる冷淡だったのだから、この結婚を相当腹に据えかねていたのだと思う。
「ご迷惑をおかけするのは心苦しいですが、私も閣下にお会いできてよかったです」
公爵はうなずいた。だけどすぐに目をそらす。
私はまた、変なことを言ってしまったのだろうか。
コホン、と咳払いをする公爵。
「その『閣下』というのは、やめてくれないか」
「わかりました。公爵様とお呼びしますね」
「いや、そうではなくて……」
公爵は困ったような表情をしている。だけどほかに呼び方なんてある? 『公爵殿』とか?
「『リシャール』と呼んでやってくれ」と叔父。
「そんな、恐れ多い!」
公爵が、見るからにしょぼんとした。
あら? 叔父の言うとおり、本当に名前がよかったの?
「……では『リシャール様』と呼ばせていただきますね」
公爵――ではなかったリシャール様の表情がパッと明るくなり、柔らかな笑みが浮かぶ。
「ああ、それがいい。私も、君をヴィオレッタと呼んでも構わないだろうか」
「もちろんです」
「僕は『ジスモンド』だからね」
「俺は『セドリック様』がいい」
叔父と王子が続けて主張する。
「わかりました。『ジスモンド様』、『セドリック様』」
「うん、いいね。君とようやく仲良くなれた感じがする」
ジスモンド様は嬉しそうに言い、リシャール様はうなずく。
そんなふうに思ってもらえるなんて。本当に、クラルティ邸にたどり着いたのは、私の人生で一番の幸運なのかもしれない。




