4・〔幕間〕公爵閣下は後悔する
部屋に下がることにして、長椅子から立ち上がる。と、先に立ったヴィオレッタが心配そうな表情で私を見ていた。
胸がやけに苦しくなる。
身代わりだと知られたら死罪になり、私にも叱責されると深く悩んでいたのだ。そう簡単に不安は消えないだろう。さっさと水を向けなかったこと、いや、相談に乗らなかったことが悔やまれる。
この純粋で優しいヴィオレッタを、せめてこれからは心安らかに過ごせるように、してやりたい。
『心配するな』。そう言おうとしたとき、彼女の視線が私の右足に向いた。すぐに戻ってくる。
「おみ足は大丈夫ですか?」
「足? 私の?」
「はい。駆けてきてくださったから。ご無理なさったのではないか、と」
また泣きそうな表情になっているヴィオレッタ。
彼女は、私のこの情けない足を心配してくれているというのか。
「問題ない。あれぐらいは、たまに走る」
ヴィオレッタの表情が緩む。安心したようだ。
「今夜はイレーネが部屋で番をするから、ゆっくり眠りなさい。朝食の時間も遅くする。わかったな?」
ヴィオレッタはうなずき礼を言って、イレーネと共にサロンを出て行った。
セドリックもアルフレードのあとに続いて出て行く。
サロンには叔父上と私、ランスだけとなった。
「足は本当か?」
と、叔父上が囁き声で尋ねてきた。
「まさか私が走れるとは、思いませんでしたよ」と正直に答える。
怪我の後遺症でうまく動かなくなってからこれまで、走ったことなどなかったし、走りたいと願ったこともなかった。あのときは無我夢中で、自分が駆けていることにも気づいていなかった。
「まだ結婚前なのに、『四人目』にしてしまったのかと焦ったからでしょうね」
足に目を落とす。言われて見れば、異様に両足が重い。
「部屋まで歩けるか」と叔父上が訊く。「背負えば運べると思う」
「大丈夫ですよ。赤ん坊でもあるまいし、背負われたくなどありません」
不安げにこちらを見ているランスにも、『心配ない』と伝えてやる。それから彼には自室に戻っていいと言ってやる。
「なんの騒ぎかと、妻子が気をもんでいるだろうからな。安心させてやれ」
彼は屋敷内で、愛妻とふたりの幼い娘と暮らしている。殿下の悲鳴は使用人部屋にまで聞こえたそうだから、きっとみな怯えているはずだ。
「行きなさい。アルフレードもすぐに戻るはずだ」
叔父上の言葉にランスはようやくふんぎりがついたようで、自室に戻って行った。
ふたりそれぞれにランプを持って、廊下に出る。足の調子は特段悪くない。そのことに、ほっとしていることに気づく。
思い浮かぶのは、ヴィオレッタの顔。不調が起きたら、彼女が気にするだろうと無意識のうちに考えていたようだ。
「どうするつもりだ、リシャール」叔父上が声を抑えて尋ねてきた。
「無策なのに、ヴィオレッタに大見得を切って。お前らしくないじゃないか」
「彼女を安心させるのが、なによりも重要だと判断したのです。朝までには考えましょう」
「ふたりで知恵を絞っても、良案がでなかったのにかい?」
「新要素があります」
「セドリック殿下か。陛下は末子の彼を可愛がっている。バカな子ほど可愛いという、見本のような感じだ。だから陛下は、彼の出奔はお前が仕組んだことだと言い出すのではないかな」
「ではなぜ、彼が望まない婚約を進めるのですか。ヴィルジニーはともかく、殿下が納得する令嬢に変えればよいものを」
「陛下とて、セドリック殿下が頼りないとわかっているからだよ。彼を補佐させるために聡明な令嬢を選んだ。殿下の話が本当ならば、失敗だったように思えるけどね」
「なるほど。ある意味私と同じ境遇なのですね」
「――兄上は子煩悩が過ぎたかもしれないが、リシャールはバカな子でもなければ、頼りなくもない」
「だとよいのですが」
仕事上ならば、その自負はある。だけれど今回のことで、いかに他人のことがわかっていないかを思い知った。私は長年人付き合いを避けてきたし、それで問題が起きると考えたこともなかった。だが。
自分が十歳も年下のいたいけな令嬢を追い詰めていたのかと思うと、あまりの情けなさにいたたまれなくなる。




