4・4 第二王子と告白
夜中に近い時間らしいけれど、応接室には多くの明かりがともり、執事長が飲み物を配っている。長椅子のひとつに公爵と私がすわり、向かいには叔父と第二王子。
王子は叔父の見立てだと、鼻の骨が折れているらしい。私が闇雲に叩いたせいで。左手は包帯でぐるぐると巻きになっている。私が噛み付いたから。
だって仕方ないじゃない。公爵の三人の奥様を殺した犯人だと思ったのだもの。
私の手も腫れ上がっているけど、幸い骨は大丈夫みたいだ。ちょっと痛いけれど、寝間着姿のイレーネが薬草を塗り込み、冷やした布を巻いてくれた。
王子は鼻の両方の穴に布の切れ端を詰め込んでいて、間抜けな見た目になっている。鼻血まみれだった顔は綺麗に拭き、汚れた服も替えたけど、どことなく血の匂いがする。噛み付いたケガからかもしれない。
「本当にすみません」
頭を下げると公爵が、
「謝る必要なんてない」と強く言った。「殿下といえども、クラルティ邸への不法侵入に婦女暴行未遂。完全に犯罪だ」
叔父が大きなため息をつく。彼は王子と多少の知己があるらしい。公爵と私は無し。そして多分、王子は私がヴィルジニーではないと気づいている。明かりの元で私を見たとき目を見張っていたもの。
「とにかく殿下。お付きはどこにいるのですか。呼びに行かせますから教えてください」
公爵が言うと、また叔父がため息をついた。
「いないそうだ。都からここまで、ひとりで来たと言っている」
「まさか!」と公爵。
「本当だ」と、ムスリとした表情の王子が口を開いた。「それに確かに不法侵入ではあるが、婦女暴行ではない。俺はヴィルジニーと駆け落ちをするため、迎えに来ただけだ」
ギロリ、と睨まれる。
「結婚相手が必ず死ぬ『死神公爵』なんかに、愛する女を渡すわけにはいかないだろうが! だというのに! ヴィルジニーはどこだ!」
立ち上がって、王子に向けて
「すみません!」
と深く頭を下げる。次に公爵と叔父に向けて。
「私はヴィルジニーではありません。双子の姉です。騙していて申し訳ありません」
心臓がドキドキと激しく脈打っている。
怖い。
公爵になんて罵られるのか。
こんなときなのに、朝の楽しい時間を思い出して涙が出てしまう。
「顔をあげなさい」
優しい声がした。公爵だ。
「私も謝らなければならない。君がヴィルジニーではないと、気づいていた。君は姉のヴィオレッタだね」
「え?」
公爵を見る。怒った顔、ではない。
「確信したのは叔父上が帰ってきてからだが、最初から疑ってはいた。君は不遜な悪女には見えなかったからね」
「訂正しろ! ヴィルジニーは不遜でも悪女でもない!」と王子。「というか、どういう状況なんだ?」
「殿下はしばらく黙って」と叔父が言う。
「すわりなさい」
と、公爵が身を乗り出して、私の手を優しく引いた。彼のとなりに腰をおろす。
「君は身代わりを知られることを恐れているようだったから、こちらからは問いたださず、自分から話してもらうつもりだった。だけど悪手だったようだ」
「晩餐をろくに食べていなかったね」と叔父。「そんなに思いつめているとは、気づかなかったよ。許してくれ。真面目な令嬢とは縁がないものだから」
「いい年をした大人ふたりが頼りなくて、すまなかった」
公爵は怒っていない。呆れてもいない。
急速に全身に安堵が広がる。
「私、あの……」泣きたくないのに、涙がこぼれてしまう。
「黙っていてすみません。陛下を謀ったのだから死罪になるでしょうし、それに閣下を怒らせてしまうと思っていました。だから言い出せなくて」
「……すまなかったね」
公爵が手を伸ばし、私の頭を優しく撫でてくれた。
◇◇
私がヴィルジニーと入れ替わった説明を終えた。王子がいるから、彼女が隣国に向かった理由だけは黙っていた。
たったひとりでヴィルジニーを迎えに来た彼に、彼女は新しい結婚相手を探すつもりでいるなんて、言えるはずがないもの。
語り終えた私を公爵が、
「ひとりでよく頑張った」と労ってくれた。
優しい言葉にまた涙が出そうになる。
「とにかく、これからどうするか、だ」と叔父が全員の顔を見渡した。「まずヴィオレッタ。君は――」
「死罪になんてさせないから、安心しろ」と公爵が力強く言葉を継ぐ。
「どうやってですか?」
「いくつか案は考えてある。心配するな。――ああ、泣かないでくれ。どうしたらいいのかわからないんだ。謝るのもなしだぞ」
「泣かせてあげるんだ、リシャール。涙を流すことで落ち着ける場合もあるんだよ」
「そうなのですか?」
公爵がまた頭を撫で撫でとしてくれる。
あまりにすべてが予想外で、すぐに涙がこぼれてしまう。だけど彼を困らせたくないから、手の甲で拭って
「大丈夫です」と微笑んだ。
「ハンカチがなくてすまない」
それは仕方ない。王子以外はみんな、夜着にガウンを羽織っただけだもの。
「リシャールは朝食の席で話すつもりだったんだよ。だというのに、まさかその前に殿下が忍び込んでくるとはね」
叔父がそう言うと、
「……俺だって、まさかヴィルジニーがいないとは思わなかった」
と王子が呟いた。苦悩に満ちた声だった。
セドリック王子はひとつ年下の十七歳。駆け落ちをするため、馬車で二週間もかかる距離を、たったひとりで旅をしてきたのだ。大変だっただろう。
彼は泣きそうな表情に見える。
「ええと、あの……。妹は殿下以外と結婚したくなかったのです」
『多分』と小さな小さな声で付け足す。
「そのために姉を『死神公爵』に差し出すのか」王子が私を見る。「みなに言われていた。『ヴィルジニーは王子妃になりたいだけの欲深い女だ』と。信じていなかったが、こうなってみると……」
「ヴィルジニー・カヴェニャックは、ろくでもない女ですよ。諦めるのが最善かと」と叔父が言う。「帰って婚約者殿とご結婚なさることをお勧めします」
「嫌だ! マグダレーナは俺と結婚したくないんだ。兄上の妃になるつもりだったからな。婚約破棄したときは『ありがとう!』と言われたんだぞ!」
それは初耳だ。てっきりお相手様は、激昂しているのだと思っていた。
「そうは言っても、陛下はお許しにならないでしょう? きっとあなたの捜索隊も出ていますよ」
「だから急いで来たんだ! でも俺は絶対に帰らないからな。『王子は辞める』と置手紙を残してきたんだ」
叔父がため息をついて首を横に振った。
「どうする、リシャール」
「そうですね。寝ましょう」と公爵。
「え、寝る?」
思わず声を上げると、彼は私を見た。
「きのう今日と、疲れただろう? 君たちはゆっくり休んで、明日にそなえなさい」
「そうだな。それがいい」と叔父まで賛成する。「あとは明日考えよう。もう遅い」
そうして夜中の会合は唐突に終わった。