3・4 夜の死神公爵
散策から自室に戻ると、お行儀悪く長椅子に身を投げだした。
「疲れたわ!」
「だいぶお歩きになられましたからねぇ」とイレーネが答える。
あらかじめ手配されていたようで、別のメイドがスパークリングワインを卓上に出してくれた。
ありがたく、いただく。しゅわしゅわとした喉越しが気持ち良く、あっという間に半分を飲んでしまった。
「それに今日は沢山話したもの。こんなに喋ったのは生まれて初めてかもしれないわ」
「まあ、そうですか。では、晩餐までお休みになるのはいかがでしょう」
「そうしようかしら。イレーネも日傘を支えていて大変だったでしょう? 休憩を取ってね」
『ソフラテフ』を読みたい気持ちはあるけど、今日は朝から予想外のことばかりが起きて、疲労困憊だ。昨晩は、『王政の仕組みと変遷』を読み終えたくて、遅くまで起きていたし。
少しだけ眠りたい――
◇◇
目を覚ますと、暗い部屋に燭台がひとつ灯っていた。頭が働かず、状況がよくわからない。
半身を起こし、自分が寝巻きでベッドの中にいることに気づいた。
そうだ。ここはクラルティ邸の、私に与えられた部屋だ。
どうしたのだっけと考え、しばらく経ってようやく、散歩で疲れてお昼寝をすることにしたのだと思い出した。
だけど服を脱いだ記憶はない。もしかしたらイレーネが着替えさせてくれたのかもしれない。それでも私は起きなかったということだ。どれだけぐっすり眠っていたのだろう。
ベッドから抜け出して、椅子にかけてあったガウンを取り羽織る。
今は何時? 屋敷内はとても静かだ。
晩餐は? お腹がものすごく空いている。
呼び鈴を鳴らすか迷い、先に廊下の様子を見ることにする。扉を明けて顔を出すと灯りはすべて落とされており、窓から入る月の光でわずかに明るかった。
ということは、だいぶ遅い時間ということだ。晩餐は確実に終わっている。公爵と約束をしたのに破ってしまった。
さすが悪女のヴィルジニー、と呆れられてしまったかもしれない。
胸がチクリと痛む。
明日の朝、執事長を通じて謝ろう。
扉を閉めようとしたそのとき、どこからか話し声が聞こえてきた。近づいてくるみたいだ。廊下の曲がり角の先からかもしれない。もし見知った使用人だったら、公爵が怒っていないか尋ねてみよう。
そう思い待っていると、角から執事長が現れた。こちらを見ている。
「ヴィルジニー様!」と驚く執事長。
「えっ」と女性の声がしてイレーネが姿を見せる。「まあ。呼び鈴を鳴らしてくださればいいのに!」
「時間がわからなくて。もう部屋に下がっていると思ったのよ」
ふたりの後からさらにもうひとりが出てきた。公爵だった。
「閣下!」
急いで彼に駆け寄る。
「お約束をしていたのに、晩餐に伺わず申し訳ありません」
「いや、構わない。叔父上が、無理に起こしては可哀想だと言ったのだ」と公爵。「よく考えれば二週間もの長旅をして、知る者のいない屋敷で邪険にされて過ごしてきたのだからな。疲れも溜まっているだろう」
「邪険にされているとは思っていません。イレーネはよくやってくれています」
「そうか。――だが夜にひとりで廊下には出るな。使用人を呼ぶように」
公爵に促されて、並んで自室に向かう。
「すみません」
「夜は灯りを落としている。うっかり階段を踏み外して、四人目になるかもしれないからな」
私の心配をしてくれているということ?
「わかりました。気をつけます」
ああと、真面目な表情でうなずく公爵。
「明日、問題がなければ朝食を共に」
「はい。実は約束を破ってしまって、閣下に呆れられていたらと心配でした」
「私はそんな狭量ではない――いや、初対面であの態度だった人間がなにをぬかすか、だな」
「そんなことありません!」
開け放したままだった扉の前についた。
「それではおやすみ」と公爵。
「おやすみなさいませ」
公爵は踵を返し、廊下を杖をつきながら執事長と共に戻っていく。
「もしかして部屋まで送ってくれたのかしら?」
呟くと、傍らに残ったイレーネが『そうでございますよ』と答えた。
公爵は私の安全も気にかけてくれているし、とても優しいひとなのだ。全然『死神』なんかじゃない。