3・2 散策と叔父
『散歩にはイレーネを連れていけ』
公爵にそう言われたとき、イレーネは監視役だと思った。けれど違ったらしい。彼女は優美な日傘を、私に差し掛けている。
「これはクラルティ家では普通のことなのかしら」
そう尋ねると、イレーネのほうが不思議そうに瞬きをした。
「貴族の女性はこれが当然だと、ヘルミナ様がおっしゃっていましたが」
ヘルミナ。聞いた覚えがある。確か――
「公爵の二番目の奥様だったかしら」
「はい」とイレーネ
イレーネが言うには、先代クラルティ公爵の夫人が亡くなって以降長い間、屋敷に女性貴族はいなかったそうだ。しかもメイド長の交代もあり、女性貴族への仕え方が詳しくはわからなくなってしまったみたい。
それで二番目の奥様には、メイドたちがよく叱られたのだとか。
美しい庭園をのんびりと歩きながら、イレーネの話を聞く。
「ヘルミナ様は都住まいをされていた、都会のご令嬢でしたから。田舎のメイドはものを知らぬと憤慨なさってばかりでした」
この四日間で、イレーネとはだいぶ会話をするようになった。きっと彼女が生来の話好きなのだろう。最初は私を嫌っているようだったのに、今ではよく喋る。
彼女が公爵邸で働き始めたのは、最初の奥様が亡くなったあとだそうだ。先日、二番目三番目の奥様と違って、私は話しやすいと言われた。褒めてもらえたらしい。
「確か二番目の奥様は、堀で亡くなったのよね」とイレーネに尋ねる。
「はい。溺死です。ヴィルジニー様も近寄ってはなりませんよ。あのとおり」と彼女は視線を遠くへ向けた。「堀に柵はございません」
「気をつけるわ。――ねえ、イレーネ。私は日傘はなくて構わないわ。あなた、歩きにくいでしょう?」
「とんでもないことです。私の仕事ですから」
「そうだよ。日焼けは大敵だろう?」
背後から男性の声がして、イレーネとふたりでビクリとする。
声の主は公爵の叔父だった。いつの間にそばまで来たのだろう。まったく気づかなかった。
「散策しているのが見えてね。大急ぎで来たよ。僕も一緒に行こう」
柔らかな笑みを浮かべた叔父は、勝手に同行を決めた。
「それともヴィルジニー。リシャールは意中の相手ではないから、醜く日焼けしても構わないということかい?」
「いいえ」
「君は第二王子殿下の従者には、日傘をささせていたじゃないか」
ヴィルジニーはそんなことをさせていたの?
なんて返答するのがいいのだろう。
「愛する殿下と別れさせられて辛いのだろうけど、自暴自棄になってはダメだよ」
笑顔の叔父の言葉にはっとする。
その観点がなかった。私は傷心の演技もしなくてはいけなかったのだ。
でも今更しても、手遅れな気がする。それは諦めよう。
「それでは行こうか」
叔父の手が腰に回され、慌てて飛び退く。
「どうしたんだい」
ドッドッと心臓があり得ない速さで鳴っている。
「……あの……」
「ん?」と笑顔の叔父。「私のエスコートは嫌いかい? 君はいつもそうしていたはずだが」
エスコート。そんなもの、経験ないわ!
自邸を出たことが、ろくにないのだもの。
「え、遠慮します」
ヴィルジニーのフリをするにしても、これはムリだ。緊張して絶対にボロを出してしまう。
「そういうのは、やめにしたのです」
「ふうん。では」と叔父が手を差し出す。
「すみませんが、そちらも」
「おやおや。君はセドリック殿下に操を立ててでもいるのかい? ただのエスコートではないか」
「ヴィルジニー様は、案外真面目な方なのです」とイレーネが助け舟を出してくれた。「お困らせになるのなら、旦那様に報告しなければなりません」
「困らせるつもりはないよ」にっこりと叔父。「暇つぶしのお供をして差し上げたいと思っているだけだ」
そう言って散策についてきた叔父は、よく喋った。主な内容は、自分のことと公爵の三度の結婚のこと。