8.魔石の暴発
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「あっ、あの」
「おはよう、リジー」
「あの、ちょっと」
「レベッカ、今日は一段と素敵だね。髪飾りがよく似合ってる」
「ねえってば、あの」
「そうそう、あれはどこにやったかな……」
「……っ、聞いてよ、レイン・エインズワースっ!」
露骨に背中を向けられて、アンジェは思わず名前を呼んだ。一拍遅れ、ちらりと視線がよこされる。
「二度と話しかけるなって言わなかったっけ、君」
「今話しかけてるのは私でしょ!? そもそも捨て台詞じゃない、あれっ」
「小物の悪党みたいな捨て台詞だね」
やれやれといった顔をしながらも、アンジェから話しかけた事で納得したらしい。ようやく顔を向けた後、彼は不思議そうな顔をした。
「……何よ」
「ねえ、君、昨日も思ったけど……」
何か言いかけた時、ちょうど教師がやってきた。
「まあいいや。話はあとで」
「分かった」
とりあえずは話を聞いてくれるらしいと分かり、ほっと胸をなで下ろす。
その様子を、レインが物言いたげな目で見つめていた。
後でと言ったが、その機会はなかなか巡ってこなかった。
アンジェはやきもきしていたが、そもそも昨日話せばよかった事だ。なんて馬鹿なんだろう私……と自分を責めつつ、授業に耳を傾ける。
今日の授業は魔力の実験だ。魔石と呼ばれる石に魔力を込め、その変化を調べる。
魔石とは魔力を蓄積できる石の事で、生活に浸透した便利な品だ。高価なものは貴族専用だが、安価な品は平民でも気軽に扱う事ができる。場合によっては再利用もできるため、日々の暮らしに役立っていた。
ここに火や水の魔力を込めると、簡単な魔法を使う事ができる。子供には取り扱いが制限されるため、アンジェも手にするのは初めてだった。
(これが、魔石……)
小鳥の卵ほどの小さな石だ。色は乳白色に近い。表面はすべすべしていて、触ると少しひんやりしている。
「よーし、じゃあ各自魔力を込めてみろ。いっぱいになることはないと思うが、レイン、ダレル、レベッカの三人は注意するように」
その三人は魔力量が多いので、万が一を考えての注意だ。
貴族のレインとレベッカはともかく、魔力量が少ないとされている平民の中で、ダレルの実力は際立っている。
(すごいなぁ、ダレルは)
そんな事を思いながら、アンジェは一度深呼吸した。
授業で習った手順通りに、自らの魔力を込めていく。
握りしめた手の中で、石が淡く輝き始める。
アンジェは植物型なので、色はごく薄い緑だ。ほんの少し金色がかって見えるのは気のせいか。指先を取り巻く魔力にも金色が散っている。ほんのわずかだが、きらきらと輝いているように見える。いつもより綺麗な色合いに、アンジェが目を瞬く。
自分の魔力で、魔石がゆっくりと染まっていく。
あと少し、もう少し。
できれば半分くらいは――と思っていると、「あれ?」という声がした。
見ると、近くの少年が首をかしげていた。
「おっかしいなぁ、なんでだろう?」
彼の魔石は黒っぽい色をしていた。
いくら魔力を込めても反応せず、色は黒ずんだままだ。
初等学校で支給される魔石は再利用品だ。値段も安めだから、不良品が交じっていたのかもしれない。彼はむきになって魔力を込めたが、ちっとも変化は見られなかった。
彼もそこそこ魔力が高く、クラスでは上位にいる。
入学直後から王立魔法学校への進学を強く希望していて、魔法の授業にも熱心だ。そのため、うまくいかないと焦ってしまい、癇癪を起こす事もある。
「なんだよもう、この……っ」
少年が石を振った時、ちょうど教師がこちらを向いた。
「こら! 乱暴に扱っちゃいかん、魔石は――」
「危ない!」
その時だった。
アンジェの手が引っ張られたかと思うと、何かが覆いかぶさってきた。直後、ドオン!! という衝撃音が響く。
目を開けると、自分の上にレインがいた。
「怪我は?」
「え……?」
「怪我、してない?」
端的に聞かれ、よく分からないまま頷く。すると、レインは小さく息を吐いた。手を出され、なんとなく従う。
そのまま引っ張り起こされて、(あ、起き上がらせてくれたんだ)と思った。
じろじろと眺め回されているのは、異変がないか確かめているらしい。いつもなら「見ないでよ」というところだが、さすがにこの状況では言えなかった。
居心地の悪さを覚えつつ、もぞもぞと身じろぐ。
「あ……ありがとう」
「どういたしまして」
レインは澄ました顔だ。彼にも怪我はないらしい。その事にほっと息をつく。
「お前たち、平気か!?」
すぐに教師が駆け寄ってくる。
「大丈夫です。それより彼は」
「あいつなら問題ない。威力は押さえ込んだつもりだったんだが、衝撃が殺し切れなかった。すまんな、二人とも」
「先生、何が……?」
アンジェの問いに、彼は苦々しげな顔になった。
「粗悪品が混じってたらしい。完全に魔力を消し切れていない状態で新しい魔力を込めると、場合によっては暴発する」
きちんと確認したつもりだったんだが、と舌打ちする。
魔力は繊細なものなので、わずかな残滓でも反応する。ただし、あまりにも微量だと見つからない事もあり、検査にも反応しないため、ごく稀にそのまま出荷されてしまうらしい。
今回も見落としがあったのだろうと、教師は深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ない。気づかなかった俺のミスだ」
「問題ありません。二人とも、怪我もありませんし」
「実験は中止する。込めた魔力はそのまま放出、今日の授業は終わりだ。空っぽになるまで出し切ってくれ」
他にも粗悪品が混じっているなら、このまま使用するわけにはいかない。
言われた通りにしながら、アンジェはちらりと横を見た。
淡々と魔力を放出しながら、レインは魔石を見つめている。
その顔はいつも通りだ。「危ない!」と叫んだ時の声は、それなりに切羽詰まったものだった気がしたけれど、聞き間違いかもしれない。
(こいつが私の心配なんてするはずないし……)
きっと気のせいだろう。そうに違いない。
騒ぎはすぐに公爵家にも伝えられたらしく、放課後、家人と護衛がやってきた。
あっという間にレインは馬車に乗せられてしまい、結局その日、夢の話はできなかった。