5.黒ずんだ指輪
***
(……え?)
まず思ったのはその一言だった。
何。一体、何が。
手の中の指輪を前に、呆然と考える。
この指輪をアンジェは知っている。
正確に言えば、夢の中で見た事がある。
だがあれは、あくまでも夢の中の出来事だったはずだ。実際、起きても体が痛くなかったし、どこも怪我はしていなかった。
(だけど……それなら)
これは何?
指輪を見つけると、急かされるような感覚はぴたりと消えた。その代わり、別の焦燥が湧き上がる。
――早く、早く。
早く行動を起こさなければ。一刻も早く。
そうしないと――間に合わなくなる。
「!?」
自分で思った事にぎょっとして、アンジェはベッドから起き上がった。
指輪は変わらずにそこにある。そこでアンジェは思い出した。
(確か、夢では……)
――この指輪はどこか遠くに捨てて、何もかも忘れて過ごすんだ。そうすれば君は助かる。君の人生は、何も失われない。
囁く吐息まで耳に残っている気さえする。
あの時、レインは確かにそう言った。
それなら指輪を捨てればいいの?
そう思った時、「違う」と強く感じた。
そうじゃない。それはきっと、アンジェが望む事じゃない。
そうだよね、と誰にともなく頷く。
だって、あの時のレインはアンジェを助けようとしてくれていた。だとすれば、彼の言葉に従う事は、アンジェを守る事にもなる。
けれど――レインは?
この指輪を捨ててしまったら、レインは助からない。そんな気がした。
(でも……どうしよう?)
レインに言ってみようかと思ったが、すぐに首を振る。
こんな事、どう説明したらいいか分からない。そもそも彼が覚えているなら、何らかのリアクションがあるはずだ。
だったら両親か先生に言う? それも駄目だ。どうせ夢だと笑われるのがオチだし、過去に戻る魔法はないと言っていた。アンジェの言う事を信じてくれるはずがない。
リジーやダレルはどうだろう。彼らは友達だから、すぐに嘘だとは言わないかもしれない。けれど、それによって彼らを巻き込んでしまったら? それは絶対に嫌だった。
(ううう、どうしよう……)
八方ふさがりの状況に頭を抱えていると、握りしめていた指輪がポトリと落ちた。
「あっ……」
慌てて拾い上げ、手の中に握り込む。そうしたまま、アンジェはじっと考えた。
あの時見た夢が本物なら、事態は深刻だ。
あと数年で、レインは命の危機に陥る。それも、おそらくは確実に。
アンジェは未来を見たのだろうか。
それともまさか――過去に戻ってきたのだろうか。
分からない。思い出せない。
けれど、たったひとつ分かっているのは。
レイン・エインズワースが命を懸けて、自分を助けようとしてくれた事。
だとしたら、やる事はひとつだ。
「……レインを助けなきゃ」
だが、どうすればいいのだろう。
この指輪は証拠になるかもしれないが、レインは捨てろと言っていた。彼に見せていいものかどうか、今はまだ判断がつかない。
そして、あの光景は少なくとも数年後の事だった。だとすれば、十三歳の今、差し迫った危険はないはずだ。
まだ時間はある。それならきっと、希望もある。
それまでにレインの信用を得て、少しずつ歩み寄って……と思った時、うがああああ! と叫びたくなる。
(無理でしょ、それ!? できないでしょ、どう考えても!)
つい昨日まで――いや今日もか――面と向かって反目し合っていた相手に、そんな真似ができるはずもない。信用どころか、友情さえも無理だろう。せめて知人なら……と思ったところで、その知人というくくりさえ嫌がっていたのは自分だったと思い出し、思わず両手をついてしまった。
「ど、どうしよう……?」
前途多難な予感しかなかった。