4.授業開始
***
(まったく……)
ムカムカする気持ちを押さえながら、アンジェは授業を受けていた。
「――そういうわけで、時を渡る魔法は存在しない。従って呪文も存在せず、魔法陣にも効果がないと言われていて……」
教師が語っているのは、過去に戻る魔法についてだ。今のところそういう技術は見つかっておらず、過去にもそんな例はないという。ただし、過去を変えてしまった場合、変えた当人にしか分からないので、真偽は不明だ。
(でも、そっか。過去に戻ることはできない……)
だとすれば、やっぱりあれは夢だったのだ。
ほっと胸をなで下ろしていると、つんつん、と肩をつつかれた。
「なあなあアンジェ、次の授業、楽しみだよなぁ」
「まあね」
「今日こそは俺が勝つからな。覚悟しろよ」
にかっと笑うダレルに、アンジェも唇を持ち上げる。
「こっちのセリフだわ。私だって負けないから」
次は魔法の訓練で、生徒それぞれが実技を行う。ただし、ただ魔法を使うだけでなく、自らの特性を利用して、教師の出す課題をクリアしなければならない。
前回は木の檻に入ったリンゴを取り出す課題で、火型のダレルは檻を燃やし、水型のリジーは木をふやかして腐らせる、といった技を試した。ダレルは木を燃やしすぎてリンゴを黒焦げにしかけたし、リジーは「時間がかかりすぎる」と言われて却下だったが、そうやってアイディアを出す事で、自分の魔法について学んでいくのだ。
ちなみに、レベッカは見事な魔法力を見せつけて、炎の鞭で檻の上部を焼き切った。レベッカの魔法型も火である。リンゴはほぼ無傷だった。
レインの魔法型は氷なので、檻を凍らせるのかと思ったら、リンゴの周りに氷柱を放射状に生み出した後、檻の中からぶち壊した。中から氷の槍が突き出る光景は、悔しい事に見事だった。
彼は以前からこの課題に挑戦しており、毎回違う方法を試しているそうだ。へーそうですか、優秀ですこと、と内心で毒づいておく。
魔法型が氷のせいか、レインの髪色は氷に似ている。艶やかな銀髪が光にきらめくたび、少女達がきゃあきゃあ騒いでいる。大声では言えないが、将来抜ければいいと思う。
ちなみに、アンジェはと言えば――。
「アンジェのはすごかったよな。檻自体に魔法をかけて、開けさせちまうんだもん」
「私の魔法型が植物だったから、思いついただけよ。それに、魔法を通す枝だからできたんだと思う」
アンジェの魔法型は植物だ。その名の通り、植物を操ったり、生やしたりできる。あまり難しいものは無理だが、檻に使われている木が特殊な素材で、魔力をよく通したので成功した。
どうだとレインの方を見たが、彼は欠伸を噛み殺していた。その姿にまた腹が立ったのは昨日の事だ。
(一度くらい、全力であいつを泣かせてやりたい……っ)
拳を握りしめるアンジェに、ダレルがきょとんと瞬きした。
その日の課題は、高い場所にある木の実を取る事だった。
「アンジェには得意分野だからな。ちょっとハンデをやろうか」
王都から派遣されてきた教師は、にやりと笑って指を立てる。
「木に直接魔法をかけるのは禁止。それ以外の方法で実を落とすように」
「え~~~~~~っ」
今日は楽勝と思っていたのに、予想外だ。
だがこれも勉強と思い、別の方法を考える。
木の高さは建物の二階ほど。実がある場所はもう少し低いが、手を伸ばしても届かない。
風の魔法型を持つ生徒は、風を吹かせて実を落とそうとしている。
土の魔法型を持つ生徒は、土を盛り上げて足台のようにしている。
水の魔法型を持つ生徒は、水鉄砲のようにして実に当てている。
火の魔法型を持つ生徒は、小さな火の玉を作って、小刻みに枝にぶつけている。
入学したころは魔法を使うだけで息が切れたものだが、今はそんな事もない。魔力自体は小さいが、みんなそれなりにこなしている。
その中で、アンジェはと言えば――……。
「……ようし」
木に小さなツタが絡まっているのを見て、アンジェはそこに魔力を込めた。するするとツタが伸びていく。
ほどなくして枝に到達すると、ツタは生き物のようにくねり、実をぐるぐるに縛り上げた。
(もう少し……もう少し)
慎重に、慎重に。
ヘタの部分が硬いので、切り離すのは難しい。だから、ゆっくりと回していく。
やがて、プツ、と音がして、木の実がポトリと落ちた。
「できた!」
「おお、すごいな。うまくやったじゃないか」
それを見ていた先生が褒めてくれる。
「アンジェはずいぶん上達したな。これなら王都で働けるかもしれないぞ」
「ありがとうございます」
ある程度の魔力と技術があれば、それなりにいい場所で働ける。アンジェは地元に残るつもりなので、王都での就職に興味はなかったが、褒められればやはり嬉しい。
どうだとレインを見ると、彼は氷の槍で実を落としたところだった。
指先ひとつでそれを操る技術も、他の枝葉を少しも傷つけないコントロール能力も、やはり頭ひとつ抜けている。
「すばらしい! やるなぁ、レイン」
「ありがとうございます」
目を輝かせた教師に、礼儀正しく一礼する。
それからアンジェの方を見て、「ふっ」と言いたげな笑みを浮かべた。
「こっの……」
今のはアンジェにだって分かる。嘲笑だ。
「レイン様レイン様、わたくしの炎の鞭、見てくださいました?」
「もちろんだよ、レベッカ」
「ああん、ベッキーとお呼びくださいませ!」
拳を握るアンジェの前で、レベッカが駆け寄ってくる。彼女に向けるレインの笑みは、やさしく品の良いものだった。
(私には意地悪く笑ったくせに……っ)
屈辱である。
ちなみにダレルは勢い余って木を燃やしそうになってしまい、先生にものすごく怒られた。いつも注意されているのに、うっかり力加減を間違えたらしい。
リジーは水鉄砲を当てられずに、足台を使って成功した。
***
そんな出来事はあったものの、その日は何事もなく過ぎた。
家に戻り、夕食を終えると、アンジェはベッドに寝転んだ。
(ほんっとに腹立つ、あいつ……)
思えば入学直後から、レインには何かとちょっかいをかけられている気がする。
顔がいいくせに、アンジェに笑いかけた事など一度もないし(嘲笑除く)、褒められた事も、紳士的に接された事もない。
いつも喧嘩をふっかけられ(お互い様)、言い争いは日常茶飯事(アンジェの方が口は悪い)、おまけに見下され(多分)、腹立ちのボルテージは上がるばかりだ。
いっその事、完全に無視してくれればいいのに、あの男は絶対にそうしない。むしろ、何かあるたびに、いちいち楽しそうに絡んでくる。
(私のこと嫌いなくせに、なんなのよもう……)
それとも、嫌いだからだろうか。
そう思うとまた腹が立ち、手にした枕を抱きしめる。
――あの夢では、あんな顔したくせに。
夢の中のレインは、愛しいものを見るような目でアンジェを見ていた。
とてもやさしく、包み込むような慈しみを込めて。
あの目が頭から離れない。
だからこそ、忘れようとしても浮かんでくるのだ。
(あの時、レインはなんて言ってたっけ? 確か……)
――忘れて。
君は生きて、幸せに暮らすんだ。次は僕に関わったらいけないよ。何があろうとも、僕とは無関係に過ごすんだ。
僕の事は忘れてと言った時、その目が少しだけ揺れた気がした。
笑っているのに、泣いているようだと思った。
あの顔が頭から離れない。忘れようとしても浮かんでくる。何度も、何度も、くり返し。
ただの夢なのに、こんなに気になってしまうのはそのせいだ。
いつも意地悪で偉そうなあいつが、あんな表情をしたから。
そして、唇が――……。
「わ―――――っ!?」
朝と同じような状況になり、じたばたと身もだえる。「うるさいわよアンジェ」と怒られて、慌ててアンジェは口を閉じた。
耳を真っ赤にしたまま、枕に顔をうずめる。
(何これ何これ、一体何なの?)
レベッカなら狂喜するところだろうが、自分は違う。
アンジェはレインをそういう目で見た事はないし、相手もきっと同じだろう。それくらいなら、まだダレルとの方があり得る。ないけど。
アンジェはレインの事が好きじゃない。多分、レインもそうだろう。
それなのに、なぜあんな夢を見たのか。
(忘れて、なんて……。変な夢)
あの時、彼は他にも何か言っていた気がする。
――僕のことは忘れて。全部忘れて、それから――……。
「……指輪」
ふと呟くと、どきんと心臓が音を立てた。
「……え?」
どきどきと、早鐘のように鳴っている。まるで何かを知らせるように。
わけが分からないまま、アンジェは自分の胸を押さえた。
これは何?
幸い、動悸はすぐに治まったが、頭の奥がざわざわしていた。早く早くと、急かされている感じがする。
だが、心当たりはない。
ふたたびベッドに寝転んだが、言いようのない感覚だけが続いていた。
なんだろう、この感じ。
今日はもう眠ってしまおうと思ったが、わけの分からない不安に襲われて寝つけない。ごろごろとベッドを転がっている最中、何か硬いものが頭に触れた。
「……うん?」
つまみ上げてみると、それは指輪だった。
元は銀色だったのだろう。今は黒ずみ、輝きを失っているものの、精緻な彫刻がされている。飾り部分に小さな石がはめ込まれていて、なぜか真っ黒に染まっていた。
でも、アンジェはこれの元の色を知っている気がした。
(確か……綺麗な、赤い……)
――ズキリ。
その時、強く頭の隅が痛んだ。
シーツに顔を押しつけてやり過ごし、ほうっと息を吐く。そして気づいた。
「あの時の……」
夢の中で、レインがアンジェに渡した指輪。
あの時嵌めてもらった指輪が、アンジェの手の中に転がっていた。