2.天敵登場
アンジェレッタ・エイベル。
現在十三歳、魔法学校の一年生だ。
肩の下まで伸ばされた黒髪に、やや凹凸の少ない体。
瞳は淡い金色で、光の加減によって深みを変える。父親と同じこの色が、アンジェは割と嫌いじゃない。
この世界には、魔法使いと呼ばれる人種がいる。
魔力を持つ人間は人口の四分の一ほどで、それを「使える」人間になると、さらにその数はぐっと減る。大体、二十人にひとりくらいと言っていい。
ほとんどの場合、その力は生活の足しにしかならないが、中には強い魔力を有する者がおり、その場合は早いうちからスカウトが来る。そしてそれを見極めるため、少しでも魔力を持つ者は、魔法学校に通う事が義務付けられていた。
期間は十三歳から十八歳まで。
正確に言うと、十三歳から十五歳までは初等の魔法学校に通う。その間に適性を図り、それに合格した者だけが王都にある王立魔法学校に通えるのだ。それ以外の人間は、生活魔法を覚えて終了となる。それでも平民にとってはありがたいため、魔力を持つ子供は重宝される。
アンジェの両親も平民だが、娘のアンジェに魔力が宿っている事が分かったため、初等の魔法学校に通っていた。
授業内容は魔法だけでなく、通常の学校で学ぶ事も含まれている。教師は中央から派遣されてくるので、村の学校よりも高い水準で学べる。そのため、たとえ魔力が低くとも、就職先には困らない。アンジェも熱心に学んでいたが、どちらかといえば魔法よりも、計算や一般常識に力を入れていた。
とはいえ、魔法を使えるに越した事はない。
できれば学校をいい成績で卒業し、この先の人生に役立てたい。
アンジェはそう思っていた。
そう、この日までは、間違いなく。
***
「アンジェ、おはよう」
学校に着くと、すぐに声をかけられた。
「おはよう、リジー」
リジーは男爵家のひとり娘で、さらさらの金髪が愛らしい少女だ。瞳と同じ、青いリボンを結んでいる。
魔力持ちは貴族に多いので、特に珍しい事ではない。だが、この学校は平民に向けたものなので、そういう意味では珍しいかもしれない。
リジーの家は貴族だが、生活はそれほど裕福ではなく、魔法学校卒業後は就職を視野に入れているという事だった。
入学してすぐに仲良くなったが、気取ったところは一切ない。
おとなしいけれどやさしいリジーが、アンジェはとても好きだった。
「アンジェ、何かあったの? 眠そうだけど」
「いっ……いや、そんなことないけど」
ぎくり、とアンジェの体がこわばる。
「隠しても駄目。また無理をしたんじゃない? いくらケンカを売られたからって、わざわざ自分から買うことないのに」
「え、ケンカって……なんだっけ?」
「忘れたの?」
目を丸くされ、アンジェは「うん?」と首をかしげた。
「昨日、あんなに怒ってたじゃない。レイン・エインズワースのやつ、絶対に許さないって……」
「っ!!」
いきなり出た名前に、アンジェの肩がびくりと跳ねる。
「レ、レイン・エインズワース……?」
「そうよ。むきになっちゃって、絶対負かしてやるんだからって……」
「僕が何?」
リジーがそう言った時、涼やかな声が割り込んだ。
「おはよう、リジー。僕がどうかした?」
「レッ……」
「もしかして、僕の噂話かな? リジーに話題にしてもらえるなんて嬉しいよ」
微笑みを浮かべているのは、ちょっと見ないくらい顔の整った少年だった。
銀色の百合が咲き誇ったような美貌に、とろけるように甘い声。
女性だったら傾国の美女と謳われるほどの顔立ちだが、れっきとした男である。
彼はアンジェの前を通り過ぎ、そっとリジーの手を取った。
「君のために忠告しておくけど、そこの山猿、思ったよりも凶暴だから。引っかかれないように気をつけて」
「えっと、あの……」
「ちょっと! 山猿って誰のことよ!?」
頬を染めたリジーの横で、アンジェは額に青筋を立てた。
「毎日毎日毎日毎日、よくもまあ飽きずに悪口を垂れ流せるもんね。その見かけによらない口の悪さ、今日こそ叩き直してやるから!」
「見かけを褒めてくれて光栄だよ、山猿」
「褒めてない! あと山猿って呼ぶな!」
ぎゃんぎゃん噛みつくアンジェに、彼はうるさそうに眉をひそめた。
「分かったよ。おサルさん」
「サルから離れて!」
「じゃあ魔兎」
「余計に悪い!」
「魔熊とか?」
「悪化してる!」
「もういいじゃないか。うるさいなぁ」
心底面倒くさそうな口調で言われ、アンジェの顔が引きつった。
(こいつ……っ)
――レイン・エインズワース。
アンジェのクラスメイトであり、この田舎唯一の公爵子息であり、女子生徒の人気ナンバーワンの存在であり、そして。
まごうかたなき、アンジェの天敵でもある人物だ。
いつもなら盛大な口喧嘩(というよりも、アンジェが一方的にまくしたてる)に発展するところだが、今日はそうならなかった。
アンジェは口をつぐみ、まじまじと彼の顔を見た。
月の光を織り上げたような銀糸の髪に、宝石のような青い瞳。
白い肌には染みひとつなく、高級な人形にも見間違われるほどの綺麗な顔には、傷も火傷も見当たらない。
当たり前なのに、どこかほっとしている自分に気づいてしまった。
「……何?」
いつもと様子が違う事に気づいたのだろう。レインが怪訝な顔になる。
顔を覗き込まれそうになり、アンジェは思わず後ずさった。
何を考える間もなく、びたん!! と手で突っぱねる。
「なっ……なんでもないわよ、この節操無し男!」
「……やってくれたね」
顔面を平手で突かれたレインが、ごく冷えた笑みを浮かべる。
言葉と同時にぶにっと頬を引っ張られ、アンジェは「ふひぇっ」と悲鳴を上げた。
「ひゃだもう、離してよこの馬鹿、陰険男、暴力反対っ!」
「どの口が。最初に手を出したのはそっちだろう」
「あんたが顔見ようとするからでしょ!」
「好きで見ようとしたわけじゃないよ。それほどの顔でもあるまいし」
「今なんて言った!?」
ぎゃんぎゃん怒鳴るアンジェに、彼はわざとらしくため息をついた。
「ああもう、本当にうるさいな。なんで君と一緒のクラスなんだろう」
「それはこっちのセリフだわ!」
ふんっと顔を背け合い、別々の席に座る。
とはいっても、彼の席は目の前なので、あまり離れた気がしないのだが。
「こっち見ないでよね、陰険男」
「そっちこそ。サル娘」
「サルって呼ぶな!」
アンジェが叫んだところで、教師が入ってきた。
「授業を始めるぞ。……ん、そこ、どうした?」
「なんでもありません」
同時に答えたセリフがかぶり、アンジェはくっと唇を噛んだ。
屈辱だ。こいつと言う事が同じだなんて。
ひそかに拳を握りしめたが、相手はまったく気にしていない。それが余計に気に障る。
(……ほんっと腹立つ)
朝方見た夢は、やっぱり何かの間違いだろう。
夢の中で、アンジェとキスをした相手。
それがレイン・エインズワースの成長した姿だったという事は、絶対言わないでおこうと心に誓った。
お読みいただきありがとうございます。この世界には月があります(星の並びは不明です)。




