表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/20

13.夢の話をあなたと


「……レイン?」

「大丈夫だよ、これくらい」


 よく見れば、その体にはいくつもの火傷があった。

 打撲や擦過傷だけでなく、えぐられたような傷痕もある。アンジェから見えないように隠していたのだろう。背中の辺りがざっくりと裂け、そこからおびただしい量の血が流れていた。


「て、手当てっ……」

「無駄だよ。ここには薬がない」

「そんなこと言ったって、このままじゃ……!」

「それよりも、話をしてくれないかな」


 かすかに息を吐いてレインが笑った。


「気が紛れるように、なんでもいいから。昔話でも、独り言でも、子守歌でもいい。何か話して」

「なんで……」

「君の話、一度も聞いたことがないから」


 からかうように言いながら、その息は熱い。痛みを押し殺しているのだろう。顔色は悪く、額に汗がにじんでいる。

 せめて少しでも効くようにと、アンジェはフレアベルの花を取り出した。


「この花、血止めになるんでしょう。どうすればいいの?」

「すり潰して塗るだけだよ。ただし、すり潰す時に魔力を込める」

「背中に当てて……ううん、私がやる」


 指先ですり潰し、レインの背中に当てていく。傷に触れると、ほのかな輝きがこぼれ落ちた。

 治癒魔法が使えたらいいのだが、ここで使う事はできないし、そもそもアンジェには扱えない。治癒魔法は光と決まっている。よく知らないが、昔からそうだ。


 植物と光は相性がいいが、だからといって、植物型のアンジェが光魔法を使えるわけではない。


「……っ」

 傷に障るのか、レインがわずかに息を詰める。それを見て、思わず手が震えた。


(どうしよう)

 どうしたらいいんだろう。


「……なんて顔してるの」


 泣くのをこらえているせいで、ひどい顔になってしまった。それを見て、レインがおかしそうに笑う。


「心配しなくても、君くらい守ってあげるよ」

「そんなこと言ってるんじゃない……」

「今のでずいぶん楽になった。手当ての才能だけはあるね、君」


 からかうように言われたが、ろくに返事もできなかった。

 彼が怪我をしたのは自分のせいだ。


 レインひとりだったら、もっとうまく立ち回れた。この場所に逃げ込む時だって、ずっと効率のいいやり方ができたはずだ。

 魔獣の攻撃から守ってくれたのも彼だ。アンジェだけだったら、今ごろは地面に転がっていた。レインがいてくれたから、何度も攻撃をかわせたのだ。


(私がいなかったら)


 レイン・エインズワースは、魔獣と戦う事も、こんな怪我を負う事もなく、きちんと対処できたのに。


「ご、ごめ……」

「……エイベル?」


 レインが戸惑ったように名前を呼んだ。

 そういえば、彼がアンジェを名前で呼んだ事はなかった。いつも「君」とだけ言い、どうしても必要な時は名字で呼んだ。

 他の女の子達はみんな名前で呼んでいるのに、どういうつもりかと腹が立った。それほど嫌われているんだとも。


 お返しのように自分はフルネームで呼んでいたが、いつの間にかそれが癖になった。

 彼は自分だけを名字で呼び、自分は彼だけをフルネームで呼ぶ。

 当たり前のようになってしまったが、よく考えればどうしてだろう。


(こんな時なのに)

 そんな事を思ってしまうのは、多分、涙が止まらないせいだ。


「……泣かないで」

 しゃくりあげていると、困ったように言われた。


「君がそんな顔してると調子が狂うな。いつもみたいに、考えなしの強気でいてくれないと」

「うるさっ、バカ……」

「その調子」


 何を言われても、アンジェの涙は止まらなかった。

 迷惑をかけると分かっているのに、どうしても泣き止む事ができない。レインの前で泣くなんて屈辱だ。それも、彼本人が原因だなんて。


 それなのに、しゃくりあげる声が止められない。

 ぽたぽたと涙が地面に落ちて、小さくはじける。

 それを見て、レインが困惑した顔になった。


「本当に調子が狂うな。エイベル、泣かないで」

「な、泣いてないっ……」

「泣いてるだろう、どう見ても」

「泣いてない……っ」


 ぐしゃぐしゃな顔のまま言っても、説得力は皆無だろう。あとで絶対にからかわれるだろうが、そんな事はどうでもいい。

 ひくっとしゃくりあげた時、目元にそっと指が触れた。


「……だから、泣かないでくれないかな」

「な……」

「君に泣かれると、落ち着かなくて困る」


 レインの指が、アンジェの涙をすくい取っていた。


 目を上げると、彼は本当に困惑した顔をしていた。

 途方に暮れた、といった方が近いかもしれない。女の子の扱いなんて手慣れているはずなのに、その仕草はどこかぎこちない。それとも、怪我をしているせいだろうか。アンジェに触れる手つきが慎重で、こわごわしている。まるで大切なものを扱うようにそっと。


 やさしくぬぐわれて、なだめるように頬を包む。あまりにびっくりして、思わず涙が引っ込んだ。


「レ、イ――」

「いつもみたいに、ゴリラ顔負けで騒いでほしいな。その方がいい」

「……何よ失礼ね!」

「ああ、ゴリラが怒った」


 ふざけるなと言い返したが、その声はいつもより元気がない。

 レインの背中からにじみ出る血は、服にじわじわと染みていき、今はそのほとんどを赤く染めていた。

 血が止まったように見えるのは、願望が見せる錯覚だろうか。レインの顔色は青ざめている。もはや残された時間が多くない事は明らかだった。


「……そういえば、僕に話があるんじゃなかった?」

「え……?」

「何もすることがないんだから、話してくれないかな。何の話?」

「それは……」


 こんな時にと言いかけて、こんな時だからだと思い直す。

 けれど、頭の芯が麻痺したように動かない。それでも話があった事だけは覚えていて、アンジェはあいまいに頷いた。


「そう、言わなくちゃいけないことがあって――」


 せめて少しでもレインの気が紛れるように。そう思いながら、言葉を紡ぐ。


「夢を……見たの。だから、伝えないといけないって、思ってて……」

「何を?」

「それは――……」


 その時だった。

 アンジェの目が、こぼれそうなほど見開いたのは。


(あ……)

 ()()()


「……知ってる……」


 自分は、この光景を知っている。


 レインと笑い合ったのは二度目だ。


 一度目は夢の中で、アンジェは確かにそれを見ていた。

 彼が大怪我する姿を見たのも初めてじゃない。夢の中で、レインは傷を負っていた。アンジェはそれも見ていたはずだ。


 どうして忘れていたのだろう。

 いや、それ以前に、どうして彼に言わなかったのか。

 自分は、この未来が起こると知っていたはずなのに。


(私のせいだ……)

 先ほどよりも強く、強く、そう思った。


「エイベル?」

 急に動かなくなったアンジェに、レインが不思議そうな顔になる。


「……ごめんなさい」

 アンジェは唇を噛みしめた。


「私が、言えなかったから……。こ、こんな怪我したの、私のせいだ……」

「どういう意味? 君のせいじゃないよ」

「違う、私のせいなの」


 かぶりを振り、込み上げてきた涙を飲み下す。ごしごしと目を擦り、一度深呼吸した。

 そこでアンジェは話し始めた。


 今からしばらく前、不思議な夢を見た事。

 その夢の中で、自分とレインはとても仲が良さそうだった事。

 それとは裏腹に、取り巻く状況は危険だった事。

 二人とも傷だらけで、特にレインは瀕死の重傷を負っていた事。

 レインが自分を助けるために、何かを行ったらしい事。

 気づけば目が覚めていて、数年前に巻き戻っていた事。

 そして、古ぼけた指輪だけが枕元にあった事。


 キスの事は言えなかった。けれど、分かる限りの事を話した。

 そして、二度目の夢の事も口にした。


「夢の中で、レインがひどい怪我をしてて……。こ、声が聞こえた。『試練』って言ってた。未来で死ぬはずだった私たちを、運命は逃がさないって」

「僕()()?」

「も……もっと早くに言えばよかったんだけど、言えなくて。し、信じてもらえないと思って……」


 ごめんなさいと頭を下げる。

 止まったと思っていた涙が地面に落ちて、パタパタとはじけた。


(私は馬鹿だ)


 恥ずかしいなんて思わず、変な目で見られる事など恐れずに、さっさと話してしまえばよかったのだ。


 そうすれば、彼がこんな怪我をせずに済んだ。危険な目に遭う事もなかったかもしれないのに。

 それができなかった情けなさと後悔に、自己嫌悪が込み上げた。


「……それが、君の話したかったこと?」

 静かな声で、レインに聞かれた。


「うん……」

「前に、夢の話だって言ってたね。なるほど、そういうことか」

 分かった、と呟く。


「信じるよ」

「え?」

「君は嘘をついてない。そうだろう、エイベル」

「で、でも、こんな馬鹿げた話なのに」

「馬鹿げていてもなんでも、君が嘘をついていないなら、それは真実だ。そうだろう?」

「だけど……」

「それと、エイベル。ひとつ言っておく」


 言葉と同時に、ぶにっと頬をつままれた。


「君は悪くない」

「……ひゃい?」


「君が言えなかったのは当然だし、僕が信じる保証もなかった。事前に言われても、同じ結果になったはずだ。君が気にすることじゃない」

「でも、私がちゃんと教えてれば……」

「関係ないよ。言っただろう、君のせいじゃないって」


 ぶにぶに――正確に言えば、ぷにぷにと頬をつまみながら、「君は悪くない」と繰り返す。反論したかったけれどうまくできず、アンジェはそれを引きはがした。


「……なんで人のほっぺたで遊びながら慰めるのよっ」

「つまみ心地がいいから。肌すべすべだね、君」

「セクハラすんな」


 だが、おかげで涙は止まっていた。

 それに気づくと、急に顔が赤くなる。


「と……とにかく、言いたかったことはそれだけよ」

「それで全部?」

「……まあね」

 キスの事は言わなかったが、ほとんど全部伝えられた。


「夢の中では、僕と君、仲良しだったんだ?」

「夢じゃなくて、未来! しかも数年後よ、誤解しないで」

「未来の君と僕は仲が良かったんだ?」


 言い直されて、余計に顔が赤くなる。


「知らないわよ、そんなこと」

「どんなふうに仲が良かったの?」

「だから知らないったら」

「君しか見てないんだから、教えてほしいな。友達みたいだった? それとも親友みたいだった? 君と仲がいい僕なんて、想像もつかないんだけど」

「親友って言うか……」


 ――あれは、むしろ。


(こい――)


「エイベル?」

「ちちち違う! あれはそんなんじゃなくて、あんたが勝手にっ……」

 言いかけた口をふさがれる。


「!?」

「しっ」


 来た――と囁かれる。

 その声は鋭く、わずかな緊張が含まれている。

 何がと思った直後、唸り声が響いた。



 ――ウォオー―――ォォォオオオン!



 一度は遠ざかったはずの魔獣が、ふたたびこの場に戻ってきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ