10.試験開始
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翌日、レインは普通に現れた。
すぐにでも話をしたいのは確かだが、まずは試験を受けなければ。
はやる心を抑えつつ、アンジェは教師の説明を聞いた。
「さて、それじゃあいよいよ模擬試験だが、今年も実践方式で行く。みんな、動きやすい服装をしてきたな?」
はーいと答える生徒達に、ひとつ頷く。
「今年はロズリーの丘に咲く花を摘んできてもらう。知っての通り、あの花は万能の薬草になる。無事に丘の上までたどり着き、花を摘んだ人間を合格とする」
ロズリーの丘とは、魔力に満ちた場所である。
麓から丘まではいくつかの道に分かれていて、どこからでも登る事ができる。ただし、途中に魔力地帯があり、侵入者の行く手を阻む。人々はそれを「ロズリーの丘の試練」と呼ぶ。
初級魔法さえ覚えていれば、なんとかやり過ごせるレベルの仕掛けだ。大怪我をするほどではないが、油断すると痛い目に遭う。命の危険はないものの、危ない事に変わりはない。
生徒だけで来る事は禁止されているため、こんな時でもなければまず訪れる事のない場所だ。案の定、彼らは目を輝かせている。
「とはいえ、万が一のこともあるからな。二人一組で行くように」
今回は模擬試験なので、あくまでも感覚をつかむためという事らしい。
次々にペアが発表され、みんなはしゃいだ顔で歩き出す。ちなみに、ダレルの相手はレベッカで、レベッカが絶望的な目をしていた。
ある一定のところまで進むと、その姿は霧に包まれて見えなくなった。
「じゃあ次。アンジェレッタ・エイベルと、レイン・エインズワース」
「えっ……」
予想外の組み合わせに、アンジェが目を見開く。
「たまにはいいだろう。さ、行ってこい」
「ええぇ……」
「行くよ」
情けない声を出したアンジェには構わず、レインがさっさと歩き出す。慌てて後を追いながら、アンジェは「待ってよ」と文句を言った。
「すぐに魔力地帯に入る。付いてこられないなら置いて行くよ」
「誰がよ。こっちこそ置き去りにしてやるから」
「勇ましいね」
ふっと笑う顔は楽しげだ。言いたい事はあったものの、アンジェはぐっと黙り込んだ。
まずはこの試験に合格するのが優先だ。その後、改めて話をしよう。
(ちゃんと聞いてくれるって言ってたし……)
それだけで安心するのが不思議だ。
彼は約束を守ると知っているからだろうか。それとも単に、プレッシャーから解放されて、ほっとしているせいだろうか。
深く考えると気恥ずかしくなりそうなのでやめた。頭を振り、試験に集中する。
道は木々の入り組んだ場所に差し掛かり、周囲に霧が立ち込めた。ゆっくりと魔力の気配が立ちのぼってくる。
(試験開始だ)
ロズリーの丘の試練は三つ。人によって降りかかる試練は違うが、その数は変わらない。
魔力型に反応しているという説もあるが、詳しくは不明だ。ちなみに、魔力を持たない人間にはただの丘だが、彼らに花を摘む事はできない。試練を経ないと、花を見つける事ができないせいだ。
過去、魔力持ちとそうでない人間が同時に丘を登ったが、途中ではぐれてしまい、とうとう会う事はできなかった。
ちなみに、丘を下った先で無事再会できた。魔力なしの人間は花が見つけられなかったが、試練を突破した方は花に出迎えられたそうだ。同じ時間に頂上にいたはずなのに、互いに姿は見えなかったという。
興味を持った研究者が実験してみたが、やはり真相は分からなかった。体を紐で結んだり、手をつないだりして試したが、どうしても途中ではぐれるそうだ。興味深い話である。
何気なくそんな話をすると、レインはいたずらっぽく笑った。
「じゃあ、僕らも手をつなぐ?」
「ばっ……つ、つながないわよ、何言ってんの!?」
「なんだ。つないでほしくて言ったんだと思ったのに」
「寝言は寝て言え」
「君のそれ、ほとんど口癖だよね」
前にも聞いた、と笑みをこぼす。
その顔があまりにも楽しげだったから、アンジェはどきりとしてしまった。
「君ならどうやって試す?」
「え? えーと……」
しばらく考えてから、「…おんぶ?」と口にする。
「悪くないね。手をつなぐだけじゃ心もとないし、しっかり密着できそうだ」
「あんたはどうなの」
「僕? そうだな、同時に登るのが無理なら、紐を持って魔力持ちに登ってもらって、その紐を辿るなんてのはどう?」
「あ、なるほど」
「あとは匂いとか、特殊な道具を使って足跡を辿ったり……」
雑談を交わしながら、アンジェは不思議な感覚に陥っていた。
レイン・エインズワースは、こんなに話しやすい人間だったのか。
いつも口喧嘩ばかりしていたので、まともに会話したのは数えるほどだ。というか、憎まれ口ばかり叩いてきたので、普通に話した記憶がない。もっとも、減らず口を叩いてくるのはレインだが、アンジェも言い返しているので同じかもしれない。
彼と交わす何気ない会話は、なんだかひどく心地よかった。
と、目の前がポウッと光った。
「初めの試練だね」
レインがすぐに身構える。
「赤……火型?」
「多分。来るよ」
言葉と同時に、火の玉が勢いよく飛んできた。
「!!」
「よけて!」
反射的に身をかわしたアンジェの横で、レインが氷のつぶてを放つ。それは的確に火の玉を捉え、ジュッと目の前で蒸発した。
「油断しないで。次が来る」
その言葉通り、次はアンジェを狙ってくる。
守ろうとしたレインを制し、アンジェも手のひらに魔力を込めた。
教師の言った通り、火の玉は小さめで、初級魔法でも対応できるレベルだった。当たったら火傷をするだろうが、命の危険があるほどではない。
初級魔法、言い換えれば生活魔法のレベルでどうにかなるなら、アンジェにだって対処できる。
(相手は火……)
植物魔法のアンジェにとっては相性が悪い。けれど、できる事はある。
アンジェは植物の弦を伸ばし、それを火の玉に向けて放った。
レベッカほど上手くはないが、鞭のようにしなった弦が火の玉を切り裂く。二つ、三つと火の玉を消し、アンジェは油断なく周囲を見回した。
(あと二つ……)
火の玉は五つ現れた。残りは二つ。
と、先ほどよりも勢いを増した火の玉が襲いかかる。
「四、……五!」
すべて叩き消すと、霧の一角が晴れた。
「これで終わりってこと?」
「ひとつ目はね。あと二つだ」
お疲れ様、とレインが労ってくれる。そんなやり取りも新鮮だ。
「弦の使い方、面白いね。どこで覚えたの?」
「前にレベッカがやってるのを見て、試してみたの。便利そうだなって思って」
「ああ、なるほど」
火と植物では勝手が違うが、実態がある分、アンジェでも扱いやすいと思ったのだ。
といっても、まだまだ技術が追いつかないのが現状だけれど。火の玉があと少し速かったら、火傷していたはずだった。
(確かにこれはちょうどいいかも……)
魔法の訓練にもなる上、課題を成功させたかどうか一目で分かる。そして命の危険はない。
試験に使われるわけだわと、しみじみと納得する。
その後も風、雷の試練をこなし、ようやく丘にたどり着いた。
「わぁ……」
丘の頂上には木が一本生えていて、その足元に薄紫色の花が咲き乱れていた。
「綺麗……」
「フレアベルの花だね。摘んでいこう」
花びらをすり潰せば血止めになり、乾かして使えば鎮静効果が、葉は熱冷まし、根は腹下しなど、万能薬草とも言われるゆえんである。
不思議な事に、他の生徒の姿は見えない。ここまで来る間にも、一度もすれ違わなかった。
どういうからくりなのかは分からないが、他者とは出会わないようになっているらしい。
「他の人も来たのかな?」
「多分ね。僕らも早めに戻ろう」
花を摘むと、ふわりと甘い香りが漂った。
「この丘、恋人の丘とも言われてるらしいね」
花を手にしたレインが何気なく言った。
「二人でここを訪れて、花を摘んでキスすると、永遠に離れないそうだよ」
「へーそうなんだ」
「びっくりするほど気のない返事だね」
「だって関係ないし。どうせレベッカでしょ、それ言ったの」
「まぁそうだけど」
大方、一緒に行こうと誘われたに違いない。先ほども言った通り、生徒だけでは来られない場所なので、レベッカの希望は叶わなかっただろうが。
「もしかして、レベッカと一緒に来たかった?」
ふと思いついて聞くと、彼は微妙な顔をした。
「そういうわけじゃないよ。レベッカは可愛いと思うけどね」
「じゃあ、一緒に来たかった人がいるの?」
「……君、デリカシーがないって言われない?」
「あんたにデリカシーが必要だと思ったことないから」
「へーそう。僕も君にだけは必要じゃないと思ってるよ」
何よ失礼ね! と言い合っているうちに、いつもの空気になってしまった。先ほどは平和だったのに、どうしていつもこうなのか。むすっと口をつぐみ、アンジェはそっぽを向いて歩き出した。
黙り込んだまま歩いていると、ふたたび霧の中に入る。
ここから三十分ほど歩けば元の場所だ。あとは戻るだけなので、やや緊張もゆるんでいる。
レインは何も言わないけれど、沈黙が妙に居心地悪い。
(何よもう……)
何か機嫌を損ねたのだろうか。
からかったわけでも、レベッカとの仲を邪魔しようと思ったわけでもない。それなのに、どうしてそんな顔をするのか。
もしかして、何か変な事を言ったとか?
だけど、思い返してみても心当たりがない。
(私が、一緒に来たかった人がいるのって聞いたから……?)
けれど、それで不機嫌になる理由が分からない。
ああもう本当に面倒くさい。なんなのよコイツ、と内心で毒づく。
そういえば、言わなくちゃいけない事があったはずなのに――……。
「君は卒業したらどうするの?」
ふと、レインに聞かれた。