Case1:≪記憶眼鏡≫⑥
あれから三日が経った夕方、この件で緊急の全社MTGが行なわれた。
このMTGまでの間、あたしはカタンの監督の元、再発防止のためのなぜなぜ分析をひたすらにやらされた。なぜ、なぜと問題を深堀りしていくと、気がつけば何故か毎度謎のループに陥っているあれである。前世の世界でも一部にこの手法をやたらと好む人間がいたが、まさか転生してきた先の異世界にもこれが存在しているとは思ってもいなかった。
あたしとカタンは、このMTGの様子を近くの会議室に設置された≪映写鏡≫――≪星信貝≫に似た仕組みでできたテレビのような魔法アイテムを通じて見た。ちなみにこの魔法アイテムは、前世の世界で日曜日の朝に放送されていた某女児向けアニメのアイテムを彷彿とする見た目をしており、いつものことながらどうしてこの安っぽいビジュアルで売れると思ったのか謎の一品である。
≪映写鏡≫に三十代後半くらいと思われるボブカットの塩顔美人――アネッサの姿が映り、言葉を発した。
「来週に大型の新商品のローンチを控えていますが、皆様もご存知の通り、先日、インシデントが発生しました」
確か、インシデントとは事故とはならなかった事件――要は大事には至らなかった事件を指す言葉のはずだ。アネッサは滔々と先日の記憶眼鏡の件についての経緯と対応内容を述べていく。
「今回は大事には至りませんでしたが、以前にこのような経験をされたことがある方が皆様の中にもいらっしゃるかと思います。そうした皆様のヒヤリハットをノウハウとして蓄積し、更にはインシデント発生時の早急なエスカレーションの徹底、コンティンジェンシープランの再検討が喫緊のビッグイシューかと思います」
彼女は一息にそこまで話すと一度言葉を切る。どうやらアネッサは、トラブルが起きたときの対応についての問題提起をしているようだとあたしは乏しい語彙力でどうにか理解した。すう、と画面の向こうのアネッサは息を吸うと、
「さて、今回の件は、バジェットのショートに伴う直近のコストリダクションにより、バッファの確保が難しく、タイトスケジュールが続いていたことに端を発しています。そのため、組織としてドラスティックな改革が必要だと考えております。具体的にはアウトソーシングを積極的に取り入れダイバーシティの実現を図ることで、同時に社内のリソースを……」
≪映写鏡≫に映るアネッサが一体何を言っているのか、相変わらずあたしはさっぱりわからなくて目を白黒させる。こんなに謎のカタカナを連発されては全然話についていけない。
「カタンさん、アネッサさんは一体何をいっているんですか?」
隣に座るカタンの服の袖をあたしが引っ張ると、カタンは面倒くさそうな顔で、
「要は人件費不足でスケジュールがかつかつになりがちなのを外部から安い人材を調達してきてどうにかしようって話だよ。わかったら黙って聞いとけ」
解説してくれたカタンに礼を述べると、あたしは口を噤んで、相変わらず意味不明なアネッサの話に耳を傾ける。あたしがこの世界でまともにやっていけるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだった。
それから更に二週間が過ぎた。一週間前の大型商品の発売を無事に乗り越え、社内は徐々に落ち着きを取り戻してきていた。
「なあ、リウ、前に一回ペンディングしてたあの件、もう一回動かすことになったじゃん? あれって結局誰がドライブするんだっけ? 俺はてっきりアネッサの奴がイニシアチブ取ってるもんだと思ってたんだけど」
カタンの言葉にイニシアチブってなんだっけ、と思いながらあたしはデスクの引き出しにしまっていた単語帳を繰る。イニシアチブは主導権だ。ドライブは進めるという意味だが、カタンの言う通り、大抵のことは社内のいろいろなことに首を突っ込みがちなアネッサが進めている印象がある。
違うんですか、とあたしがカタンに問うと、カタンは肩をすくめ、
「それが、アネッサが言うにはリウマターで進めることでオーソライズ済みだとよ」
オーソライズってなんだっけと再び単語帳をめくる。オーソタイズは了承、マターは担当という意味のようだが、知らないうちにあたしが担当者に決まっているのは何かがおかしくないだろうか。
「あたしそんなの聞いてないですよ!」
あたしが一拍遅れて憤慨すると、
「諦めろ、アネッサの言うことは絶対だ。あいつが黒って言ったら白いものも黒くなるのがうちの会社だ。俺だってあいつには逆らえねえ」
「そんなあ……」
あれからも、あたしは相変わらずこんなふうに謎のカタカナに翻弄されながら日々を過ごしている。
ままならないことも多いけれど、あたしは今日もここで生きている。
あたしは自分のよりよい明日を守るために、この一件についてアネッサに一言物申そうと心に決め、席を立った。