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Case2:≪無限菓子壺≫⑥

「えーと……」

 アネッサの元へ事のあらましを報告に行き、自席に戻ってきたあたしは自作の単語帳のページをぺらぺらとめくっていた。さっき、エメットがカタンに話していたのは一体何のことだったかさっぱりだったので、カタンが戻ってくるまでにあのカタカナたちの意味を押さえておきたかった。

 スイッチングコストは機材などの置き換えの際にかかるコスト、モアベターはより良い、ストアコンパリゾンは競合店を調査して自分たちの強化に役立てることだ。コンバージョンは購入者の割合、シーズはビジネスになる可能性のあるノウハウ、コアコンピタンスはその企業の特色、フィジビリは実行可能性調査という意味のようだ。

 この世界に転生してきて、しばらく経ったが、前世では意識の低い社畜だったあたしにはまだまだ耳慣れない単語が多い。はあ、と溜息をついていると、ふっとあたしの嗅覚を馴染み深い煙草の匂いが撫でる。どうやら喫煙所に寄っていたカタンが戻ってきたようだ。

「カタンさん」

「おう、リウ。アネッサはなんて?」

「報告してきましたけど……アネッサさん、笑ってましたよ」

 アネッサが笑うのも無理はない。エメットが持ち込んで置き忘れた≪無限(スウィート・)菓子壺≫(スプリング)が発していた魔力が原因だったなど、あまりにもお粗末に過ぎる。

「しかも、お前、エメットに向かって『おっ……おばけぇぇぇぇぇぇ!』だもんなあ。これが笑わずにいられるかっての」

 あたしの口真似をしながら、カタンはげらげらと笑う。自分でやっていてツボに入ってしまったのか、腹痛ぇなどど言いながら、すらりとした長身をくの字に折っている。

「もう……カタンさん、やめてくださいよ。それにそんなに騒ぐと他の部署に迷惑ですから」

「大丈夫大丈夫、今日は聖夜だし誰もそんなこと気にしねーよ。みんな出社こそしてはいるけど、ほとんど仕事やる気なんてねえから。今日みたいな日にやる気満々なのお前やエメットくらいだぜ?」

 カタンさんはいつもあんまりやる気ないですよね、とあたしが半眼で突っ込むと、

「おうよ。っていうかよく考えてみろ? 普段はお前に仕事任せて、相談と報告を受ける以外俺がどっしり構えてるくらいじゃないと、本当にやばいことが起きたとき、誰がそこをカバーするんだ? 会社組織っていうものにはそういう余裕も必要なんだよ」

 わかるようなわからないような理屈を持ち出されてあたしはうーんと唸る。確かにどこかで管理職は作業者になるべきではないとかそんな話を耳に挟んだことはある気がするが、カタンのそれはどっちかというと常日頃のサボりを正当化しているだけのような気もする。

「それはそうとリウ、お疲れ。これ、やるよ」

 カタンに頭の上に何か固いものを置かれ、あたしは慌てて手を伸ばす。指に伝わるひんやりとして滑らかな陶器の感触に何だろうと思いながら、あたしはそれに視線をやる。

≪無限(スウィート・)菓子壺≫(スプリング)……」

 今一番見たくなかったそれが視界に飛び込んできて、あたしはげんなりとする。壺の中から湧き出てきたこげ茶色のお菓子を摘んで放り込む。油っぽさと共に黒砂糖の素朴な甘さが口の中に広がった。スーパーの百円コーナーに売っているもの並みの味で、めちゃくちゃ美味しいというわけではないけれど、疲労を訴える心にその甘さが沁みた。

「かりんとう……」

 西洋ファンタジー風のこの世界に転生してきてから、食べる機会のなかった懐かしい味に、あたしの口からそのお菓子の名がぽろりと転がりでた。カタンは何だそりゃとでも言いたげな顔をすると、

「へえ、それそんな名前なのか。お前よく知ってるな」

「ええ、まあ……ところで、カタンさんはどこでこんなものを?」

「さっき、上に寄ったら、アネッサに会ってな。リウにでもあげてくれって、余ってた≪無限(スウィート・)菓子壺≫(スプリング)の新味もらったんだよ」

 そうなんですか、とあたしは相槌を打ちながら、≪無限(スウィート・)菓子壺≫(スプリング)から追加で湧き出てきたかりんとうを手に取ると、「食べます?」「おう、ありがとう」カタンへとそれを手渡した。

「お、これまあまあいけるな」

 立ったままカタンがかりんとうを頬張っていると、終業を知らせるチャイムが鳴った。「おっ、やべ、帰んねーと」カタンは口の中のかりんとうを飲み下すと、書類をデスクの引き出しへと手早くしまっていく。十秒もかからずに、コートを身に纏い、バッグを手に取ると、

「それじゃお疲れ。リウ、せっかくの聖夜なんだからお前も早く帰れよ」

 良い夜を、とカタンは手をひらひらと振りながら鼻歌混じりに去っていった。まるで嵐のような自分の上司の背をぽかんとしてあたしは見送った。

 疲れたし今日は帰ろうかなあ、とデスクに向き直りかけたとき、カタンが置いたまま帰った雑誌の表紙があたしの視界に入った。なぜか表紙には「リウへ 要チェック!」と書かれたカボチャ型の付箋が貼られている。何だろうと思いながら雑誌のページをめくってみると、おすすめの菓子店情報やら、イベント情報、聖夜のディナーのおすすめ情報やらが所狭しと書かれていた。

 ふうん、と思いながら軽い気持ち雑誌を読み進めていくと、あたしは最近若い女性に人気のカフェ&ダイニングの特集ページに表紙と同じ付箋が貼られているのを見つけた。付箋には「店に話は通してある。聖夜くらいうまいものでも食って息抜きしてこい。お前のご先祖様の代わりに俺からの聖夜のプレゼントだ」と書かれていた。

「カタンさん……」

 あたしはくすりと笑った。部下のためにこんな粋なことをしてくれるなんて、カタンはとても素敵な上司だとあたしは改めて思った。きっとカタンはあたしが聖夜の存在も楽しみ方も知らないことを予期していて、こうやって準備をしていてくれたのだろう。

 今日はもう帰ろう、とあたしは心に決めてデスクの上に広げたままだった書類を片付け始める。アネッサから面倒ごとを押し付けられたせいで今日はろくに仕事が捗らなかった。けれどたまにはこんな日があったっていい、今日というこの日を楽しんで明日からまた頑張ればいいのだと素直に思えた。

 あたしは白いコートに腕を通し、キャメルのバッグを持つ。しまい忘れた書類がないことを確認すると、踵を返す。カタンからもらった≪無限(スウィート・)菓子壺≫(スプリング)がデスクの上からあたしの背を見送っていた。

 聖夜ということもあって、定時直後だというのに人がまばらなフロアをあたしはるんるんと抜けていく。

 聖夜というこの日を、カタンが与えてくれた夜のひとときを、不器用ながらも精一杯楽しみたいとあたしは心から思った。

 





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