あなたは町外れの空き家にて、 男性の死体と女性の死体、 そしてメモ帳に書かれた遺書を見つけた
遺書
短絡的だとわかっていても、
目の前の欲求に身を委ねたくなることは
誰にだってあるだろう?
仕事を休んで酒を飲みたいとか、
金欠なのにステーキを食べたいだとか…まあ、内容は人それぞれだ。
とにかく私は、それを実行してしまったというわけだ。
マリアは美しい女性だった。
容姿や性格も勿論だが、特に歌声は格別だった。
一度彼女が歌声を奏でれば、
それを聞いたカナリアが嫉妬で自殺するほどに。
…まあ流石にそれは言い過ぎかも知れないが、
とにかく、比べる相手がいないほどに
マリアの歌声は魅力的なものだった。
しかも彼女は喋り声までも美しく、
私は彼女と共に過ごすだけで幸福だった。
そんなある日、
マリアが肺炎にかかったと共通の知人から聞いた。
急いで彼女の家へ駆けつけると、
青ざめた顔のマリアが横たわっていた。
大丈夫かと問い掛けると、
そんなに焦らないで、とこちらへ顔を向け微笑んだ。
その声すらも美しかった。
彼女が言うには、今のところ命に別条はなく、
薬を飲めば直によくなるとのことだった。
けれどこれから更に気管が大きく傷つき、
前のようには喋れなくなるかもしれない、とも。
「もう歌えないのかしらね」
そう言ってマリアは大粒の涙を流した。
きっと良くなるさ、なんて言ったけれど、
なんの慰めにもなっていないのは自分でもわかっていた。
長い沈黙が続き、手持ち無沙汰になった私は
見舞いに持ってきたリンゴを剥くことにした。
ザリ…ザリ…という、リンゴを剥く音に、
マリアの苦しそうな呼吸音が混じった。
ヒュウヒュウ…ううん、ヒョオヒョオ、いや違うな。
文章では書き表せない、それは美しい音だった。
またも大丈夫かと聞くと、彼女は苦しげに
「きっと大丈夫よ」と答えた。
その掠れた声はとても魅力的で、
美しくて、
美しくて、
美しくて美しくて美しくて─────
もっともっと苦しめたら、
もっと良い声が聞けるんじゃないか?
気付いたら、私はマリアの首を絞めていた。
マリアの細く、柔らかい首。
書き表せない、とろけるようなうめき声。
私はまるでドラッグでも打ったかのように、
これ以上なく惚けた顔で彼女の首を絞め続けた。
マリアの最後の言葉は、
この文章を書いている今でも鮮明に思い出せる。
「やめて…」と。
ああ…たまらなかった。本当に美しい最期の言葉だった。
いつしか彼女から音色が聞こえなくなったけれど、
私は余韻に浸るために、
その後何時間も首を絞めたままでいた。
時間が経ち冷静になった私は、
なぜただのうめき声が歌声より美しく感じたのかを考えた。
そして答えに辿り着いたのだ。
人は絶命する瞬間が、最も美しい音色を発する瞬間なのだと。
歌声の美しさにおいては、マリアの右に出る者はないだろう。
では首を絞められた時のうめき声ではどうか?
もっともっと美しい声が聞きたい。
検証しなければならない。
さて、手頃な実験体はいないだろうか。
例えば、目の前の男性の死体を私のものだと思い込み、
熱心に偽物の遺書を読み耽っているような──
ああ、また仕事を休んで酒を飲んでしまった。
どうせクビになるのなら、酒を飲んで飲んで飲みまくろう。
美しくて、まろやかで、とろけるようなたくさんの酒を。
おわり