6.
「ここだ」
夜が明けるのを待ち、とりあえずの資金調達をするために主のおばあさんに送り出されて外に出た。
オーレリアが右手の薬指につけていた指輪を外し「これを売れば当面は何とかなるわ」というので、依然一度立ち寄ったことがある質屋に向かう。
「ほんとに、それ売っちゃっていいの?」
どうしようもない状態とはいえ、出会った時から寝るときでも外さなかったような代物を売ることになるなんてさぞや悲しいだろう。そう思ってオーレリアの方を振り返る。
「愚問ね。そういうあなたこそ、私についてくるので本当にいいの?」
「…もう決めたことだもん」
「ほら!これを売ることだって決定事項よ!」
「そうはいってもさぁ」
「そんなことより!こんなに渋い雰囲気の質屋…なんて素敵なの!!」
…心配して損した。満面の笑顔で目がキラキラ輝いてやがる。
何とも言えない気分になり、顔を目の前の質屋に戻す。
確かに渋い…というかおどろおどろしい暗い雰囲気が漂っている。シーラは依然アパートから追い出されるときに持ち出せたモノを売ろうとさ迷い歩き、この質屋に唯一すべて買い取って貰ったことがあった。
当たり前にどれも二束三文だったが、姉が客からもらってしまいこんでいたアクセサリーのいくつかに良い値をつけてもらい、なんとかアパートの滞納金を支払うことができた。あれがなかったら大家の怖いボーイフレンドに半殺しにされて売られていたと思う。
「早速入ろうか」
オーレリアを中に導くようにして先に店内に入る。狭い店内は照明が暗く、よく分からない商品が札無しで所狭しと壁沿いに並べられている。以前来た時と全く変わっていなかった。
「よお、また来たんか」
店の奥から低い声がして、ひょろりとしたぼさぼさ頭の男が現れた。
「覚えてくれてたんですか」
「客の顔は忘れねえよ。ん、そちらの場違いのお嬢さんは?」
店主はにやっと笑ってシーラを一瞥し、オーレリアに目を移した。
おとなしく中についてきたオーレリアはしばらく店内を興味深そうに見ていたが、話を振られたのでよそいき(のように見える)笑顔で言った。
「こんにちは、何も聞かずにこの指輪を買ってくれないかしら?」
まどろっこしいやり取りを全てすっ飛ばし、ズイと店主の目の前に指輪を差し出す。
店主は受けとらず、そのまま訝し気にみていたが、すぐに目の色が変わった。一旦凝視していた指輪からサッと体を離すと、右手奥にあったレジ台に向かい、白手袋と虫眼鏡を持ってくる。その一連の流れでどうやら相当な代物らしいということはシーラにも分かった。
「…これ、どこで?」
丁寧にオーレリアの手元から指輪を取り上げ、しばらく鑑定していたと思うと、心なしか震えた声で尋ねてきた。興奮しているようで目は指輪から一ミリも動いていない。
「私物よ。王様にいただいたの」
なるほど、王様…王様?!
思わずオーレリアを二度見してしまう。
「うそ、冗談言ってる場合じゃないでしょ」
「嘘なんてついてないわ。どう?あなたこれ、いくらで買ってくれる?」
シーラが驚きながらようやく反応したものの、一蹴されてしまう。もしそれが本当なら、とんでもないことだ。
店主はびっくりしたように顔を上げ、姿勢のいい『場違いなお嬢さん』を茫然と見つめていたが、同じように仰天しているシーラよりも早く正気を取り戻したようで、そっとオーレリアの手元に指輪を戻した。
「…うちはこんな町で闇商売してる店だ。わかるだろ、資金は潤沢とは言えないんだ」
「ええ、知ってる。でも私たち、なんでもいいからお金が必要なの」
この店は見た目に反して良心的である。やんわりと断りをいれようとした店主に一歩も譲らず、オーレリアが詰める。
店主はしばらく何かを考えるように視線を足元に落としていたが、頭を乱暴にかきむしって何かを決意したようにレジ台に戻り、すぐに銀色の小さなトランクを持って帰ってきた。黙ったまま壁際の商品棚にトランクを置き、ポケットから取り出した小さな鍵をカギ穴に差し込んだ。
「…これが、うちの全財産だ。この金額でいいなら買おう」
そうつぶやいてトランクを開け、こちらに中身を見せた。
二人して中を覗き込む。中にはシーラが昨日アパートで見せられた大金の10分の1程度の札束が入っていた。
「十分だわ。買ってくださいな」
「え、」
まさか了承してもらえると思わなかったのか、店主は目を丸くした。シーラにとってはこれだけでも相当な大金なので全く分からないのだが、反応を見るにどうやら指輪に見合っていないことだけは確かだ。
「うまく売ればこの100倍は値を付けて売れるわよ、良かったわね」
驚愕しているシーラと店主を置き去りにして『場違いなお嬢さん』は一人うんうんと頷く。それからいたずらっぽく笑って付け加えた。
「でも、うまくやらないとあなた消されるかもね」
「そんなこと言ったら買ってもらえなくなるでしょ!」
慌ててオーレリアの口を塞ごうとしていると、店主が俯いて肩を震わせている。
「あ、あの…?」
恐る恐るシーラが近寄ると、今度は顔を上げて大声で笑い始めた。
訳が分からず、思わずオーレリアと顔を見合わせる。
ひとしきり笑った後、店主は嬉しそうに言った。
「俺はこいつが手に入るのを夢にまで見てたんだ。まさかここで拝めるとは思わなかったけど、うん、こんな破格の値で良いってんなら喜んで買い取らせてもらうよ」
「え…この人の言うこと聞いてました?!おっかないこと言ってましたよ?!」
「いいんだ、これは売らないから。あ、正確には売れないから、だな」
「?それってどういう」
「もういいでしょう、交渉は成立よ。このトランクいただいていくわね」
いい加減オーレリアは話を切り上げたいようで、店主に指輪を託すと、サッとトランクと鍵を取り上げて店を出て行ってしまう。慌てて追いかけようとドアの方に足を向けると、背後から店主がシーラの腕を掴んで自身の方に引き寄せた。店主の細い体にシーラの背中が当たる。
「え」
「気をつけろよ」
驚いて店主を見上げると、どこか苦しそうに小さな声が降ってきた。ぼさぼさ頭で顔は影になり、よく見えない。真意がつかめないでいると、そのまますぐに体を押し戻され、今度は軽く背中をたたかれた。
「いってらっしゃい」
今度はそう明るい声で言い、くるっと反転して店の奥へと消えていってしまった。
自分がオーレリアについてこの町を出るなんて一言も言っていないけれど、何となく勘づいたのかもしれない。確かに王家の指輪を持つ女と付き合いがあるなんてあの良心的な店主にしたら心配になるだろう。そう1人納得し、オーレリアを追いかけて店を後にした。
「おまたせ」
「これで当面は何とかなりそうね」
店を出てすぐのところで、オーレリアは待っていた。駆け寄って声をかける。さっきまでのなんだか近寄りがたい雰囲気はなくなっていた。
「じゃ、そろそろ戸籍カードの再発行に行こうか」
この国は戸籍カードが無ければ家を借りることは愚か仕事を得ることも店で買い物することもできない。戸籍カードがない者は先ほどのような闇商売の店舗を探し出すしかなく、日の目を見ることは難しい。そしてその再発行手続きにはパスワードが不可欠だ。
「ついでにオーレリアの死亡届もね」
オーレリアが頷いたのを確認し、役所に向かう。
「あの指輪、本当に、その、王様から?」
道中どうしても気になり、思わず聞いてしまった。そしてすぐに、人の事情は詮索しないと決めたばかりなのを思い出す。つい聞いてしまったことをどうごまかそうか考えを巡らせていると、しばし黙っていたオーレリアが口を開いた。
「そうよ、王宮で小さいころに拾ったの。それからずっと私のものだった」
「拾…やっぱり売るのはまずかったんじゃ」
「いいのよ、心配症さん。売らなきゃ手詰まりだったじゃないの。それに、あの指輪は自分の意志であの人の手に行ったのよ。だから大丈夫」
「指輪に、意志」
「そ、気に入らなきゃ自力で行きたいところに行くわ」
王家の宝は特殊能力でもついているのだろうか。
「そんなことより、あの質屋、どうやって見つけたの?」
本当にもう指輪のことがどうでもいいようで、話題は質屋のことになる。
どうやって…あの時のことは混乱していてよく思い出せない。さまよっているうちに、いつの間にかこの辺りにたどり着いたのだ。
「あ、雨がひどかった」
「雨」
「うん、でも私傘持ってなかったから。雨宿りついでにあの店に入ったの。だから最初はわからなかったんだ。暖簾出てないじゃん?そしたら、出てきたのがあの店主で、タオルを貸してくれたんだ」
「話したら幸運にも質屋だった、って?」
「そう。姉さんが死んでから嫌な人しか周りにいなくて、あの店主が良心的な取引してくれたのにびっくりしたんだよね」
話を聞いても何か納得いっていない様子で眉をひそめている。一瞬の沈黙の後、オーレリアはまだ思案している様子で言った。
「あの店、質屋じゃない気がするのよねぇ」
珍しく根掘り葉掘り聞いてくるなと思ったら…なんだって?
「質屋じゃないって、そんな、私買い取って貰えたし、あんただって」
「普通、あの指輪が王家のものだなんて気づかないわ。どこにも目印はないし。それに、こんな女たちに有り金全部渡す質屋があるかはなはだ疑問よ。
だからね、彼、あなたを待ってたんじゃないかしら」
「どういうこと?どう考えたらその結論出てくるのさ」
「…さあ?」
「さあって、ちょっと、途中ではぐらかさないでよ…あ、逃げるな!」
オーレリアはとぼけて肩をすくめ、急に歩くスピードを上げたので、シーラも慌てて追いかける。
しばらく鬼ごっこを続けているうちに、いつの間にやら役所の前にたどり着いた。
「さてと、さっさと再発行しちゃいましょう」
相変わらず相当な体力持ちだ。あんなに早足で歩いてきたのにまったく息の上がっている様子がない。
「さっきの話、最後まで教えてくれなきゃパスワードは教えない」
「そんな!」
あまりに納得いかないのでそう言ってそっぽを向くと、慌てたように嘆かれる。このままでは埒が明かないと思ったのか、観念したように小さくため息をつき、シーラの手を引いて役所の戸を開けた。
「迂闊なこと言うもんじゃないわね」
「口は禍の元、自業自得よ」
軽口をたたきあいながら中に入る。母について一度来たことがあるだけで、中に入るのは10年ぶりくらいだった。
こんな貧乏な街の役所なので、中は非常に廃れた殺伐とした雰囲気が漂っている。まだ開いたばかりで人もまばら。数人いる役人も見るからに士気が低そうだ。これなら怪しまれずに戸籍カードを手に入れられる。
オーレリアもつい最近来ているからだろうか、中の様子に一ミリも興味を示さずにそのままシーラの手を引っ張ってひっそりと置いてあったベンチに腰掛け、シーラにも座るよう促した。
「これはね、単なる憶測の域を出ないのだけれど」
「それでも」
「うーん、怒らない?」
「内容によるね」
「…彼、そもそも人じゃないわ」
「…え、、は?」
ためにためて、渋々言うと思ったらこの期に及んで突拍子もないことを言いやがる。
「冗談辞めてよ、面白くもない」
「冗談じゃないわ、あそこにあったもの見たでしょう」
「ああ」
「何が置いてあったか、覚えてる?」
言われてみれば、記憶をたどっても何が置いてあったかまるで覚えていない。
「暗かったし、札もなかったから」
「そうね、暗かった。でも彼の顔も姿形も、彼が声を出した瞬間からはっきり見えたでしょう?」
「それはそうだけど。でもそれが何?つまり、どういうこと?」
やたらと遠回しなことばかり言うので、つい先を催促してしまう。そんなので人じゃないなんて結論にたどり着くのはいささか早とちりだ。
「つまりね、あの人の姿はまやかし。お金は本物だし、指輪が気に入ってついて行ったから悪いものではないと思うけど」
「まさかぁ」
信じられない。それだけで判断したっていうの?シーラは首を振る。どう見ても人間だった。引き寄せられた時、ちゃんと人肌だったのだ。
「信じなくてもいいわよ、別に。私も何となくそう思っただけだし。ああもう、私がイかれた奴みたいじゃない!」
ふてくされた様子で口をとがらせて嘆き、腰を上げる。そのまま約束のパスワードを聞いて手続きをしにオーレリアが行ってしまってからも、シーラはまだ考えていた。
オーレリアの言うことに賛成するわけではないが、一つだけ不思議なことがある。
引き寄せられたあの一瞬のことを思い出し、まさかね、と小さく笑う。
あのぬくもりが、昨晩感じたものに、とてもよく似ていた、なんて。