5.
「無理、無理だよ!!」
確かに危機は迫ってる。でも、3階から飛び降りるなんて無茶だ。あまりにも無謀すぎて、シーラはオーレリアを引き離してソファから出て、扉に向かう。
「待って!」
慌ててオーレリアがシーラの手をつかんだ。
「扉の前にもおそらく人がいる。あの窓なら外から見えにくいし、部屋全体見ても奥まってて見えにくいでしょう?簡単に気付かれないわ」
「飛び降りて足でも折ったら?それこそゲームオーバーだよ」
「私の運動神経、お忘れ?」
「…ああ…でもそれならあいつらも倒して「それは天下のオーレリア様でも厳しいわ。素手だし」
ああ言えばこう言う。水かけ論だ。
ふと見ると、扉もかすかに動いているのが分かった。これは思った以上に危ない状況かもしれない。やっとシーラも絶体絶命だと理解した。
ぐっと体に力を入れて、オーレリアを見る
「わかった…ちゃんと逃げ切れるんだよね?」
「そのつもりよ」
こうなったら仕方ない。死角の窓をそっと開けて二人で下をのぞく。暗くてよく見えないが、黒々としていて底がどこか分からない。
「…なんにもないね」
ごくり、と息をのむ。心臓の音がオーレリアまで聞こえていそうなくらい大きい。
「落ちたらひとたまりもないわ…」
「うん…え?これから落ちるんだよね?」
まるで落ちないかとでもいうようにつぶやくので、思わず突っ込んでしまう。
「私は落ちないわ。あなたに落ちて気を引いてもらうの」
「はぁ?!冗談じゃないよ!なんで囮なんか、やっぱやらない」
「奴らの狙いは私よ。私さえ捕まえたらあなたは殺される。もし私だけいなくてあなたがこの部屋にいれば口を割るまで拷問するでしょうね。そして最後は死よ」
至って真剣な表情に、思わずゾッとする。殺される、だって?
「逃げ切る方法はただ一つ、私がこの部屋から落ちてオーレリアだと思わせ、オーレリアはこの部屋でぬくぬく待機ってこと?」
「いーえ、あいつらがこの部屋に入ってくるのは確実。待機なんてしてたら捕まっちゃうじゃない。私はこの窓をよじ登ってもう一つ上の階に行くの。そしてあなたはここから落ちて1階の窓に潜り込んで」
「1階の窓?」
「さっきのおばあさまがかくまってくれるはずよ、事情は一応話してあるから」
「落ちる時に死にさえしなきゃ何とかなるってことね」
あと顔も見られないようにね、とオーレリアが付け加えたところで、寝室の窓の鍵が開く音がした。
時間がない!まず初めにオーレリアが窓の淵に手をかけ、壁の小さなくぼみに手をかけてするすると登って行った。器用なものだ。
感心していると、扉と寝室の窓が一気に開く音がした。かなりの人の気配がする。
もう、どうにでもなれ!!
シーラは目をつぶって窓から身を放り出した。
___
ドサッ
いたた・・・裏は庭になっていたようで、案外衝動は少なく済んだ。そのまま顔全体に土を擦り付ける。これなら顔なんてわからないだろう。
折角お風呂に入って綺麗になったのに、結局土まみれだ。もう何がしたいのか自分で自分がわからない。
慌ててパッと飛び降りた窓を見上げたが、誰もいない。まだこの窓のことは気付いていないようだ。
もう一つ上の4階の窓が開いているということは、オーレリアが入るのに成功したのだろう。
一安心だが、こうしちゃいられない。みられる前に1階に潜り込まなくては。
急いですぐ目の前の窓をコツコツ、とノックした。
すぐに明かりがつき、窓が小さく開く。
「おやおや、どうしたの」
怪訝そうにこちらをうかがってきた主は、土まみれのシーラを見ると目を丸くして驚き、窓を大きく開けてシーラを招き入れた。
濡れたタオルをもらって身体を拭きながら、夜起きてから今までのこと端的に話して聞かせた。
主は信じられないといった様子だったが、最終的には「あの子が言ってたことは本当だったんだね」とうなずいた。どうやら人に追われている、という彼女の言い分を「舞台でも見すぎたんだろう」と信じていなかったらしい。ともあれ、主が親切で助かった。
ずいぶん長いこと経ったが、依然としてオーレリアから何の音沙汰もない。主が「お芝居の一員になれた気分だよ!」などとはしゃいでいるのを見ていると、さっきのは自分の夢だったのではないかとさえ思えてしまっていた。
キンコーーーン
外付けのベルが鳴ったらしい。一気に緊張感が走る。主が少しこわばった顔で席を立った。
「はーい、どちらさ「大成功!」
扉を開けた先に立っていたのは、紛れもない、オーレリア、その人だった。
シーラも主も、あまりの大声にびっくりしてしまう。時刻は明け方に近かった。
そんな二人を満足気にみてうなずき、「おばあさあが4階にお客入れてたら一貫の終わりだったわ!ありがとう!」と主の手を取って礼を言ったのを見て、ようやくシーラも嬉しさがこみあげてきた。
「無事でよかった~~~~~」
「ほんとにねぇ」
緊張の糸が解け、今更ながら睡魔が襲う。結局寝れたのは4時間ほどだった。
「戻って寝よう」
シーラが3階に戻ろうとするのを、またしてもオーレリアが制止した。
「あの部屋にはもういけないわ」
「え、なんで」
「居場所がばれてるのよ?まだひとりふたり中で息をひそめてるはずよ」
「あ、そっか…。 !! ってことは!!」
「「一文無し?!?!」よ」
あまりの急展開に眠気が吹っ飛んだ。「あらら」と主が口元を押さえている。
「あんた、これからどうするの」
金持ち風情が、一文無しで生きていくなんてできない。
「そうね…どうしようかしら」
「策はないの?」
「なんでもお金で解決してきたし…」
とんでもパワーワードである。
だが今は、そんなことに驚いてる場合じゃない。
「つまり、私にもお金、払えないってことだよね」
「…そうなるわね、ごめんなさい」
悲しげに目を伏せ、オーレリアはシーラに深々と頭を下げた。思っているより、オーレリアは手詰まりなのかもしれない。
その瞬間、シーラの中で悔しさがふつふつと湧き出してきた。
…こんな危険と隣り合わせでも、戸籍が欲しいと、生まれ変わりたいと訪ねてきた人が。地獄で生きてきて、やっとチャンスをもらえた自分が。
なぜ、こんな目に遭わなきゃならないんだ。
どう頑張っても重ならないオーレリアと自分が、今、少しだけ、重なった。
どうせ、このまま死んでく運命だったんだ。
ちょっとくらい、抗ってみてもいいじゃないか。
今なお頭を上げないオーレリアの肩がかすかに震えている。後押しはもうそれだけで十分だった。
「姉さんの戸籍は約束通りあんたにあげる。その代わり、
私も一緒に連れてって」
例えこの先何があっても。
これ以上の地獄はないでしょう?