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4.

女はシーラを連れて長いこと市場を見て回った挙句、昼食、散歩、ティータイム…

すべてに付き合わせ、どこでも楽しそうに笑った。


今朝までゴミ箱を物色していたシーラにとっては目が回るほどの贅沢を、たった一日でしてしまった。明日には死ぬのかもしれない…


そんなことを考えつつも、女について回るのはとても楽しかった。ずっと暮らしていたこの町にましなカフェやレストランがあるのなんて知らなかったし、一人生きるために暗い路地を歩き回っていたせいでこの辺りを何もせず散歩するのも新鮮だった。


ゴーーーン ゴーーーン


そうこうしているうちにあっという間に夕刻を知らす鐘が鳴った。


先ほどまで道でサッカーをしていた子供たちはもういない。これからは家族の時間。

ふと、まだ母も姉もいた頃を思い出す。

遊んでいれたのはいつまでだっけ。気付いた時にはお金のやりくりと家事全般は自分の役目だったから、あまり外で遊んだ記憶がない。それでも、泥団子を作ったり鬼ごっこをしたりした思い出が、かすかにある。

懐かしいな…


「さてと、私たちもそろそろ出ましょうか」


さっきまで淵の欠けたティーカップを傾けていたが、すっかり飲み干したらしい。

もうすでにナプキンをたたみ、上等な財布から少しばかりのチップを出す。


「本当によくもまあ、今の今まで強盗に遭わなかったね」


物を取ってくれと言わんばかりの風貌で女性が一人旅など、なぜできるのだろう。しみじみと思った言葉が、つい外に出てしまった。


「そうねぇ、ま、私、この世でトップレベルに運がいいから」


事も無げに自画自賛してから女が席を立った。シーラも慌てて席を立つ。


「やっと役所?」


「役所はもう閉まってるから、先に私の宿で契約書と謝礼金を渡すわ」


「え」


途端に目の前の女が怪しい人物に見えてきた。時間稼ぎして、私の分の戸籍まで…


「物騒なこと考えてるだろうけど、違うわよ」


シーラの心が透けて見えるのだろうか、ちらりとこちらを一瞥して、女は自嘲気味に微笑んだ。


「私もどうかしてるとは思うのだけど、なにせずいぶん長いことうまく呼吸できてなかったから…こんなに爽やかで気分のいい一日を過ごせたのが嬉しくて、柄にもなく舞い上がってしまったわ」


あ、舞い上がった自覚はあるのか。


自分の戸籍を捨てるほどだ、よっぽどのことを女も抱えているのだろう。相変わらず何を考えているのかわからない横顔を眺めながら思ったが、シーラはそれ以上聞くのはやめにした。自分だって今の現状を話せと言われても話したくなんてない。


___


しばらく歩いて、すっかり日が暮れた頃、女の長いこと滞在しているという宿についた。外壁は他のおんぼろビルと何ら変わりはないが、ドアのそばを照らすランタンの淵に小ぶりの花が差してあり、趣がある。こんな場所がスラムにもあるのかと驚いた。


女がドアを引いて中に入るのに続く。壁紙はクリーム色で、想像以上に明るい。こじんまりしたフロントが右手にあり、左手は待合所だろうか、焦げ茶色でそろえられたテーブルと椅子が並び、綺麗なパッチワークが施されたクッションが4つ、それぞれの椅子に添えられている。


「ただいま」


入ってすぐ、フロントにおいてある銀のベルをチリンと鳴らして言った。

すると、フロントの奥に広がる小さな部屋で揺れていたロッキングチェアから、小さなおばあさんが現れた。どうやらこのおばあさんがここの主のようだ。


主はゆっくりとこちらに向かい、のんびりこちらに顔を向けた。


「おかえり、遅かったね。…おや、お目当ての人、見つかったのかい?」


「そうよ。今日は泊めるわね」


「あいよ。ああ、その子の分はいらないよ、あんた、もう十分すぎるくらいもらってるって言ってるだろ」


また上等な財布を出そうとした女を主が慌てて制止する。お金はいくらあってもいいはずなのに、この人は一体いくら、宿に払ったんだ?

考えるだけで身震いしてしまう。


女は不服そうな顔をしながら鞄の蓋を閉じ、丁寧にお礼を言ってから、フロントのわきにある古びた階段の方に進んでいった。シーラも主に一瞥し、後を追う。


3階に着くと、女は鍵を取り出しながら廊下を進み、一番奥の部屋の扉を開けた。


「わあ…綺麗」


思わず声が出る。品のあるアパートといえど古い建物だと思っていたが、入ってみると想像と全く違う。

壁紙は深緑色、絨毯はワインレッドを基調とした異国情緒感じる代物で、ところどころに絵や花が行儀良く飾ってある。仕切りはないが、リビングのほかに寝室やキッチンも柱を隔てて設けられていて、女一人が住むには丁度いい、まさに小さな城だった。


女は慣れた手つきでクロシェと鞄を扉横のフックにかけ、シーラをリビングまで案内した。クロシェに隠れていてわからなかったが、ずいぶんと綺麗な栗毛がお団子にされていた。


「ここは居心地がいいから気に入ってるの」


「こんなとこあるなんて知らなかったよ」


「そうでしょうね、私がアレンジしてるんだから」


「…ん?なんて?まさか、改装したの?!自費で?!」


「そんなところ。あ、ちょっと待ってね」


とても気になるが、女はお構いなしに席を立ち、寝室部分のクローゼットを開けて重そうなトランクを引っ張り出した。


「ふう、これ、あなたの分」


トランクから大量の札束を出してテーブルに並べる。あまりの光景で目の前の光景が信じられない。

生まれてこの方、こんな大金お目にかかったことがあっただろうか…


「本当に、こんな…ううん、ありがとう」


疑いの言葉が口をついて出そうになるのをぐっと抑えて、礼を言う。


「姉さんの戸籍は好きに使ってくれて構わない。この恩は一生忘れません。何か私にできることがあれば、なんなりと」


「顔を上げてちょうだい…私も、きょう一日とても楽しかった。生き返った気がしたの。ありがとう。あ!でも、そうね、あなたには覚えておいてもらおうかな」


深々と頭を下げたシーラに女ははにかんだ。


「?」


「私の名前。オーレリア。」


ためらいながら話す姿を見て、「私はシーラ」と返して自分も気恥ずかしくなってしまった。


それからしばらく、お金をオーレリアにもらった大きなバックに入れていると、紅茶を入れたオーレリアがキッチンから戻ってきた。


「今日はこの部屋に泊まってね。私はこのソファを使うから」


「!!泊めてもらえるだけでありがたいんだから、私がソファ使う」


「お客さんなんだからダメよ、そんなの」


一向に譲る気配のない両者だったが、最後は「妹に遠慮は無用!」の一言でシーラに軍配が上がった。


それから二人でキッチンに置かれていたかたいパンに市場で買ったチーズを乗せて炙ったのを食べ、キッチンの奥につながっていたバスルームでもう何日も入っていなかったお風呂にも入ることができ、まさに夢のような時間だった。


夢の時間は、過ぎ去るのも早い。


すっかり夜も更け、つけていたランプの火が消えてしまったので、今日はもうお開きにすることにした。


「おやすみ」「おやすみなさい」


ソファといえど、以前住んでいた家のベッドより何倍も上等な品質に驚きつつ、シーラはあっという間に眠りに落ちた。


___


白い。何もない。ここはどこ?


『シーラ』


誰かが私を呼んでいる。


『シーラ、元気そうだね』


ぼんやりとした人型のシルエットが現れ、私に問いかける。

誰だかさっぱりわからない。

今日は知らない人によく会うな…


『やっと見つけたよ』


『シーラ…』


シルエットが大きくなる。けれど嫌な感じは無い。


ただ、温かいような…


___


「ん…ん?!」


「しっ!」


思った以上に暑くて目を覚ますと、先ほど寝たはずのオーレリアがシーラの上に覆いかぶさっていた。


「な、なにしてるの?!」


息苦しかったのはこのせいか。驚いて聞くと同時に、何やら寝室のそばの窓がカタカタと揺れている。まさか、強盗?今日一日浮かれていたのを見ていた人がいたのかもしれない。


「しくじったわ」


オーレリアが悔しそうにつぶやいた。


「このまま連れ戻されるのだけは絶対いや…あ」


なにやら一人でぶつぶつ言っていたが、急に何か思いつくと、シーラの耳元に顔を寄せる。


「あっちの窓から、飛び降りましょう」


そう言って、揺れている窓からは死角になった窓を指さした。


…聞き間違いだろうか?ここ、3階ですが?


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