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異世界堕悪  作者: 押入 枕
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乳と黒子


「あっ、ロティ!さっき女将(おかみ)さんが、手が空いたら事務室に来るようにって。伝えてくれって言われた。多分、酒札売り場に入って欲しいんだと思うよ。じゃあね、伝えたかんね!」


 酒場の給仕係のリリィが話しかけてきた。かと思うと必要な情報を伝えて、すぐに去っていく。

 小動物のような雰囲気の、元気で小柄な少女だ。年齢は中学生くらいだろうか。酒場の中を動き回って、くるくると実によく働く。

 酒場を見渡すと彼女だけでなく、他にも給仕係たちが忙しそうに働いている。


(酒札売り場か……まあ、給仕で走り回るよりはだいぶマシかな)


 そんな事を考えながら善仁(よしひと)は事務室に向かう。事務室の扉をノックすると、中から入室を許可する部屋の主人の声が聞こえてきた。

「失礼します」

 部屋に入り、扉を閉める。部屋の中に向き直ると、紙や羊皮紙を広げた机に向かい、何かしらの計算をしているらしい女性がこちらを向いて座っていた。


 彼女の視線は手元の書類に落としたままだ。

 ペンを握っているのと反対の手でつついているのはソロバンだ。この世界にもソロバンがあるらしい事は、酒札売り場にも置いてあるのを見て知っていた。

 彼女は顔を上げる事なく善仁に話しかけてくる。

「ああ、ロト。悪いんだけど今日も酒札売り場に入ってくれない?そしたらモリスが浮くから、酒場の仕切りをさせられるんだ」

 落ち着いた、大人の女性の声だ。といっても、彼女の見た目からして間違いなく善仁よりも若そうだが。

「どういう目的なのかは良く知らないけど、ビィズバーンに向かう船団が入港したせいだろうね。おかげさまで酒場、宿屋ともに満員御礼、大盛況だ。猫の手も借りたいくらいの忙しさだよ」

 少し声が弾んでいるように感じられる。経営者として、内心ホクホクなのだろう。


「分かりました。モリスさんと交代します。あ、あとジーナさんについたお客さんが、泊まりに変わるそうです」

 善仁は淡々と報告する。

「あらー、泊まりになっちゃったかー。今日みたいな日は酒場の客で入れ食い状態なんだから、できればちょんの()で回転しまくってくれた方が効率良いんだけどなー。ま、あの娘たちは泊まりの方がそりゃ楽なんだろうけどねー」

 残念、残念、と呟く彼女こそが、この自称「無鉄砲通り、いやロデオンで一番」の酒場兼宿屋、「紅兎亭(くれないうさぎてい)」の経営者にして責任者の、女将ハンナその人であった。


 毎日着るドレスと髪型を変える彼女だが、今日は見る者の目を引くであろう亜麻色の巻き髪を、頭の後ろで結っていた。

 解いたらおそらく腰のあたりまで伸ばしていると思われる長さのその髪は、蝋燭の光を反射してツヤツヤと、ところどころ輝きを放っている。

 元々の肌の色が白いのだが、化粧によってより白くなった顔に、睫毛(まつげ)の長いやや垂れ目がちな目と、真っ赤な口紅が塗られた肉厚な唇が目立って存在を主張している。

 その唇の(そば)にある小さな、それでいてくっきりと浮かぶ黒子(ほくろ)など、細かい部分を上げていけばキリが無いのだが、彼女の見た目から受ける印象は、おそらく万人にとって同じようなものであると思われる。


 とにかく色気が凄いのだ。

 ざっくりと胸元が開いたドレスに豊満な身体を押し込めており、そのせいで「何が」とはあえて言わないが、ドレスの胸元からこぼれ落ちてしまいそうで心配になる。

 それを必死に支えようとしているドレスを、あまりいじめないでやって欲しい。

 さらに彼女の腰回りの肉付きについてだが、善仁の採点基準に照らし合わせても間違いなく100点オーバーだ。

 今日はさらにそこへおまけで、髪をアップにしているおかげで見える、うなじから背中にかけてのラインと、デコルテの曲線美の美しさまでもが加算されてしまうのだ。

 おお!一体どうなってしまうのだろうか。


 そんな調子で、彼女の全身から(にじ)み出る色気が、まるで彼女が付けている香水の匂いに混じって周囲に漏れ出ているかのように、善仁には思えるのだった。


 たまたまハンナが受付を担当しているタイミングで娼婦を求める客が来た場合、その中でも特に客が初見の客だった場合は、受付に座る彼女の姿を見るなり、まず例外なく指名しようとする。

 それをいちいち断るのが面倒なのだろう。彼女自身が進んで受付に座る事はあまり無いようだった。


 実は善仁も先ほどからハンナの目が書類に向いているのを良い事に、チラチラと目の焦点を彼女の胸元に合わせてしまっている。

 イカンイカンと思ってその度に目を逸らすのだが、男の本能には逆らえず、気付けばいつの間にかまた見てしまうという調子だった。


(初めて会った時から思ってるが、うん、いつ見ても本当に魔性の乳、そして見事なすけべボクロだな、これは)


 彼女の胸の谷間と、口元の黒子を交互に見ながら善仁は思う。そう、どうしても見てしまう。

 この強制力は何かの呪いの一種なのではなかろうか?

 ずっと書類に視線を落としているのも、もしかしたらわざと隙を作っているんじゃないのか。そんな疑念さえも湧いて来る。


「それでは仕事に戻ります」

 ……名残り惜しいが仕事はせねば。


「はーい。行ってらっしゃーい。稼いで稼いでー」

 手をヒラヒラさせながら、ハンナは明るい声で善仁を送り出す。


 事務室を後にした善仁は、思わず半笑いになってしまいそうな表情筋を抑えつつ、つい先ほどまで網膜に写っていた映像を脳内に焼き付けながら、今度は酒札売り場に向かうのであった。


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