焚き火を囲んで
「いやあ、良い男になったじゃないか」
焚き火を挟んだ向こう側、正面に座っている男は、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら善仁に話しかけた。
例の善仁を起こして水筒を渡した男だ。男の目は、先ほど殴られた事によって腫れて変色した善仁の顔を見ている。
他の男たちも、同様にニヤついた顔だ。彼らの視線は、どうやら善仁の顔と、もう一人との間で往復している。
そのもう一人は話しかけてきた正面の男の右隣に座って、つまらなさそうに焚き火の炎に目を落としているようだ。言うまでもなく、善仁を右ストレートでノックアウトした例の彼女である。
善仁と他の面々は焚き火を中心に円座を組んで座っていた。小休止と言うことで、皆それぞれ、先程沸かした湯で淹れたお茶が入った、木で出来た湯呑みを持っている。
彼らは親切にも善仁にもお茶を淹れてくれたが、善仁の両手首は縛られたままだ。
正面の男に続くように善仁の右隣に座っている男が口を開く。彼は全体的に短く切った髪の中で、襟足だけを伸ばしている。
「災難だったな、だけどまあ、仕方ない。うちの〝お嬢様〟の、生まれたままのお姿を拝見したわけだからな。……ん?でもそういう事なら殴られたとしてもお釣りが来るぐらいには幸運だったと言った方がいいんじゃあないか?俺らも物音に気づいて駆けつけるのがもう少し早かったら拝めたのになあ。いやいや、実にうらやまし……」
そこまで言いかけたところで、例の彼女がいきなり手に持っていた何か果物のような物を、男に向かって投げつける。
投げつけた何かは男のすぐ横をかすめて飛んで行き、地面に落ちて転がっていく。彼女はさらに二個目を投げようと予備動作に入る。
「悪かった、悪かった、冗談だよ、ヴィータ。冗談だ。落ち着いてくれよ。へへへ……」
男は謝るが、顔はニヤけたままだ。ヴィータというのが彼女の名前なのだろうか、自然と善仁は彼女に視線を向ける。
すると彼女も善仁の方を見た。瞬間、ものすごい形相で睨んで来る。美人が台無しだ。慌てて善仁は目を逸らす。
「まぁ良い挨拶がわりにはなったんじゃないのか?これで俺らがどういう人種なのかも、もう大体分かっただろうしな」
正面の男が口を開く。それを受けてヴィータと呼ばれた彼女はおとなしくなったかと思うと、予備動作で固まったままの姿勢を解いて座り直し、また焚き火の炎を見つめ始めた。表情には心なしか少し不服そうな色が見える。
(大体分かっただろうって……いやいや、全然分かりません。何が起きてるのかさえよく分かってません)
声には出さず、心の中でつぶやく。ちなみに正面の男が人種と言ったのは人間の性格といったニュアンスで言っているんだよな、いわゆる肌の色がどうこうとか、そういう意味じゃないよなと、ヴィータ嬢の銀髪からのぞく尖った耳をチラチラ見ながら善仁は思う。
ちなみに川から助け起こされ、円座に加わった時に気づいたのだが、驚く事に善仁以外の全員が、変わった耳の形をしている。何というか、先端が尖っているのだ。
ヴィータ嬢ほどは目立って長くないが、明らかに善仁が見慣れた「人の耳」の形ではない。気づいてからは善仁はより混乱している。
「長い付き合いをするわけでもないだろうし必要無いのかも知れんが……。まぁ名前くらいはな、聞いてもバチは当たらんだろう。あんた、名前はなんて言うんだ?」
正面の男が聞いてきた。皆の目が善仁に集まる。
「……ええと、善仁です。佐藤善仁と言います」
おそらくここに居る、焚き火を囲んで円座に座っている善仁以外の皆が、善仁よりも年下なのは間違いない。が、やはり社会人の常識として、自然と敬語で自己紹介していた。
「ヨォ、シ、ヒィト……か……言いにくいな。というか変わった名前だ。サ……トゥ、ウ?家門の名前か?」
正面の男は軽く眉間に皺を寄せながら片方の眉を釣り上げる。何とも表情豊かだ。
「ここらの出身じゃないな。どこの出なんだ?」
今度は善仁の左隣に座っている男が聞いてくる。この男の顔は……何というか、いかつい。少し険のある顔相だ。
「あ、……日本です。日本の東京」
善仁以外の皆がどう見ても日本人の顔ではない。そのためか思わず国名から答える。いや、だとしたら何故彼らは日本語を話すんだ?という疑問が湧く。何かがおかしくないだろうか?
「ニホン?……聞いた事ねえな。国の名前か?どこにあるんだ?」
出身を聞いてきた男のさらに左隣、顔に傷がある男が質問を重ねてくる。
善仁は衝撃を受ける。
善仁自身、それほど愛国心がある方ではないと自覚しているが、それにしたって日本を知らないなんて言われたらやはりショックだ。
というか、じゃあなんでオメーは日本語話してんだよ。と心の中でツッコむ。タチの悪い冗談だろうか?
「聞いたことあるか?モラン」
顔に傷がある男が善仁の正面の男に聞く。しかし聞かれた彼も首を横に振りながら、
「いや、無いな。初めて聞く。……なぁ、一緒に連れて来たあんたなら知ってるんじゃないのか?」
そう言って彼の左隣に座る女性に話しかける。
そう、円座に座った時から気になっていた。女性は善仁を除いた他のメンバーとは明らかに違う種類の人間に見える。このグループの中で、善仁と彼女の二人が明らかに浮いていた。
彼女も体の前で手を縛られており、その手が羽織っているマントの間から外に出ている。
その肌は白く、軽くウェーブのかかった髪は胸のあたりまで伸びていた。色は赤身がかった金髪だ。いわゆる赤毛と呼ばれる色だ。
彼女以外の者達が仲間なのは明らかで、その時代がかった格好や雰囲気は善仁と彼女とは違い、まるで山賊と言った趣向だ。
もっとも善仁はこれまで山賊なんてものを実際に見た事は無いが。
正面のモランと呼ばれた男は右隣のヴィータ嬢と彼女とで女性二人に挟まれている。両手に花、と言うやつだ。
それまでおとなしく伏し目がちに俯いて座っていた彼女が話を振られた事で、全員の視線が彼女に集まる。
「え、……えぇと、分か……知りません」
ウソだろ。あなたも知らないんですか?日本ですよ?スシ、サムライ、ゲイシャ、ハラキリの国ですよ?
と、やはり心の中で善仁は愕然とする。何か善仁以外の全員で口裏を合わせて、からかっているんじゃ無いだろうか?
何かの……いわゆるドッキリだろうか?だとしたら面白くない。しかし善仁の目に映る彼らの雰囲気はとても自然で、何か演技しているようにはまるで見えない。
「じゃあとんでもなく遠い異国から来たってことか……。何であの場にいたんだ?あそこで何やってたんだ?」
それはこっちが知りたい。何でこんなわけの分からない事に巻き込まれているのか?
たまらなくなり、苛立った善仁は思わず聞いた。
「そんなの俺にも分からない。というかあんた達は一体誰なんだ?何で俺を連れ回すんだ?……‼︎」
質問に質問で返したからか、それとも敬語が抜けたからか、はたまた「あんた達」とか「連れ回す」といった言葉が気に入らなかったのか、一同の間に流れる空気が一瞬で緊張したものに変わる。
山賊の面々の目つきが明らかにさっきまでと違う。特にヴィータ嬢から発せられる敵対心剥き出しの視線は正直怖いくらいだ。
もう一人の赤毛の女性はその場の空気に呑まれて萎縮している。
「やめろお前ら。……確かにこちらも名乗るべきだし、説明しておいた方がいいな。何かしら誤解されてたら後々面倒だ」
モランと呼ばれた男が言う。途端にピリついた空気が少し緩む。どうやら他の面々の態度を見るに、彼はこのグループのリーダー的存在らしい。
「まずは俺からかな……。俺はモラン。ゴンドール一家でピコロ親方の世話になってる。ここに居る四人もそうだ。ほらお前ら、名乗ってやれ」
(ゴンドール一家?一家って何だ?家族?いや違うか。親方ってどういう事だ、もしかして何かの職人とかなのか?)
「じゃあ俺様が。俺様はウィード。〝モラン疾走団〟の切り込み隊長だ!」
善仁の右隣の男が名乗りを上げる。少し軽薄そうな感じで、この場の男たちの中では一番若そうに見える。
「何だよ切込隊長って、お前が自分で言ってるだけだろ。……俺はユード。そのバカは俺の弟だ」
次に名乗ったのは顔に傷がある男だった。言われてみればウィードと名乗った男と顔が似ている。
「……ザラスだ」
いかつい顔の男は名乗るだけだった。……あとは女性陣二人か。
「……え?俺?もう知ってんだろ、ヴィータだよ。あんまこっち見ないでもらえる?」
(ぐっ!……。この女……。なんて可愛げの無い……。しかも一人称が〝俺〟って……)
言葉遣いといい暴力といい、容姿の綺麗さからすると何という落差だろうか。ガッカリだ。しかも「見るな」とか言われたら流石に傷つく。
しかし次で自己紹介も最後の一人、善仁は俯きがちに下を向いている赤毛の女性に視線を向ける。
彼女と善仁を除いた五人のグループがいわゆる「ヤカラ」なのは大体理解したが、彼女は「野蛮さ」とは全く無縁のようだ。
一体何者なのか?そこは善仁も気になっていた。
「え……えぇと、わた……私は、シュツカと申します。「神殿」で「巫女」のお役目を仰せつかっております」
彼女がそう自己紹介した途端、他の面々から「ほぅ」とか「へぇ」とか、小さな驚嘆の声が起きる。
「これが巫女か。へー。話には聞くけど本物の聖女様を見たのは初めてだぜ」
軽薄なウィードが無遠慮な視線を彼女に向ける。人に向かって「これ」とはいかがなものか……。
「ほらな、やっぱりちゃんとお目当てのものは手に入れてたんだよ、モラン。俺はよく知らんが、神殿の聖女なら充分に交渉材料になるんじゃないのか?難しく考えなくてもいいと思うんだが。どちらにせよピコロのオヤジに報告しないといけない事は変わらんし」
顔に傷がある男、ユードがモランに話しかける。モランはというと、腕を組んで、片方の手を顎に持ってくるいわゆる「考えています」のポーズを取っている。
その視線はどういうわけか善仁を捉えていた。
「……まあ、変な行き違いなんかが起こらないように、俺たちの目的を言ってしまうとだな」
視線を善仁に固定したまま、モランが口を開く。
「俺たちが世話になってるピコロ親方っていう、まあ、お偉いさんがいるんだが、その人と同じような親方、いや、もっと上だな。何なら俺らが拠点にしている街で一番の顔役だ。少し前にその人が密漁の斡旋とか、まぁつまらん理由で執行官にしょっ引かれた。すぐに裏で話がついて釈放されると皆が思ってたんだが、どういうわけかそうはならずに、それどころか処刑の日程が公表されたんだ」
「親方」とか、「顔役」とかはまあ分からないでもないが、「執行官」って何だ?善仁の頭では話の内容を半分も理解できているかどうか怪しい。
「ピコロ親方はその顔役の部下に協力を頼まれた。荒事でちょっとは知られた俺らを抱えてるのがピコロ親方だからだ。俺らの稼業、もちろん困った時はお互い様だ、ピコロ親方は協力を約束した。それからピコロ親方は情報屋から得た情報をもとに計画を立てて、俺に仕事を振ってきた」
何か話を聞いてると、「処刑」とか「荒事」とか「情報屋」とか、どうにも穏やかでない単語が出てくる。
モランは続ける。
「親方が言うには、この件はおそらく帝都のお偉いさん、その誰かの息がかかってるんだろうって話だ。だから街の執行官みたいな木っ端役人じゃなくて、帝都の法務官?とやらと取引しないとどうにもならないらしい。そうなると裏で金を積んでも無理だ。そこで、交渉のための材料がいる。帝都の偉いさんたちに関係のある人間を拐って人質にして、その顔役の釈放を要求するんだ。その人質があんたらってわけだな」
「ていと」……「帝都」?何だそれ?しかも「人質」?じゃあこれは、まさか営利誘拐に巻き込まれているのか?
つまりこの一緒に焚き火を囲んでいる面々は、おそらく同じように人質であろう赤毛の彼女と自分を除いて、あとは全員犯罪者という事になる。
「だから人質である以上は、こちらの指示に従う限り手荒な真似はしない……」
そこまで言ってモランの説明は途切れた、善仁の腫れて変色した顔を見ている。
(……おっ、気づいたようですね。「手荒な真似」とはどの程度からの事を言うのか、ぜひ聞いてみたいもんですなぁ)
心の中で皮肉たっぷりに善仁は呟く。
「……うん。出来る限り手荒な真似はしないと誓おう。だから逃げようなんてバカな事は考えないように。あんたらには土地勘も無いだろうし、こっちには疾走竜もある。まず逃げられないぞ。こちらとしては、あんたら人質と顔役の身柄を交換できる日まで、大人しくしていて欲しいね」
何か殴られた事に関してはうまく誤魔化されて話が終わりそうな気配だ。善仁がそう思っていると、
「……ただ、気になる点が一つだけある。あんたは一体何者なんだ?ヨシヒト」
いきなり話を振ってきた。
「聞いた事も無いような国から来たと言うし、顔つきも何と言うか……平べったいし。着ている服も俺たちとまるで違う。神殿の関係者とも思えない。何故神殿の連中と一緒にいたんだ?」
(それはこっちが聞きたいよ。何でこんな事になってるんだか)
善仁は思う。本当に、今までの日常とはかけ離れた今現在のこの状況は何なのか。誰でもいいから教えて欲しい。
「さっきも言ったけど、俺には何が起こっているのかよく分からないんだ。俺は、しがないサラリーマンだよ。小さな加工食品メーカーの営業をしてる。ここはやっぱり……日本じゃないのか?」
そう言って彼らの反応をうかがう。皆が、間違いなく頭の上に見えない「?」マークを浮かべている。
「……コイツやっぱりあれじゃないの?頭の中が可哀相な事になってる人。俺にはコイツが何を言ってんのかさっぱり分かんないんだけど」
ヴィータ嬢は歯に衣着せぬ発言が持ち味らしい。ひどい事を言われた。あんな事があったから仕方ないとは思うが、明らかに言葉に敵意がこもっている。
「そうは言っても置いて行くわけにもいかんだろ。誘拐の目撃者でもあるわけだし」
ユードが言う。それを受けていかつい顔のザラスも発言する。
「俺も同感だな。この男が何者であるにせよ、少なくとも俺たちの目が届く所に居てもらった方が良い」
モランは腕を組んで考えていた様子だが、不意にシュツカと名乗った女性に話を振った。
「一緒に居たあんたならその辺の事が分かるんじゃないのか?何か知らないか?」
急に話を振られたからなのか、それとも「人質」と立場を明確にされたからか、彼女は先程までよりもさらに萎縮しているようだ。首を横に振り、否定の意思表示をする。
モランはしばらくそんな彼女の様子を観察していたが、このままでは埒があかないと判断したのか、意を決したように口を開く。
「まぁ、とりあえず街に戻ってピコロ親方に事の顛末を報告だな。正直言って正体がハッキリしない奴を連れて行くのは気が進まないが……。どうするのが正解なのか、他に良い案が思い浮かぶわけでも無し……。よし、そうと決まれば出発だ。日没までには街に戻るぞ」
そう言って立ち上がった。すると他のメンバーもすぐに立ち上がり、それぞれ動き始めた。テキパキ、キビキビと、擬音が聞こえそうなほど皆、動きが速い。
木に繋いでいる疾走竜を引きに向かう者、焚き火の火を消してその周りを片付ける者、荷物を纏めつつチェックし始める者。まるでどう動くのか、百年前から決まっているかのように滑らかに作業が進む。
思わず彼らの動きに目を奪われ、拘束されている善仁と、シュツカと名乗った赤毛の女性は、呆然と作業風景を見つめるしかなかった。
そこから街までの道のりは、さほど長い旅路では無かった。
峡谷をしばらく進むとすぐに道に当たり、それを辿っていくと道はどんどん太くなっていった。森を二度ほど抜けて、風が舞う草原を進み、空が夕焼けに変わろうかという頃、一行は街に辿り着く。
善仁は疲労でボロボロになっていた。手が前にある状態で拘束されているので今は鞍の後ろについているベルトを持つこともできず、かといって前に座っているヴィータに触れるわけにもいかない。
実際、追いかけられた時とは違い、一定のリズムとペースで歩く疾走竜の上で揺られているせいで、一度だけ、ついウトウトと眠気に負けて不覚にもヴィータにもたれかかったてしまった。その瞬間、これ以上ないほど的確に鳩尾に肘を入れられたのだ。
その時は1分ほどはまともに呼吸ができず、込み上げてきた何かを口から吐いてしまいそうになるのを必死に堪えたのだった。
「お客さんがた、見えてきたぜ。ここが俺たちの街だ‼︎」
先導しているウィードが大きな声で伝えてきた。
何も考えたくなくて下を向いていた善仁は、その声で頭を上げた。
丘の上から見下ろす街は、まあまあの大きさだった。ヨーロッパの古い街にあるような建物の屋根がひしめき合っているのが分かる。
海に面して拡がっており、ここからだと米粒のように見える小舟が港にびっしりと生えているかのように停留している。
街の外周は石造りの壁で覆われており、外に通じる門が四つほど構えられているようだ。一行はそのうちの一つに向かって進んでいく。
ここまで来ると、流石に善仁もこれが夢ではない事を認めざるを得なかった。そしておそらく今いる場所が、善仁が知っている世界ではないという事も、薄々と感じ始めていた。
門の近くまでやってきた。先導するウィードがまたこちらを向いて大声を出す。
「ようこそお客さんがた‼︎俺たちの街、港町ロデオンへ‼︎」