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異世界堕悪  作者: 押入 枕
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峡谷のオアシス


 峡谷の谷底を流れる川のほとりにある大きな砂漠椰子(サンダルマ)の木の下で、一行は立ち止まった。

 太陽はもうすぐ真上に近い角度まで登りつつある。日差しは強くなる一方で、辺りの空気は乾燥し、気温は高い。


 砂漠椰子の幹の根本では、その葉が作る大きな傘によって強い日差しから守られようとしているのか、影ができる範囲であろう広さで、幹を中心に雑多な植物が生い茂っている。

 近くを流れるささやかな川のせせらぎの音と、どこか遠くで滝から落ちる流れの音が、それら雑多な植物と相まって、この空間を荒涼とした峡谷における一種のオアシスに変えていた。

 立ち止まったのは一般に疾走竜(ストライゴン)と呼ばれる竜族の一種が五騎と、それに騎乗している者たちだ。


 疾走竜。生物としての特徴を挙げると、体の大きさは竜族としては小型と中型の中間に位置する。

 骨格は速く走る事に適した形状をしており、野生の個体は何匹か集まってボスを中心とした群れを作る。

 そして何より特筆するべきこの生物の特性として、卵から孵して育てれば人に馴れるというものがあった。

 そのため本来の気性の荒さから、騎乗可能な生物として一般的とはおよそ言えないのだが、軍隊などでは騎兵科の一種目として稀に運用されている例が見られる。


「よーし、ここまで来れば大丈夫だろう。小休止だ。ご苦労だったな、皆」


 誰かの声がして、佐藤善仁(よしひと)は自分を乗せている疾走竜が止まったことに気づいた。

 ここしばらくの時間、自分の意識がはっきりしない事を彼は自覚していた。感覚が弱くなっている。自分が今居るのが夢なのか現実なのか判別できない。どろりとして重たい思考の中で、彼はおぼろげな記憶をたどる。

 確か自分はクリスマス・イヴの夜、独り会社に残って残業していた。やる気が途切れたところで会社に泊まる事に決めて、事務所のソファに横になって目を閉じた。そこまでの記憶は確かに残っている。

 ではこの状況は何なのだろう?

(……み……みず…………)

 あれこれ考えようにもその前に喉が渇いて死にそうだ。鞍の上で力無く項垂れる事しかできない。太陽の強烈な日差しは容赦なく彼に照りつけ、発汗という形で体内の水分を奪って来る。

 彼の日常生活において、普段ここまで水分を摂らない事はまず無いわけだが、喉の渇きがこんなにも辛いと感じるのは、一体いつぶりになるだろうか。

 先ほどから頭痛がするのと意識が朦朧とし始めているのは、もしかしたら脱水症状の兆候なのかもしれない、と言う考えが彼の頭をよぎる。


「ヴィータ、お客さんを降ろして水を飲ませてやれ。」

(水?今、水って言ったか?やっと水が飲め……おわっ‼︎)

 誰かにいきなり襟首を掴まれて引きずり下ろされた。鞍に足が引っ掛かり、バランスを崩して横になった体勢のまま地面に叩きつけられる。


 後ろ手に縛られているというのにそれを無視しているかのように荒っぽい扱いだ。

 頭から落ちたらどうするんだ。打ち所が悪かったら命に関わるぞ。と彼の心に強い怒りが湧いたが、すぐに襲ってくる痛みでその怒りはどこかに行ってしまった。

 地面にぶつかって体中どこもかしこも痛い。特に腰が。痛くて体に力が入らない。


 彼が顔の半分を地面の砂でお化粧しつつ悶絶していると、何かが胸のあたりに飛んできた。

 重さと弾力のあるそれが彼の体にぶつかって、地面に落ちる。革でできた袋だ。勾玉(まがたま)を連想させる形状で、細くなっている先っぽに木でできた部品が取り付けられている。これは……水筒だろうか?しかしまぁ随分とレトロなデザインだと、その水筒らしきものを見て善仁は思った。

「おいおい、飲ませてやれよ……って、どこ行くんだ、おいヴィータ」

 どうやら二人乗りで前に乗っていたパートナーは、乱暴に彼を鞍から引きずり下ろし、水筒を投げつけて、どこかに行ってしまったらしい。

「やれやれ、今はご機嫌斜めらしいな。おいあんた、生きてるか?」

 若い男の声が彼に話しかけてきた。男の声に向き合おうと、何とかして上体を起こそうと試みる。腹筋に力を込めて頭を持ち上げようとするが、無理な動作をしたせいだろう。脇腹の筋肉を()ってしまった。

「いだだだだだ‼︎」

 思わず声が出る。痛みのせいで力が抜け、半分くらいは起き上がっていた上体は再度地面に横たわる。


「大丈夫か?後ろで縛ってるから動きにくいよな。少しおとなしくしてろよ」

 若い男の声はそう言って、善仁の口に掛けられた猿ぐつわを外し、手首を縛っている縄をほどき始めた。両手が解放され、窮屈だった肩と背中が楽になる。

 やれやれ助かった、と思ったのも束の間、今度は体の前側でまた手首を縛られた。

 あれ?何故だろう、拘束そのものは解いてもらえないらしい。

「ほら、起こしてやる。あと、手が前にあるんだ。自分で飲めるよな」

 声の主は肩を掴んで上体を引き起こしてくれた。善仁は足を投げ出して座る体勢になる。さらに声の主は地面に落ちた水筒を拾い上げて、縛られた手に持たせてくれる。


 ああ、水だ‼︎水だ‼︎慌てて飲み口であろう部分の栓を抜いて口に運び、ごくごくと音を立てて飲み始める。

 入っている革袋の匂いが移っているのか、なんとも言えない味がする。正直言ってお世辞にも美味いとは言えない水だが、今ならいくらでも飲めそうだ。

 喉仏を上下させて水を飲み込む度に、カラカラの体にしみ渡っていく。そんな感覚に善仁の心は歓喜の雄叫びを上げる。

(ああ、生き返った……)

 深刻な喉の渇きが癒えることで生命の危機を脱し、安堵する。ホッと一息ついたところで初めて声の主の方に目をやった。


(‼︎…………えっ⁉︎)

 声の主はどう見ても彼より若い男だった……のだが、彼の姿を見た時、善仁は何とも言えない違和感をその容姿に感じた。

 何かがおかしい。いや、何かがとかいうレベルではない。何もかもがおかしいと感じる。なんだこれは?


 まず彼の顔に目がいくが、日本人の顔ではない。彫りが深すぎる。「平たい顔族」代表の善仁が見慣れた顔とはかけ離れている。髪はやや白みが強い金髪で、肌は少し日焼けしているのか浅黒い。そしてトドメとばかりに瞳の色は青色だ。


(日本語を話しているけど、もしかして日本人とどこかの外国人とのハーフか?……というかその格好……コスプレ?)


 その男の格好も変だ。何か革でできた鎧のようなものを身につけている。その下には厚手の布でできた服を着ており、丈夫そうな布のズボン、革製のブーツを履いている。

 全体的に黒っぽい色でまとまっており、それぞれ着込まれ、使い込まれているのかくすんで見える。なんというか時代がかった格好だ。中世ヨーロッパを題材にした映画に出てくるような……。

 そこまで考えて善仁はハッとした。そうだ。あの恐竜のような生物に乗せられて謎の集団に追いかけ回された情景が蘇ったのだ。

 あれは夢じゃなかった?これは……現実?慌てて辺りを見渡す。周りの景色は明らかに日本のものではない。


「少し呆けてるようだが、どうやら大丈夫そうだな」

 こちらの顔を覗き込んでいた男は、彼の中で何やら納得した様子で、水筒を善仁から受け取ると立ち上がってその場から離れていく。善仁は彼が向かう先を自然と目で追う。


 少し離れたところにもう三人の人影が見える。固まってどうやら火を起こしているようだ。こちらの視線に気づかれないように彼らの様子を盗み見る。

 やはり三人とも日本人には、いやアジア系にさえ見えない。格好もやはり皆同じようなものだ。善仁から離れて歩いて行った一人が加わって四人、火を囲んで座り、何か話し始めた。ここからでは聞き取れない。

 火の周りに木の枝を使った枠を器用に組んで、ヤカンのようなものを吊り下げて火にかけている。あれはお湯を沸かしているのだろうか。

 しかし、本当に何が起こっているのか、ここは一体何処なのか。情報を得るほど混乱していく。わけが分からない。

 こんな事は三十二年間生きてきて初めての経験だ。


 善仁はふと、倒れていた時に顔にへばりついた砂がそのままになっている事に気づいた。それだけではない。髪の毛、あと首まわりが埃っぽく、そこに(にじ)んだ汗が絡まって気持ちの悪い事この上ない。

 あと着ているワイシャツが何か匂うような気がする。無理だろうが、風呂に入りたい。そんな欲求が首をもたげた時、ある事に気がついた。


(川だ。川が流れている。)


 今居る場所より一段低くなっているところを川が流れているのが遠目に見える。


(良かった。あの川で顔を洗ってこよう)

 善仁はのそのそと立ち上がると川に向かって歩き始めた。

 座っている四人に視線を向けると、一瞬だけ、動き始めたのを警戒したのかこちらを見たが、すぐに向き直ってまた四人で話し始めた。まあ、もし今仮に善仁が逃げ出したところで、両手を拘束されているのだ。あの恐竜のような生物に追われたらあっという間に追いつかれてしまうだろう。

 それに四人の位置からでも川を視界に収める事はできるように見える。よほど変な事をしない限りは、疑われずにある程度の自由がきくようだ。

 その事に安堵しながら、善仁は重い体を引きずって川へ向かう。




 さらさらと音を立てているかのように流れている川は約4メートルほどの幅がある。ところどころ川面から大きな岩が顔を出して、流れを割ったり遮ったりしている。水は透き通っており、川底が見える。あまり深くはないようだ。


 善仁は川縁(かわべり)にしゃがみ込み、手首を縛られた両手をそのまま川に入れ、水を(すく)って顔を洗う。日差しに照らされた気温と水との温度差で、少し冷たくて気持ちいい。

 ついでにシャツが濡れるのも構わず水を掬って何度か頭からかぶる。水は彼にこびりついた砂埃を汗と一緒に洗い流し、上がりすぎた体温を奪っていく。

 ああ、ものすごくさっぱりした。今までの気持ち悪さが嘘のようだ。


 自分の足を見ると、履いている安物のスーツのスラックスは砂埃で真っ白になっていた。何度か叩いてみるが、砂が強情に繊維に居座り、あまり白い汚れは落ちてくれない。

 靴を履いてないので靴下も砂まみれになっている。よく見ると膝の横のところが破れて穴が空いていた。いつもなら慌てたかも知れないが、今の状況がそれどころでは無いせいか、どうでもよく感じてしまう。

 さて、一息ついた、と立ち上がったところで彼は自分の右側に何かの気配を感じた。何だろうと何気なく右を向く。そして



 目に入ってきたものを見た瞬間、時間(とき)が止まった。



 そこには上半身裸になって、濡らして絞ったであろう布で体を拭いている少女がいた。背中をこちらに向けており、善仁に気づいていないようだ。距離にして7〜8メートルほど離れている。


 いや、よく見ると少女、は言い過ぎか。

 横顔や雰囲気から察するに、正確には少女と大人の女性、その中間といった年頃に見える。十七歳〜二十歳手前といったところか。

 いきなり目の前に広がった非日常的な光景に善仁の体は固まっているが、彼の目は捉えている対象から次々と情報を拾い上げる。


 まず目を惹きつけられるのがその銀髪だ。金でもなく白でもなく、見事な白銀色だ。ボブヘアぐらいの長さで綺麗な曲線を描き、やや広がってまとまっている。

 その次に褐色の肌。小麦色と言えばいいのだろうか。色の段差が見られないので、日焼けによるものではなく元々の肌の色なのかもしれない。

 それにしても、銀色の髪と、小麦色の肌。その二色の組み合わせが織りなし作り出す抗い難い魅力に、彼の目は釘付けになって離れない。


(……綺麗だ)


 善仁は素直な気持ちでそう思った。

 年齢にして三十を過ぎた彼が若い女性を、それも裸を見ているのだ。もし近くにこの光景を客観的に見ている第三者が居たとしたら、彼が邪な感情を抱いていると間違いなく思うだろう。

 しかし今この瞬間、善仁は純粋にその美しさに心奪われていた。


 彼女の体はやや痩せている。と言うよりも引き締まっていると言うべきか。

 うっすらと筋肉が盛り上がり、僅かな高低差を作ることでボディラインに小気味よいテンションが生まれ、それでいて女性特有の曲線美も兼ね備えていた。

 まるでフィットネス雑誌に出ている女性モデルのような、いや、それに勝るとも劣らない肉体美だ。


 体を拭う所作も綺麗だ。彼女を中心に、辺りを包む明るい日差し、流れる小川のせせらぎ、それら舞台装置を含めた辺り全体をひっくるめて、まるで一枚の絵画を見ているような感覚に善仁は陥っている。



 しかし眼福の時間は長くは続かなかった。


 そうやって見惚れていると、ふいに彼女がこちらを向いた。ばっちり目が合う。彼女の自身の体を拭く手の動きが止まる。


(あ、やば……)


 彼女も驚いたのか、目を見開いている。といってもここからは彼女の右目しか見る事ができない。

 左目は前髪で覆われていて隠れている。彼女はやや半身だがほぼ体ごとこちらを向いたので、改めて正面に近い角度から彼女の顔を見る事ができた。その顔を見て、善仁は先程の男の顔と同様に、ある種の衝撃を受ける。


 やはり彫りが深く、目鼻立ちがはっきりした顔立ちだ。

 やや少女の面影が残っているが、スッと通った鼻筋といい、小さくまとまった小鼻といい、非常にバランス良く整っている。唇はやや薄いが、口元は引き締まり、気品と賢さがそこに現れているかのようだ。


 しかし何といっても特徴的なのはその目だ。アーモンド型でやや大きめ、二重(まぶた)で若干吊り気味の目の中に、オレンジ色の虹彩を持つ瞳がこれでもかと存在を主張している。

 やや狭い眉間から伸びた形の良い眉と相まって、とても強い印象を見るものに与えてくる。


 しかし何だろう、まだ何かこう、水筒を渡してくれた男を見た時と同じように違和感を感じる。決定的な何か……。

 その違和感の正体を探っていた彼の視線が、ある一点で止まる。その瞬間、電流が走るような驚愕とともに、彼は違和感の正体に気づいた。


(な……何だあの耳⁉︎)


 ボブヘアの銀髪。そこから本来なら隠れるはずの耳が横に飛び出している。

 まるでイラストに描かれた悪魔のように、耳が横に長く、先端に向かうにつれ細くなっているようだ。気付いてしまえば、何故それまで気付かなかったのかと思うほどに、ハッキリと両耳とも横に5〜6センチほどは飛び出している。


(に、人間じゃない、のか……?)


 確かにその特徴的な耳の形といい、一瞬で目を奪われた容姿の美しさといい、ある意味人間離れしている。

 しかし、それ以外の見た目から読み取れる外見的特徴は、骨格にしろ、筋肉のつき方にしろ、やはりどう見ても人間にしか見えない。



 彼女の頭部の特徴を確認した善仁の目は、本能に従って、焦点をその下方向にずらしていく。

 流れるような首筋からくっきりと浮き出た鎖骨を通って、その下へ。そこにはささやかな膨らみが……。


(……しまっ‼︎……)


 そう思って彼女の顔に視線を強引に戻した時、彼女の目つきが険しいものに変わっていることに気づいて、善仁は自分の失敗を悟った。

 その瞬間、今まで立ち尽くして固まっていた彼女がこちらに向かって歩き始める。大胆な事に露わになった上半身を隠そうともしていない。

 その目から読み取れるのは明確な「怒り」の感情だ。大股でぐんぐんと近づいてくる彼女の威圧感に押されて、善仁は彼女から目を逸らせないまま、後ろに後ずさるしか無かった。


「いや、ごめん。覗くつもりはなかっt……」

 釈明の言葉の途中で拳が飛んできた。鈍い音がして鼻のあたりに衝撃を感じる。コンマ01秒遅れて痛みと何かが焦げるような匂いが鼻の奥に広がった。そこでようやく殴られた事に気づく。

 全く動きが見えなかった。防御しようにも体が動かなかった。何て右ストレートだ‼︎


 善仁は大きく後ろにのけぞり、たたらを踏んで二、三歩後退したあと、頭から仰向けに川の中に倒れ込む。

 はたから見ていたら漫画やコントのような倒れ方だ。派手に水飛沫が飛び散っている。鼻の痛みと川の水の冷たさを感じながら、善仁の意識はこれが夢ではなく現実である事を認識し始めていた。


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