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異世界堕悪  作者: 押入 枕
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召喚成功、そして……


 シュツカの精神はまるで地底湖の水面のように静かだ。そう、自分で疑ってしまう程に静かだ。

 本当に私は今から〝渡り人〟をお迎えするのだろうか。彼女はどうにも確信が持てない。

 余りにも精神が静かすぎる事に少し不安を感じながらも、そういった湧き上がって来る小さな感情や思考をこまめに溶かし、消し去っていく。そして目を閉じているために何も見えない視界の中で、〝渡り人〟の世界との繋がりであろう〝何か〟。感覚で捉えることしかできないその〝何か〟に意識を集中させる。


 すでに彼女の意識からは切り離されているが、彼女の口は今も自動的に経典を唱え続けているだろうし、背中に刻まれた〝聖紋〟は、すでに〝聖痕〟へと姿を変えて、血を噴き出している事だろう。

 しかしそんな事はどうでもいい。


 彼女はもうだいぶ前から「恍惚(こうこつ)状態」に「入って」いた。

 この状態に入ってからは〝異界〟と〝こちら側〟を繋いでいる彼女の精神世界の中で、ずっと〝渡り人〟に呼びかけ続けている。


 常人にとって長時間集中して祈りを捧げる事は苦痛でしか無く、すぐに限界がやってくる。しかし彼女のような巫女(みこ)や神官たちは、日々の日課である祈祷(きとう)がそのまま訓練となっているため、はるかに長い時間祈る事が可能である。

 もちろん彼女たちとて人間なので、長時間の祈祷に苦痛を感じないわけでは無い。しかし苦痛を感じる段階を乗り越えるまで、言い換えるなら苦痛を無理矢理に無視しつつ経典を詠唱し、精神集中を継続する事で、「恍惚状態」と呼ばれる特殊な精神状態に移行する事ができる。


「恍惚状態」に移行する事を「入る」と表現する。「入って」しまえばそれまで感じていた苦痛は嘘のように消えて無くなり、その時々で程度は異なるが、大抵の場合はむしろ多幸感に包まれる。

 意識はあるが眠ってもいるような感覚で、この状態に「入る」事で初めて人は「大いなる存在」、神と呼ばれるような存在に、精神世界を通して近付く事が出来る。


 常人にはまず不可能だが、精神世界で意識を保ち続ける事も、思考を破綻(はたん)させずに組み立てる事も、シュツカにとってはお手の物だ。


〝渡り人〟を召喚するのは彼女も初めてだが、儀式と召喚祭壇が形作る仕組み、「魔導回路」の効果なのか、呼びかけを始めるとすぐに反応する〝何か〟を感じ取ることができた。そこからは呼びかけを続けるだけだ。

 その〝何か〟が充分に近付いたら、彼女の魂を「鍵」にして、精神世界から物質世界に引っ張り上げて〝渡り人〟を顕現(けんげん)させる。

 引っ張り上げる時の手順はどうだったか。彼女は師から教わった事を確認がてら頭の中で反芻(はんすう)する。


 遥か昔に巫女を引退した彼女の師は、かつて〝渡り人〟を召喚した実績がある。

 その師が言うには「とても細い糸を少しづつ手繰るようにして引き寄せるような」感覚だったというが、シュツカは〝渡り人〟が近づいて来ているのを実感するにつれ、違うイメージを持ち始めている。言葉にするのであれば、「彼女が意識で呼びかける度に、反応して向こうから寄って来る」という感覚だ。


 そう、感覚で分かる。確実に近づいて来ている。間違いない。もうすぐだ……。




 「おお‼︎ついに‼︎ついに来るぞ‼︎〝渡って〟来る‼︎」

 光に包まれ始めた召喚祭壇に視線を釘付けにしたまま、ワーグナスは思わず声に出していた。

 ついに待ちに待ったその時が訪れる。興奮を抑えろと言う方が無理な話だ。

 周囲の警戒に当たっている兵士たちも、生きている内におそらく二度とは見られないであろう光景に目を奪われているらしい。あちこちで感嘆の声が聞こえる。

 召喚祭壇を中心に集まっている光は、蓄積された〝魔素(マナ)〟が〝異界〟と接触する際に臨界に達した事で発生する現象だ。つまり祭壇のあるあの場所は今、〝異界〟と繋がろうとしている。そう、いよいよだ。いよいよ〝渡り人〟が〝渡って〟来る。


 召喚祭壇のまわりに出現する光は、その輝きを徐々に強めていく。そして召喚祭壇を軸にまとまりながら、天に向かって伸び始めた。さながら光で出来た柱のようだ。その変化を目で追おうにも輝きはさらに強くなっていき、そろそろ直視できない強さになりつつある。


 篝火(かがりび)や松明が必要だった暗さから、神秘的な光が照らす異様な明るさへ。あまりに人智を超えたその変化に皆がざわつき始める。

 おそらく超常的な現象に本能的な恐怖を感じ始めたのであろう。パニックが起きるかもしれないとワーグナスが危惧したその時。

 光の柱がチカチカと、何度か明滅したかと思うと、あたりは光の爆発に包まれた。



 おそらくは一瞬の出来事であったろうが、そこに居合わせた者にはそうは感じられなかっただろう。

 ふと気づくと光は消えていた。

 光の奔流の余りの凄まじさに顔を背けていたワーグナスは、その事に気づいて慌てて召喚祭壇を確認する。


「……おお。あ、あれが……」


 召喚祭壇を構成する部品の内、寝台状になった部分の上に、明らかにワーグナスたちとは〝異なる〟者が横たわっている。

 見た事のない服を着ており、どういうわけか横になったまま動こうとしない。


 だが分かる。間違いない。あれが、あれが〝渡り人〟だ‼︎


「や……、やった……のか……?」

「巫女様が倒れた‼︎」

「だ、誰か手を貸してくれ!体が固まって動けない!」

「こ、腰が抜けた……」

「とにかく〝渡り人〟を‼︎かの方を起こして差し上げないと‼︎」


 神官や兵士たちが騒ぎ出した。

 単純な愚物どもの落ち着きのない反応に少し苛立ちを感じながらも、ワーグナスは棒立ちのまま目を閉じて、心の底から湧き上がってくる歓喜に身を震わせていた。いや、抑えようにも抑えきれない。

 気づいたら思わず叫んでいた。


「やったぞ‼︎召喚成功だ‼︎」


 成し遂げた!文句のつけようもなく成功した!

 これで彼の残りの人生は、今までの苦労が報われるどころか、お釣りが来るほどのものになるだろう。思わず天を仰ぐ。抑えきれない歓喜のために目に涙が(にじ)み始めた。


 儀式の監督者であるワーグナスの叫びに、この場の皆が成功を実感したらしく、喜びの歓声が上がり始めた。

 散らばって周囲を警戒していた兵士たちも、この場に戻ってきて安堵の表情を浮かべている。

 お目付役の魔導省幹部と、隣に居る占星術士も破顔してワーグナスに握手を求めてくる。彼らもこの結果によっていくらか点数を稼ぐわけだ。それは機嫌も良くなるだろう。緊張から解放され、弛緩(しかん)した空気が辺り一帯に拡がる。




 ……そんな皆が一時の達成感に酔いしれる空気の中、召喚祭壇にそっと忍び寄るいくつかの影がある事に、気づいた者は一人も居なかった。




「……ん?」

 祭壇の近くに居たローレンは巫女を介抱する手を止め、音がした方に目を向けた。彼の近くで〝渡り人〟を担架に載せようとしている仲間の兵士たちには聞こえなかったらしい。しかし彼は、何か中身が入った陶器の入れ物が割れるような音を、確かに聞いたような気がしたのだ。

(気のせいか?……)

 作業に戻ろうとしたその時、同じ音が聞こえた。今度は続けざまに二回。そして彼は匂いに気づく。

(この匂いは……「燃える水の」……)

 夜明け間近の白み始めた空に小さな赤い光が走った。赤い光は彼の近くに落ちる。地面に落ちる瞬間、赤い光が矢の先で燃えている炎である事に彼は気づく。

 火矢だ。

「いかん‼︎皆離れ……」

 仲間に注意を呼びかけようとしたその瞬間。火矢の炎は割れた油壺から撒き散らされた「燃える水」に引火した。


 途轍もない勢いで火柱が上がる。炎の光で辺りが明るく照らされる。


 近くに居た兵士の一人が叫び声を上げる。着ている鎧下の袖から炎が燃え移ったらしい。パニックを起こしながら地面を転がり回って何とか炎を消そうとしている。

 しかし具合の悪い事に「燃える水」に引火した炎は、ちょっとやそっとではなかなか消えない。ローレンは手に持っていた荒布で転がり回る兵士をはたいてやる。しばらく必死に炎と格闘する。その甲斐あってなんとか消火できた。

 一息ついて思考する余裕を取り戻す。


 やられた‼︎奇襲だ‼︎しかし誰がこんな事を?

 我々が国家的任務を遂行していることを分かってやっているのか?

 クソッ‼︎儀式が成功して皆の気が緩んでいるところを狙われた。

 とにかくこれ以上延焼しないように火を消していかないと。

 もっと人手がいる。

 思考がゴチャゴチャとローレンの頭の中に、浮かんでは消えていく。


「奇襲だ‼︎奇襲だ‼︎火を消さないと!誰か‼︎手を貸してくれ‼︎」

 大声で辺りに呼びかける。しかしどうやら皆の混乱ぶりはひどく、この場はさながら恐慌状態に陥っている。

 長時間の祈祷で体力を使い果たした神官が芋虫のように這って炎から逃げようとしているかと思えば、兵士が何人か転びそうになりながら、どこへ向かっているのか駆けていく。

 改めて見てみれば召喚祭壇の周りは炎の壁に包まれていた。さらに不規則に飛び散った「燃える水」が辺りのあちこちで引火して燃え上がっている。

 嫌な予感がしてローレンは先程まで自分が介抱していた巫女が居る場所に目をやる。

 やはり。嫌な予感が当たった。


 目を離した隙に〝渡り人〟と巫女の姿が忽然(こつぜん)と消えている。どちらも自力では動けない状態だった。と言う事は……。


「大変だ‼︎〝渡り人〟と巫女がさらわれたぞ‼︎」

出せる限りの大声で周りに呼びかける。一体どれだけの仲間が気づいてくれるだろうか。どちらも賊が連れ去ったのだとしたら、早く毛束山羊(モップゴート)で追わないと追いつけなくなってしまう。


 そう思って毛束山羊を繋いでいる場所に向かって走り出したその時、目の前を何か黒い影が駆け抜けていった。見慣れない姿。間違いない、あれが下手人、この事態を引き起こした賊だ。


「あれは……疾走竜(ストライゴン)?」


 目を凝らして見てみると、賊は彼らが疾走竜と呼んでいる生物に乗っていた。馬ほどの大きさの体躯の、二本足で走る中型の竜族だ。

 高速で走り去る竜の鞍の上、賊と〝渡り人〟が乗っている。

 奴ら騎乗生物を用意していたのか‼︎駄目だ、このままでは連れて逃げられてしまう。

 最悪のシナリオが頭に浮かんだその時、後方から声がかかる。


「ローレン隊長‼︎」

 声がした方に目をやると、毛束山羊に乗って彼の部下が現れた。なんという幸運。これなら賊を追いかけられる。

「賊を追う‼︎すまんがその毛束山羊を貸してくれ‼︎」

 部下から毛束山羊を譲ってもらい、賊が走り去った方向へ駆け出す。


「ローレン‼︎」

 また声がかかった。聞き覚えのある声。彼の上官である魔導省執行官ヘイヴェルのものだ。慌てて止まり、声がする方へ向かう。

 すぐ近くに居た。上官の姿を見つけ、大声で説明する。

「賊を見つけました。追いかけます‼︎」

 正直説明している時間も惜しい。見失ったらそれまでだ。ヘイヴェルが応える。

「いいか!もし〝渡り人〟を奪還するのが困難であるなら、賊ごと始末して死体を回収しろ。世に放ってはいかん‼︎」


 取り返せないなら殺せとは。なんとも物騒な命令だ。しかし採りうる選択肢が増えた。


「何をバカな‼︎召喚は成功したのだぞ‼︎殺してしまうなど、とんでもない損失だ‼︎明らかな愚策である‼︎」

 隣にいた神殿のお偉いさんはものすごい剣幕でヘイヴェルに抗議している。しかし議論の結果を待つような時間はない。

「了解しました。最善を尽くしますが、奪還が不可能なら始末します‼︎」

 自分は兵卒。上官の命令に従うだけだ。一瞬でそう判断し、大声でわめき合う二人を尻目にローレンは駆け出した。


 しばらく走ると、目当てのものを発見した。良かった、見失わずに済んだ。

 逃げるというのに、賊はどういうわけか松明を掲げている。おかげで発見が容易だった。

(仲間とはぐれないためか、道を見失いたくないのか……。おそらく奴らには土地勘が無い。と言うことはこの辺りの賊ではなさそうだな)

 などと考えながら追っていると、ぱらぱらと毛束山羊に乗った仲間たちが合流してきた。

 ローレンが大声で呼びかけた効果なのか、あの混乱の中で的確な状況判断ができる優秀さを持ち合わせた仲間なのか、はたまたヘイヴェルの指示か。

 いずれにせよ数が増えたことでぐんと心強くなった。


(絶対に捕らえてみせる‼︎何者かは知らんが〝渡り人〟を渡してなるものか‼︎)


 森が途切れて平原に出た。そのタイミングで夜明けを迎える。途端に視界が明るくなり、これなら賊を見失う事も無いだろうと心の中で胸を撫でおろす。


(これは南の峡谷に向かっているな……)

 賊の逃走ルートに目星をつけ、ローレンはより速度を出すため毛束山羊の手綱を握り直し、(あぶみ)を踏む足に力を込めた。


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