屋根裏の幹部会
正午前の太陽の光が、丸い形をした、ステンドグラスを嵌め込んだ窓から室内に入ってくる。
板張りのところどころ軋む床に、煉瓦積みの上から漆喰を塗ったカビ臭い壁、頭上に剥き出しになった天井を支える梁と、善仁の視界に入ってくるのはやや殺風景な風景だ。
ここは港町ロデオンの「教会」の礼拝用の教会だ。ややこしいが、「教会」は組織名、教会はこの建物を指して言う名称だ。
その建物の屋根裏部屋のような空間に、十数人の男たちが集まっている。
丸い形をした窓の前に立ったピコロ親方が口を開いた。
「と、言うわけで、急遽ゴンドール一家の幹部のあんたらに集まってもらったわけなんだけど、まず、ボルトルン。いい機会だからあの話をみんなにしたってよ」
今日は見たところ親方の機嫌が良さそうだ。幹部の誰かが吊るし上げられそうな雰囲気は無い。
そう胸を撫で下ろした者が、この場にいる幹部たちの中に何人か居た。
「はい、親方。僭越ながら私、ボルトルンがお話しさせて頂きます。……皆さん、朗報です。以前から話は出ておりましたが、我々が仕切る賭場が、この度あの大都市ビィズバーンにて開業する運びとなりました。これによってゴンドール一家はますます繁栄する事になるでしょう。つきましては幹部会のメンバー内で出資を募りたいのですが……」
そこまでボルトルンが話したところで幹部たちはざわつき始めた。
「賭場を開くって、向こうの親方連中とは話がついたのか?連中が認めるとはとても思えんのだが……」
「仕切るって、他のどこも噛ませずに、俺たちだけでやるのか?本当に?なんでそんなこちら側に都合の良い条件が通るんだ?何か裏があるんじゃないのか?」
「出資とか、そう言う話なら、何でこの場にハンナが居ない?不動産や証券とかならともかく、デカい現金を動かせるって条件ならあの女が一番適任だと思うんだが?」
次々と疑問が彼らの口から飛び出す。
そのまましばらくこの場は騒然となっていたが、ピコロ親方がゆっくりと肘から先の片手を持ちあげると、その騒がしさはピタッと止んだ。
「ボルトルンは単刀直入に過ぎるね。説明不足だし……話に情緒が足りないよ、情緒が。……まあいいや。その辺も含めて、先に説明と、お客さんを紹介しようかね。モラン、説明よろしく」
「分かりました」
モランが一歩前に出る。
「例のマッシモ親方の件で、親方は交渉によってヴァルヒード辺境伯の委任状を入手されました。そのお墨付きの効果で、ビィズバーンの親方連中は我々が進出する事を認めざるを得なかったようです」
淡々とした事務的な口調で説明を始めた。
「なお、そこに居るのは今回の交渉の鍵となったロト・アウリスと、偶然捕らえた神殿司祭様です。今から親方がされる話に関係あるので、この場に立ち合わせております」
そう言って善仁とワーグナスを紹介してきた。
そう、幹部会と聞かされたこの場に、なぜか善仁も呼ばれていた。拘束などはされていない。その善仁の横では対照的に、ワーグナスが猿ぐつわを噛まされ、椅子に縛り付けられてその自由を奪われていた。
「しかし、ヴァルヒード伯の委任状はマッシモ親方の釈放のために入手したんじゃなかったのか?しかもその男は委任状と交換するための人質だったはずだ。何でここに居るんだ?」
幹部の一人が疑問を口にする。
確かにどうしてだろう?結局モランたちが善仁を奪還した狙いはどこにあるのか?そこに疑問を感じたまま、善仁はここに連れて来られた。
すると今度はピコロ親方が口を開く。
「その話をするには、もう一人のお客が来るのを待たないと……っと、来たようだね。タイミング、バッチリね」
屋根裏部屋と下の階層を繋ぐ階段から、大きな足音が聞こえてきた。しばらくすると大男が手下を一人連れて姿を表した。
あれは確か、マッシモ親方の子分のブルトースとかいうヤツだな。善仁は現れた大男の名前を思い出す。
「ようピコロ、呼ばれたから忙しいのに来てやったぜ……って、ああ‼︎何でその男がここにいるんだよ⁉︎」
ブルトースは善仁を指差して、驚愕の表情で大声を上げた。
「マッシモ親方を釈放させる交渉はどうなったんだよ‼︎もう処刑の予定日まで、いくらも無いんだぞ‼︎あんた何考えてるんだ⁉︎…………まさか‼︎」
ピコロ親方はブルトースを見ると、能面のような無表情で、目に冷たい光を宿らせながら話し始める。
「今回の交渉は難航したね。本当に。何でこんなに頑固なのって、いい加減うんざりしてた時にね、あんたと派閥争いしてるデゴサールから話を持ちかけられたのよ。港の利権の一部をよこすから、跡目争いで自分に味方して欲しいってね。あんたたち兄弟なのに、いつの間にそんなに仲悪くなってたの?儂、話を聞いてびっくりしちゃったよ」
ブルトースは驚愕の表情のまま固まっている。
「その時にね、ピーンと来ちゃったんよ。このままマッシモを助けたとして、確かに感謝はされるかも知れない。義理が生まれて、今後の関係を有利に進められるかも知れない。でも、分かっちゃったんよ。もう部下たちの抑えが効いてない。マッシモの時代は、もう終わったんだってね」
ピコロ親方は淡々と話を続ける。
「だからマッシモには気の毒だけど、儂はゴンドール一家の利益を優先させてもらう事にしたよ。もう正直に話そうか、この間あんたが乗り込んで来た頃には、もう儂は交渉を完全に打ち切ってたんよね、実は」
そのピコロ親方の言葉を聞いたブルトースの表情が憤怒の色に染まる。
「ふっっ……‼︎ふざけてんじゃあねえぞ‼︎ピコロ‼︎そんな不義理が、許されると思ってんの…………があっ⁉︎」
口から飛沫を飛ばしながらブルトースがピコロに食ってかかったその瞬間、なんとブルトースの後ろに控えていた手下と思われる男が、細いワイヤーのようなものを後ろからブルトースの首に回し、そのまま絞め始めた。驚いたブルトースは足を滑らせ、尻餅をつく。
「ぐうっっ、………ぞ、ぞんな……ばが、な……」
男は力の限りブルトースを絞めあげている。ブルトースは尻餅をついた体勢で足をばたつかせる。後ろで自分の首を絞める男を掴もうとするその手は虚しく宙を彷徨った。その顔色は赤を通り越して、どす黒い赤紫に変わっていく。
「まあ、これが儂なりのケジメの付け方だと思って欲しいね。ま、心配しなさんな。あんたの兄貴、デゴサールも、そのうちあの世に送ってあげるから。生き残ったマッシモ一家を吸収して、ゴンドールはますます大きくなるよ!いやあ、夢が膨らむねえ‼︎」
ピコロ親方は満面の笑みを浮かべながら、苦悶の表情を浮かべるブルトースに向かってそう言った。
(悪魔だ……)
目の前の光景を眺めながら、善仁はピコロ親方の恐ろしさに戦慄していた。
この一見冴えない小太りの中年男は、その見た目からは想像も出来ない悪魔をその心の中に飼っている。
モランたちの態度から、ピコロ親方を恐れているような様子が時折見受けられるのは、ピコロ親方のこの本性を知っているからなのだろう。
ワーグナスも目の前で人が殺されようとしているからなのか、先ほどからガタガタと震えている。
しばらくするとブルトースの体は痙攣し始めた。
「手下に裏切られてる事にも気付いてなかったみたいね。やっぱりそれだけ体がでかいと、頭まで栄養が回らんのだろうね。ブルトース、安らかに眠るが良いよ」
ピコロ親方の言葉が終わる頃には、ブルトースは動かなくなっていた。首を絞めていた男は、他の手下と一緒に、死んだブルトースの体を抱えて部屋から出て行った。
「そんなわけだから、皆んな、これから忙しくなるよ‼︎賭場は開くし、マッシモ一家とは間違いなく抗争になるし、チャンス到来だね‼︎さあ皆んな、稼ごう‼︎大いに稼ごうねえ‼︎」
幹部たちはピコロ親方の言葉に少々引いたような表情を浮かべながらも、無理やり「さすが親方」「やってやりましょう」などとおべっかを使っている。そんな中でモランだけは仏頂面のまま物思いに耽っているようだった。
「さて、この件は片付いたと……じゃあ、もう一つの問題を片付けようか。えーと、そうそう、ロトのお兄ちゃん。あんたの今後についてなんだけどね……」
ピコロ親方はいきなり善仁の方を向いて話し始めた。
「モランはずっと反対してくるんだけどさ、お兄ちゃん、あんた少し知り過ぎたよね。儂も色々考えたけど、やっぱり消えてもらうしか、無いような気がするんよね。あんたを生かしとくのは危険だって、何かが儂にそう囁くんよ」
(ああ、やっぱりか)
善仁は自分でも意外なほどピコロ親方の言葉に対して何も感じなかった。まあそうだろうな、と言うのが素直な感想だ。
引き渡しの後、モランたちが追ってきたのは、本当のところはやはり「口封じ」のためだったのだろう。
善仁が今まだ生きている現状は、モランの良心か善意によってのみ成立しているという事だ。
善仁は予想していたピコロ親方の言葉に対して、用意していた答えを喉の奥に準備する。一瞬の躊躇を振り払った善仁は、その口を開く。
「ピコロ親方に提案が有ります」
真っ直ぐピコロ親方の目を見てそう言った。先程の光景を目の当たりにしたと言うのに、すでに善仁の中のどこにも恐怖心は無くなっていた。
「ほう、儂相手に命乞いの交渉をするつもり?良いよ、何を言い出すかは知らないけど、聞いてあげようじゃあないの」
冷たい光を目に宿らせながら、ピコロ親方は善仁に話すよう促す。
善仁は一つだけ深い深呼吸をした後にその言葉を言った。
「俺をゴンドール一家に加えてください」
善仁がそう言った瞬間、部屋の中に何とも言えない微妙な空気が広がった。