地獄の釜底
砂嵐の中には善仁の想像以上の景色が広がっていた。
砂嵐の外に比べると日の光が遮られ、薄暗い。
舞い上がる砂埃によってできた砂色の雲は、濃淡の具合によるものか、日の光の反射によるものなのか定かではないが、ところどころが毒々しい赤色に発光している。
外に居た時とは比べ物にならない暴風に煽られ、砂埃を纏った空気の塊が、横殴りに善仁たちを転倒させようと時折襲ってくる。それによって疾走竜たちは右に左にフラフラと流され、真っ直ぐ走る事さえも困難なようだ。
乱気流と暴風で埋め尽くされた空間の中、遠目には高さ200メートルはあろうかという巨大な竜巻が見える。それも何本も。
近くを通ればたちまち巻き込まれて上空へと舞い上げられてしまう事だろう。
さらには嵐というだけあって、忙しなくそこかしこで落雷が起こっている。赤黒い光に包まれた空間の中に、落雷の稲光の青白い光が絶え間なく、不規則に明滅していた。
自然が作り出す風景から遥かに逸脱した超常的な光景が周囲360度、善人たちを取り囲んでいる。
地獄の底はこんな風景。そう言われても納得してしまいそうだった。
(暴風、竜巻、落雷……自分で提案しておいて何だが……生きてここを出られるんだろうか?)
砂嵐に突入してから1分もしないうちに、善仁は自分の思いつきを後悔し始めた。
ガビシャアアアァァァンンン‼︎‼︎‼︎
いきなり善仁たちから10メートルほど離れた場所に雷が落ちた。
「ヒィッ‼︎」
思わず善仁は身を縮める。
後ろを振り返ると、モランたちは皆その体を可能な限り小さく縮めて、超常的な自然の気まぐれで儚い命を消し飛ばされないように、必死で幸運を神に祈りながら走り続けているようだった。
そんな状況の中、
「おいおいおいおい、嘘だろ⁉︎アイツら、追いかけて来やがった‼︎」
ウィードが大声を上げる。
見れば、遥か後方に、自分達を追っていた集団が、砂煙の壁を突き破って姿を現し始めた。
まさか砂嵐の中まで追って来るとは。
追手の軍勢の狂気的な執念の前に、善仁の目論見は無駄となってしまった。
善仁がそのまま軍勢を注視していると、彼らは左右二手に割れて、後ろを走っていた装甲馬車のような大きな車輌を前方に押し出し始めた。
何をしようとしているのか善仁が理解できないでいると、前に押し出した大きな車輌二台の陰に隠れるように、彼らは位置取りを開始する。
暫くして、善仁は彼らが大きな車輌を風除けに使って、極力消耗を抑えながらこちらを追いかけている事に気付いた。
大きな車輌を牽引しているあの大きな生物は、もともとかなりの馬力があるらしく、暴風をものともせずにこちらを追いかけてくる。
マズい!あちらの方が明らかにこの嵐の中を進むスピードが速い。このままでは追い着かれてしまう‼︎
善仁の焦りをよそに、追手は確実にこちらとの距離を縮めて来ていた。
その時モランが乗っている疾走竜に異変が起こった。目で見て分かるほど明らかに失速し始めたのだ。
「ヴィータ!モランの様子がおかしい!」
思わずヴィータに話しかける。その声に反応してヴィータは確認のために後ろを振り向いた。遠目にモランと彼が騎乗する疾走竜を見ている。
「……ありゃあバテ始めたな。あの疾走竜はもうダメだ。あのまま乗ってたら追いつかれるどころか、その前に転倒しちまう」
彼女は冷静に分析しているが、よりによってこんな時に、それは非常にマズいのではないだろうか。
その瞬間、善仁の頭に閃きが走った。
「ヴィータ‼︎今だよ!〝ケツもち〟するんだ‼︎俺たちで‼︎」
それを聞いたヴィータは一瞬目を丸くした後、大きく頷いた。
「良い事言うじゃないか、ロト‼︎よし、モランを助けに行くぞ‼︎」
そう言って後ろを走る皆を避けて大きく外側に振り出しながら、失速し始めた。
善仁とヴィータを乗せた〝ロシナンテ〟が失速しながらモランと彼を乗せた疾走竜に近付いていったその時、
「俺も手伝う‼︎モランが俺の疾走竜に乗り移れるように援護してくれ‼︎」
「俺もだ‼︎自分達だけ美味しいところを持っていこうなんてお前らズルいぜ‼︎」
そう言ってユードとトマーゾも善仁たちに近付いて来た。
いざとなれば危険を顧みず仲間同士助け合おうとする。
本当に良いチームだと、こんな時ではあるが善仁は思う。
後ろを見れば大きな車輌は目と鼻の先と言えるほど近くまで追い上げて来ていた。
車輌を牽引する大きな生物は力強い足取りで走り、じわじわとモランに近付いている。
まるで戦車のキャタピラのように、モランが乗っている疾走竜ごと巻き込んで、踏み潰してしまおうとしているかのようだ。
善仁はユードが渡してきた例の投げ槍を受け取る。ユードの疾走竜の鞍にはまだ三本ほど残っていた。もしかして、こんな事もあろうかと温存していたのだろうか?
善仁はモランの疾走竜と大きな生物の間に開いている距離の真ん中を狙って槍を投げる。槍は地面に届いた瞬間、派手な光を放って火柱をあげた。
大きな生物は目の前にいきなり発生した炎に驚いてその走りを乱した。
「今だ‼︎乗り移れ、モラン‼︎」
ユードがモランにぶつかりそうな近くまで疾走竜を寄せる。モランは器用な体捌きでユードの鞍の後ろに飛び移った。
乗り手を無くした疾走竜は大きな生物の体の間に挟まれたかと思うと、そのまま転倒し、踏み潰されて後方へと消えていく。
「助かったぞ、お前ら‼︎後は何とかこいつらを引き離さないと……」
モランがそう言った瞬間、彼の近くに飛び出してきた影があった。
大きな鳥に跨ったその影は、モランとユードに近付きざま手に持った湾曲刀で斬りつけて来た。
キィィンンン‼︎
間一髪でモランが鞘から抜け切らない剣で受け止める。影は続けて二撃目を繰り出すが、ユードは疾走竜ごと避けて紙一重でそれを躱す。
奇襲に失敗した影は一旦離れて行くようだ。おそらく体勢を立て直して、もう一度攻撃して来るだろう。
「アイツだ‼︎ヤバい‼︎逃げないと」
ヴィータが慌てたように叫ぶ。その声からは怯えが感じられた。
「ヴィータ、俺たちは〝ケツもち〟だ。逃げるのは最後だ」
善仁はヴィータを落ち着かせるために、意識して落ち着いた声で話しかける。
「……うう、アイツはマジでヤバいんだってぇ……」
その〝ヤバい〟アイツは大きな車輌の陰に隠れていった。またいきなり飛び出して奇襲するつもりらしい。
「離脱するチャンスを作らないといけないな、モラン!トマーゾ!俺に合わせて槍を投げられるか?」
善仁はモランとトマーゾに声をかける。
今思いついたアイデアは、投げ槍を三本まとめて投げる事で出来る大きな火柱を目眩しにして、離脱する時間を稼ぐというものだった。
「誰に向かって聞いてんだよ、出来るに決まってるだろ!」
トマーゾが善仁に答えて言う。
「悪いが俺たちは槍を投げたら一足お先に離脱するぞ。お前たちも絶対に無事で戻れよ‼︎」
モランはユードの鞍から投げ槍を引き抜きながら言った。
三騎は走りながら足並みを揃えて横一列に並ぶ。善仁、モラン、トマーゾはそれぞれ槍を構える。
お互いの顔を見合って合図し、「せーの」で三人とも一斉に槍を投げた。
モランとトマーゾが投げた槍は見事に四頭立てで走っている大きな生物の、前側を走る二頭にそれぞれ命中して火柱をあげた。
しかし善仁が投げた槍だけは狙った所を大きく外れ、大きな車輌の前面に突き立った。しかもどういうアクシデントなのか、火柱は上がらず、不発に終わる。
(チキショー!やっちまった‼︎)
こう見事に外してしまうとさすがに恥ずかしい。
しかし命中した二本だけでも目眩しには十分なようで、まずはユードとモラン、次にトマーゾを乗せた疾走竜は、この場から離脱を開始した。
それを見て少し安堵した善仁は「ほう」、と一息ついた。
しかしそうやって油断していたその時。
善仁の視界の端で、大きな生物の背中に燃え上がる火柱の中から、あの影がこちらに向かって跳んで来た。
こちらが目眩しに使うつもりだった火柱を、逆に利用されてしまった。
その事に気づいた時には、影は湾曲刀を抜き放ち、善仁をその斬撃の間合いに捉えていた。善仁はそれを防ぐ武器など、何一つその手に持っていない。
(あ……これ、終わった……)
スローモーションで流れて行く時間の中で、影と善仁の目が合う。影の冷たい瞳の光に射抜かれた善仁は、ごく自然に自身の死を悟ったのだった。
ピシャアアアアアァァァァンンン‼︎‼︎‼︎
湾曲刀の刃が善仁の体を斬り付けて来たと思ったその時、善仁が狙いを外して車輌の前面に突き立っていた投げ槍に、落雷が直撃した。
その衝撃で投げ槍に括り付けられた火炎瓶が発火する。それは容器の破裂を伴って、小さな爆発を引き起こした。
「があっ‼︎」
爆発に驚いて体勢を崩し、影の斬撃は虚しく空を切る。影を乗せたまま地面に着地した大きな鳥は、炎に怯えたのか、車輌から離れていった。
「今だ‼︎ロト‼︎スプリントをかけるよ‼︎しっかり掴まってろ‼︎」
ヴィータはそう言ったかと思うと、踵で〝ロシナンテ〟の横腹を軽く蹴った。
あの加速が来る‼︎そう思った善仁は咄嗟にヴィータの腰にしがみつく。その瞬間、弾かれたように〝ロシナンテ〟は前方に向かって加速し始めた。
〝ロシナンテ〟がスプリントを始めたその後ろで、大型戦車は牽引していた泥毛獣が炎と爆発に怯えて恐慌状態に陥った事により、急激に進行方向を横に逸らす。しかし車体は慣性に逆らえず、急にその横面を前に晒したかと思うと、その勢いのまま横転した。
それに巻き込まれて泥毛獣は繋がれたまま振り回され、地面に激突して絶命した。
そして不運にもそこに後ろから来ていたもう一輌の大型戦車が突っ込み、二輌ともぶつかり合って大破する。
大型戦車の破片や、事故に巻き込まれた戦車、それと走破鳥や騎兵たちが空中に投げ出されて宙を舞う。
まさに地獄の釜底の光景だった。
そうやって第13軍部隊が壊滅して行くのを置き去りに、モランたちは一人も欠ける事なく、砂嵐を走り抜けたのだった。