決死行
「ひいいいぃぃぃぃ‼︎」
目の前のカリメールの表情は恐怖に歪んでいる。
無理もない。置かれた状況を理解すればするほど、善仁はその恐怖に共感できる。
先ほどから何度も自分たちが乗っている馬車に向かって、モランたちが槍のようなものを投げて来る。
先端に火炎瓶を括り付けているそれが命中するたびに、善仁たちを炎の熱と光が包む。
馬車に守られているので別に命に関わるわけではないが、派手な炎にどうしても恐怖を感じてしまう。
自分たちを護衛している兵士たちはあまり役に立っていないように思えた。
彼らが騎乗している毛の長い山羊のような見た目の動物は、前後の縦方向に走る速さならともかく、左右の横方向への機動性についてはモランたちが騎乗する、「疾走竜」とかいうあの恐竜のような生物には遠く及ばないのが見て取れる。
モランたちが見せる機動に、護衛の兵士たちはまるで追い付けないでいた。
善仁以外の三人は、皆床に這いつくばって姿勢を低くし、座席にしがみ付いている。
あの投げ槍でこの馬車の扉や車体をぶち抜けるとも思えないが、考え得る限りの安全策をとっているのだろう。
「ア、アウリス様、危険です。頭を、頭を低く…………ひいっ‼︎」
カリメールが善仁に話しかけて来るが、そのタイミングでまた投げ槍が命中したのだろう。またしても馬車を炎が包み、カリメールはその身体を縮こまらせる。
しかし善仁はその言葉に従うどころか、ガラスを嵌め込まれた扉や後部座席の小さな窓を、周囲の情報を拾い上げようとしてあちらこちらと覗いて回っていた。
(もしかしたらモランたちの目的は本当に俺なのかもしれない)
善仁は先ほどからそう考え始めている。可能性として考えられるモランたちの目的、それは善仁にとっては望ましくないものだ。
そう、「口封じ」である。
善仁はモランたちとそれなりに長い期間関わっていた。その善仁からゴンドール一家に関する情報が漏れる事をピコロ親方は恐れているのかも知れない。
しかし、ゴンドール一家側が一方的に条件を反故にして善仁を始末した場合、マッシモ親方の釈放もすんなりとは行かない気がするのだが……。
本来ならカリメールたちと同じく床に這いつくばって震えているべきなのだろうが、不思議な事に善仁自身は全く恐怖を感じていなかった。
むしろこの状態では四方を馬車に囲まれて今のところ安全ではあるが、もし護衛の兵士が壊滅した場合、モランたちに好き放題攻撃されるままになってしまうように思える。
扉の蝶番が度重なる攻撃でガタつき始めたのを見て、意を決した善仁は観音開きの構造になっている扉を思い切り足の裏で蹴飛ばした。
扉は二枚とも枠から外れて飛んでいった。それによって善仁の目の前の視界が大きく開ける。まあ、盾になる扉が無くなった事で、身の危険は遥かに増したわけではあるが。
「なっ!何を考えておるのだ‼︎おぬしは!」
驚愕した表情でワーグナスが叫ぶが、善仁はお構いなしに馬車の周囲を見渡す。馬車があまり揺れないので気付かなかったが、今まで結構なスピードで走っていたのだと初めて知った。
善仁が何気なく後方に目をやると、何かが物凄い速さで近付いてくる事に気付いた。
あたりを舞う砂埃に隠れながらも輝いているあの銀髪は……。
「ロト‼︎迎えに来たぞ‼︎横を通り過ぎるから鞍に飛び移れ‼︎」
ヴィータだ‼︎フードも帽子も何一つ被ってない。特徴的な銀髪を向かい風になびかせながら彼女は、いや、彼女を乗せた〝ロシナンテ〟は、あっという間に馬車の横に並んでしまった。
この瞬間、善仁は本来ならヴィータの「迎えに来た」という言葉を疑ってかかるべきではあった。あったのだが……
疾走竜に跨り、輝く銀髪をなびかせ、馬車と並走しているその姿を見て、善仁はまるで映画のワンシーンか、一枚の絵画を見るような感動に心が震えるのを自覚する。
彼女の左目の緋色の瞳が怪しく光って善仁を見つめている。
これは、何と言えば良いのか…………。
(か、格好良い……)
純粋にそう思った。その瞬間、善仁はもう迷わなかった。
「アウリス様‼︎いけません‼︎」
カリメールが何か叫んでいるが、どうでも良い。
善仁は少し助走を付け、ヴィータが跨る鞍の後ろめがけて飛び出そうとした。
しかしその時、馬車の天井から何者かが客室に飛び込んで来た。その勢いのまま善仁を捕らえて床に引き倒して馬乗りになる。
「おお!ランバート卿!お手柄ですぞ」
カリメールがうるさい。目の前の兵士は善仁を上から押さえ付けて来た。瞬間、善仁の腹の底で、何かが爆発するようなイメージが湧く。
息苦しさと邪魔をされた苛立ちから、馬乗りになった兵士を押し退けようと善仁は右手を相手の顔に向けて突き出した。
その瞬間、善仁の拡げた掌、その親指が相手の左目に突き刺さる。
「があッ‼︎」
相手は善仁が期せずして繰り出した目潰しの痛みで思わず仰け反った。その隙に善仁は背中を逸らし、足の裏で床を蹴って馬乗りから逃れる。
相手より先に立ち上がった善仁は、痛みにうずくまる兵士の顔をサッカーボールのように蹴り飛ばした。気絶したのか、兵士はそのまま床にうつ伏せに倒れ込む。
(まさかとは思うが、死んだりしてないよな?)
自分がこれほど野蛮な行動をした事に驚きながらも、善仁は奇妙な高揚感に包まれていた。
馬車の外を見ると、ヴィータは善仁が飛び移りやすいように、目一杯〝ロシナンテ〟の体を馬車に寄せてくる。
今度こそという思いで善仁は軽い助走を付けて馬車から飛び移ろうとする。しかし善仁の足首を、またしても誰かが掴んだ。
本当なら善仁は〝ロシナンテ〟に乗せられた鞍を跨ぐ勢いで跳んだつもりだったのだが、足を引っ張られた事で何とか上半身で鞍にしがみつくのがやっとだった。
慌てて振り向くと、驚いた事にワーグナスが物凄い形相で善仁の両足に掴まっている。
その姿に善仁は既視感を感じた。
(今度はお前かよ‼︎クッソ、邪魔すんじゃねえ‼︎)
〝ロシナンテ〟は馬車から離れ始める。必死でしがみつく善仁の体も引っ張られる形で馬車から引き抜かれるように飛び出していく。しかしワーグナスは善仁の足に取り付いたままだった。
自然と善仁は〝ロシナンテ〟と馬車を繋ぐ橋のような体勢で固まった。腹の下で地面が物凄いスピードで流れていく。
(こ、この体勢はしんどい!ヤバい‼︎このままだと落ちてしまう‼︎)
善仁の心が恐怖と焦りを感じたその時、今度は前方から近付いて来る何かがあった。
わざと減速する事で近付いて来る疾走竜に乗っているのは、目出し帽を被っているため顔は見えないが、大きな体格からしておそらくザラスだろう。
彼はさらに急に減速すると、上体を地面と水平になりそうなほど倒し、善仁とワーグナスにぶつかる勢いを利用して、その太い腕でラリアットをするようにワーグナスの体を掬って持ち上げた。凄まじい腕力だ。
ザラスの太い腕が腹部を直撃したワーグナスは、堪らず善仁の足を放す。急に引っ張る力が無くなったその反動で〝ロシナンテ〟の走りは大きく左にブレたが、その隙に善仁は鞍によじ登り、何とか無事に跨る事ができた。
〝ロシナンテ〟もすぐに安定した走りを取り戻す。
ザラスはそのままワーグナスを引き上げながら抱き抱え、ワーグナスの首の周りに太い腕を回して裸締めの体勢で締め上げ始める。
ワーグナスも初めは抵抗する様子を見せたが、数秒後には大人しくなった。どうやらあっという間に締め落とされたようだ。
「良し‼︎そのまま離脱しろ‼︎残った追手を振り切るぞ‼︎」
あの声はモランだ。見れば他のメンバーも集まって来ている。そのままモランたちの集団は馬車から離れていく。
「やべえ、アイツがまた来るぞ‼︎」
ハンクの鞍の後ろで腹這いになって荷物と化しているウィードが後方を指差しながら叫んだ。
その声に釣られて善仁が後ろを振り向くと、一人だけ色が違う鎧を着た騎兵を先頭に八騎の集団、そして三輌の荷車のようなものに乗った兵士と、そのさらに後方に大きな馬車のようなものが二輌、固まって隊列を組んで追いかけて来るのが見える。
最初に見た時と比べると数を減らしてはいるが、それでもかなりの兵数だ。一定の距離を保ったまま付いて来ている。
隊列をきちんと組み直した事で、バラバラに動いていた先ほどまでと違い、確実にこちらに追い着いて来ていた。じわじわと距離が縮んでいく。
先ほどまでは、モランたちが装甲馬車という彼らにとっての護衛目標を囲んで攻撃していたため、騎兵たちも攻撃の手を緩めざるを得ないところがあったように見受けられる。
しかし装甲馬車から離れた今、騎兵たちは本気で、手加減無しに、モランたちを取り囲んで、数の暴力で揉み潰すだろう。
どういうわけかモランたちの側に加わってしまったが、このままでは巻き添えになる未来が待つ事に気付いて、善仁の背中を冷たい汗が流れていくのだった。