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異世界堕悪  作者: 押入 枕
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〝異界渡り〟の夜

 暗い森の中、その遺跡はところどころに設置された篝火(かがりび)と、松明の明かりを反射して浮かび上がっている。

 かつては寺院か、神殿だったのだろう。しかし過去の威容は長い歴史の圧力に押し潰され、見る影も無くなっていた。

 普段は廃墟として打ち棄てられているであろう事は、散積する瓦礫に植物の(つた)が這っている事からも明らかだ。しかし今夜はその廃墟に人の気配がする。


 人数にして四十名ほどだろうか、その格好からニ種類に分ける事ができそうだ。

 片方のグループはローブ、法衣と呼ぶべきか、宗教的な意匠の服を(まと)っている。

 もう片方は革鎧を着用し、その下には鎖帷子(かたびら)を着込んでいるので兵士である事が分かる。

 ローブの集団は遺跡の広間の中央に陣取り、その周りに兵士たちが散らばって辺りを警戒している。

 今夜は風が凪いでおり少し蒸し暑い。そのせいか兵士たちの中には、汗が(にじ)む顔を不快そうに(しか)めている者がちらほら見受けられる。

 遺跡ではローブの集団によって何らかの儀式が行われ、それを兵士達が守っているようだ。

 広間の中で一段高さのある場所には祭壇らしきものが置かれている。祭壇の正面には一人の、おそらくは女性であろう人物が祭壇に向かい合って祈りを捧げている。

 祈り手とでも呼べばいいのだろうか。他のローブの者達とは格好が違っており、より露出は多いが上等な生地の服を身に付けているようだ。そしてごく細い作りの頭冠をその頭に乗せていた。

 彼女を取り巻くように広がるローブの者達も祈り手であろう。皆、祭壇に向かって(ひざまず)いている。

 祭壇を中心に祈り手たちの祈り、経典の詠唱が響く。

 祈り手ひとりひとりの詠唱が合唱となり、低く、野太い声が乱雑に束ねられていく。

 ゴワゴワとした感触の詠唱の束は太く、重く、大地に沈んで、まるで一匹の大蛇がとぐろを巻いてのたうつかのように(うごめ)きながら周囲に響いている。



 神殿司祭ワーグナスは、祭壇から離れた場所に設置された(やぐら)の上から儀式の様子を見下ろしていた。

 (そば)には儀式が始まってからずっと空と星々の状況を監視している占星術士と、護衛と周囲の警戒に当たる兵士が二人控えている。

 それとおまけに立会人として、あまり有り難くない事ではあるが、お目付役の魔導省(まどうしょう)幹部が隣に居る。筋金入りの官僚である彼とは全く反りが合わないことを、ワーグナスはこの計画が立ち上がって初めて顔を合わせた時から感じていた。

 儀式を取り仕切るのはワーグナスだが、周囲を警戒している兵士たちへの指揮、命令権は魔導省幹部に有る。どうにも好きになれない彼を意識から追い出そうと、ワーグナスは祭壇の状況に集中する事にした。


 ワーグナスはその目の焦点を祭壇の前に座る巫女(みこ)シュツカに合わせながら、すっかり白くなった長く伸ばしている顎髭を撫でる。そして一つ大きく息をする。

 彼は満足していた。監督者、責任者として今日のこの日、この時を迎えるに当たって、今回の儀式で必要と思われる、およそできる限りの準備をすることができたと確信しているからである。


 帝国魔導省占星術(びょう)の占星術士に、いわゆる「託宣」があったのが月で数えて五つ前の事。魔導や奇跡に関わる者なら知っての通り、告げられる「託宣」には様々な事象があるが、今回得られた情報は彼らが〝渡り〟と呼ぶ現象の前触れだった。


〝渡り〟。正確には〝異界渡り〟と呼ばれる現象だ。不定期ではあるが、おおよそ数十年に一度くらいの頻度で発生する。

 この世界とは別の世界の住人が、どういった仕組みによるものか時空を超えて渡ってくるのだ。

 そうして渡って来た別世界の住人は〝渡り人〟と呼ばれ、この世界の者では知り得ない知識や未開発の技術、先進的な思想を持っているとされる。

 そのため帝国だけでなく、他の国家にとっても〝渡り人〟を手に入れる事は、それすなわち国家間での競争で優位に立つ事と同義であった。

 とにかくあらゆる国家が、なんとかして〝渡り人〟を手に入れたいと考えている。たまたま自国の領内で〝渡り〟が発生したのを感知し、〝渡り人〟を確保できれば良いが、それは完全に運任せの方法だ。

 それ以外の方法としては、すでに存在している〝渡り人〟を、本人と秘密裏に交渉して引き抜いたり、あるいは誘拐してその身柄を確保したり、変わったところでは戦争の講和条件として引き渡しを要求するなどといった事もあった。

 

 多くの場合〝渡り人〟はこの世界の特定の場所に突如現れる。

 現れる場所には色々あるが、現在よりも遙かに高度な魔導技術を誇ったとされる、古代文明の遺跡である事が多い。それ以外の場合でも、何かしらいわく付きの場所に現れるのがほとんどである事が、魔導省の長い歴史の記録から明らかにされている。

 おそらく〝渡り〟は魔導や奇跡といった、「人智を超えた力」によって引き起こされる現象であり、そのためにかつての魔導技術の残滓(ざんし)である遺跡群で発生しやすいのであろうというのが、魔導省内の一般的な見解であった。

 この謎の多い現象がいつ発生するのか、そのタイミングについては不明で、発生する頻度も安定しない。そのためこの現象を事前に感知するには、もっぱら「託宣」が起き、それによって告げられる事を願う他に方法が無い。


「託宣」とは何か。一般には神やそれに類する何かしらの、人智を超越した存在から情報を受信する事、と定義されている。

「託宣」が起きる状況として例を挙げると、よくある事例としては、神殿の神官や教会の修行僧が祈祷(きとう)中に告げられる事がある。

 他には神殿の巫女の身体に〝聖痕〟としてごく稀に浮かび上がって来る。

 あるいは占星術士が星の並びやその運行を観察している時に法則性から発生の可能性を見出す。

 などがあるが、どれも受動的な方法ばかりなので、「託宣」を得ることはどうしても運任せにならざるを得なかった。

 そもそも「託宣」そのものが不安定で不確実だ。

 今回のような、何かしらの現象に関わるものであっても直前に告げられる事がほとんどで、必ずしもその現象に対応できる充分な時間を確保できるわけではない。

 「託宣」の内容に関しても、明瞭さや実現の確度は大きくばらつきがある。「託宣」の信憑性については、過去の事例に照らし合わせて判断する以外に有効な方法が無いのが実際のところだ。


 そこへ行くと今回は幸運だったと言える。「託宣」を受けた占星術士は学識高く、折り紙付きの実力者で実績も申し分ない。告げられた内容は明瞭で、信憑性も非常に高かった。そして何より備えるために充分すぎる程の時間があった。

 本来〝渡り〟が発生する場所を事前に知ることはできない。「託宣」に含まれた情報から、大まかな範囲を推察するのがやっとだ。しかし、今回は内容がこれまでに例がないほど明瞭だったため、発生場所をかなり絞り込めた。発生時期は占星術の十八番(おはこ)である星の運行予測からの計算によってほぼ正確に割り出せたと言って良い。

 これだけ条件が整っていれば、()()()()が使える。


 帝国魔導省が開発した、その歴史に誇る偉業の一つである秘術、〝召喚の儀式〟によって任意の場所に〝渡り人〟を召喚できるのだ。


 もちろん何処にでも召喚できるわけではなく、本来発生する場所から大きく離れる事はできないし、「器」たり得る遺跡などに、それなりの設備を用意しなければならない。

 だが、それでも〝渡り人〟の争奪戦で大きく有利になることは間違いない。もしかしたら他国も何らかの方法で〝渡り〟の発生を感知しているかも知れないのだから。今のところ、任意の場所への召喚を可能にしているのは、我が帝国だけのはずだ。

 今回はほぼ確実に他国を出し抜いて、〝渡り人〟を手中に収める事ができるだろう。


(そうとも、必ず成功させてみせる‼︎)


 ワーグナスは心の中で呟く。

 帝国「神殿」内の最高権力である総主教の座を志した若かりし頃、その時抱いた野望の炎は、今もなお彼の魂の中で燃え続けている。

 今回の儀式を取り仕切る責任者には、彼よりも上位の大主教や主教たちを飛び越えて任命された。上位の者たちがいずれもかなりの高齢に差し掛かっているのが理由であろうが、いずれにせよ長い雌伏の時を経て、ようやく自分にも運が巡ってきたのだと興奮を抑えきれない。

 儀式を成功させて〝渡り人〟を確保すれば、その実績により間違いなく、次に大主教の席が空いた時にその地位を得る事が出来るだろう。そうなれば残った寿命を計算に入れて、総主教の座に着くという奇跡も実現する可能性が充分に出てくる。野望が成就するかも知れないのだ。


(いや、これは神の思し召しだ。総主教となって信徒を導けと神が儂におっしゃっているに違いない!これこそ「神との対話」だ‼︎)


何の根拠も無い、妄想とさえ言えそうな考えだが、その考えが浮かんで来るたびに浮き足立つ心を押さえ付けるのに苦労する。顎髭を弄ぶことで何とか気を紛らわせようと試みる。

 心が落ち着かないのは儀式の完了が近いせいもあるだろう。天体の動きを監視している占星術士からは異常や凶兆の報告は全く無い。

 それに儀式の術理や手順を知ってはいるが、この場にいる誰も〝異界渡り〟に立ち会った経験は無いのだ。実際のところ何が起きるのか分からない不安は間違いなくある。とはいえ儀式は開始から順調に進み、すでに仕上げの段階に入っていた。


 祈り手たちによる経典の詠唱は続いている。

 彼らの祈りによって、古代文明が遺した神殿遺跡という「器」に、祭壇を中心にして〝魔素(マナ)〟が蓄積している。そうする事でここに「場」が形成されてゆく。

 祈りはすでに一昼夜に及び、おそらく祈り手の中には「恍惚(こうこつ)状態」に「入って」いる者も居るだろう。

 もちろん目には見えないが、「場」の〝魔素〟がかなりの密度と厚みになっている事は、霊験がおぼつかないワーグナスであっても感じ取る事が出来た。

 強靭な「場」を形成できたなら、あとは巫女シュツカを「鍵」たる霊媒として使い、〝渡り人〟を引き寄せるだけだ。

 ワーグナスの管轄である孤児院からスカウトした彼女を巫女として養育してきたのは無駄ではなかった。安くはない投資だったが、そのおかげで大きな成果を生んだ。

 彼女は誰の息もかかっていない、彼直属の巫女だ。その分手柄の分散を防げるし、何より彼女の霊験が、一般的な巫女のそれを遥かに凌ぐ事を彼は知っている。何らかの事故が起きない限り、儀式の成功は約束されたようなものだ。

 ただ、まだ〝渡り人〟が顕現したわけではない。油断は禁物だ。


「ワーグナス様、あと一刻ほどで夜が明けます」

 占星術士が空を見上げたままで報告してきた。夜が明けると魔素は大幅に減少してしまうが、残り時間は充分だ。今の状況なら確実に間に合う。あとは巫女シュツカが〝渡り人〟を引き寄せることが出来れば……。


 自身の命運がかかった儀式の結末を見逃すまいと、ワーグナスの祭壇に向ける視線は自然と熱を帯びていくのであった。


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