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異世界堕悪  作者: 押入 枕
26/39

地下室の夜


 強い悪寒(おかん)に襲われて善仁(よしひと)は目を覚ます。


 気付かない内に眠っていたのか、もしかしたら気絶したのかもしれない。意識を失う前の事を思い出そうとするが、記憶は(おぼろ)げでどうにもハッキリとしなかった。


 頭痛がする。それだけでは無い。天井から吊り下げられたままの体の節々が痛い。

 雨に打たれ過ぎたせいか、殴られ過ぎたせいか、はたまたその両方が原因か、熱が出ている事に善仁は気付く。先ほど感じた悪寒はその熱のせいだろう。

 全身から力が抜けて、どこかを動かそうという気力すら湧いて来ない。


 善仁は自分が、このままでは命に関わるような危険な状態である事を自覚する。

 このまま弱って死んでいくのだろうか?

 そう考えると、死というものの前にポツンと置かれたような感じに恐怖を覚えるような気もするし、もうどうとでも、好きなようにしてくれというような気持ちになって行くようにも感じるのだった。


 ふと横を見ると、見張り役だろう、見覚えのあるゴンドール一家の下っ端が、椅子に座って眠さの限界とばかりにこっくりこっくりと船を()いでいた。


 どうやらピコロ親方を始めとするゴンドール一家の面々は、とっくの昔にここを去ったらしい。

 部屋の中は見張りの(そば)の蝋燭一本だけの明かりしか無く、そこ以外は真っ暗でほぼ何も見えない。

 空気の流れが無い地下室は、変わらず蒸し暑い。その中にあっても、善仁は寒気を感じ、体は熱のせいでひどく(だる)い。


(このまま死ぬとしたら、締まらない最期だな。あの世でシュツカに追いついて、ひどくガッカリさせそうだ)


 そんな事を考えていた時、


 目の前の扉がゆっくりと開いた。

 誰だろう、人影が部屋に入ってくるが、逆光になってよく見えない。

 片手に何か持っている。もしかして「お仕置き」の続きだろうか?善仁は緊張で唾を飲み込む。


 人影が目の前に来た時、光に少し目が慣れた事と、そのシルエットで誰だか判別できた。善仁にとっては意外な人物だ。


「おい、起きてるか?あんた顔が腫れてて寝てんのか起きてんのか全然わかんないよ」


 蝋燭の明かりを反射して銀色に輝く髪を揺らしながら、ヴィータが少し腰を落として善仁の顔を見上げるように覗き込んだ。


(ヴィータ?一体何しに来たんだ?)


 鼻息が届きそうなほど近くにあるヴィータの顔は、やはり非常に整っている。

 普段は前髪に覆われて見えない彼女の左目を初めて見た善仁は、その左目の瞳の色が右目の瞳のオレンジ色とは違う事に気付いた。

 燃えるような()色の虹彩を持つ瞳が前髪の影の中で怪しく輝いている。


(……こういう左右で色が違う目の事を何て言うんだっけ…………ダメだ、思い出せない。しかし、ホントに神様が作ったような容姿だよな)


 しばらく善仁の顔を観察していたヴィータだったが、見張りの男の方に向かって歩いていくと、男の頭を軽く小突いた。


「おい、寝てないでしばらく部屋から出ていろ。少しの間、俺が変わるから」


 小突かれた男は「へえっ⁉︎」と間抜けな声を上げたかと思うと、ヴィータの指示に素直に従って、慌てるように部屋から出て行った。


 ヴィータは「ちょっと暗すぎるだろ……」と言いながら、どこから取り出したのかランタンに明かりを灯すと、部屋の隅のテーブルを善仁の近くまで引きずって来て、その上に置いた。

 先ほどまでに比べると段違いに部屋の中が明るくなる。


「仕置きったって、ここまでしないでも良さそうなモンだけどな。このまま死んじまうんじゃないかって、正直見てらんなかったよ」

 ヴィータは善仁を見ながら顔を(しか)める。

 そういえば視界からは外れていたが、「お仕置き」の場にはヴィータも居たのだった。


「ほら、ヒード麦のお(かゆ)を持って来てやったから食べな。あんたいつから食べてないんだ?」

 そう言いながら手に持った皿の中身をスプーンでかき混ぜる。そして粥を(すく)うと善仁の口まで運んで来た。

 ……まさかこんな形で若い娘さんに「あーん」をしてもらう事になるとは……。そう考えてしまった善仁の心に恥ずかしさが込み上げて来る。


「いや、食欲、無いし……」

「ダメだろ、あんたあれだけ殴られて体も冷えて、このままじゃ体力が尽きて死んじゃうよ。いいから食べなって、無理してでも」


 そう言うとヴィータは粥の入った皿をテーブルの上に置いて片手を空けると善仁のアゴを掴んで口を開けさせた。そして粥を掬ったスプーンを口の中に突っ込んで来る。


「い、痛い痛い!……そんな無理矢理……」

「うるさい、黙って食えよ。……ほら、ちゃんと噛んで、……飲み込めよ!早く」


 仕方なく言われるままに口の中が切れている痛みを我慢しながら、善仁は粥を咀嚼(そしゃく)して飲み込む。

 ここまで持ってくる間に冷めたのだろう。粥は何とも生温く、そのせいでお世辞にも美味しいとは言えなかった。


 そのままヴィータが持ったスプーンは皿と善仁の口を何往復かする。

 ヴィータは善仁が咀嚼して飲み込むスピードに合わせる気は無いらしく、次々と粥を押し込んで来る。家畜に餌でもやっているかのようだ。


「あっ!……か、勘違いするなよ、俺はハンナに言われて粥を運んだだけなんだからな!俺がやろうと思ったんじゃないぞ!本当だぞ!」


 ヴィータはいきなり焦ったような素振(そぶ)りでそう言った。

 でしょうね、と善仁は声に出さずに心の中で呟く。


(しかし、ハンナが?なんかピンと来ないな)


 あの後モランたちに連れ戻されて「紅兎亭(くれないうさぎてい)」に帰って来た時、ハンナは善仁の顔を見るなり平手打ちを喰らわしてきた。

 その時の事を思い返すとハンナがこんな気(づか)いをして来るような実感が湧かない。

 しかし、事実こうして粥を食べさせてもらっている。殴られながら死んでしまう事が頭をよぎった数時間前とはえらい違いだ。

 善仁は腹の中が粥で満たされるにつれて、女たちの優しさが心にも染み渡ってくるように感じた。


 皿の中が空になると、さらにヴィータは水筒を取り出して水を飲ませてくれた。

 善仁が少し落ち着いたのを観察している様子だったヴィータは、やる事が無くなったはずなのに部屋から出て行こうとしない。

 その事に違和感を感じた時、ヴィータが口を開いた。


「……聖女様、死んじまったんだな…………」


 寂しげな声で呟く。

 食事をしたことで安堵した善仁の心は油断していた。そのヴィータの言葉を聞いて、忘れていた悲しみが込み上げて来る。


「一体何が有ったのか、深く聞くつもりは無いけど……って、えっ⁉︎……あんた……泣いてるの?……」

 ヴィータが驚いた表情で善仁を見ている。


「……俺の……俺のせいなんだ……助けられなかった。どうにかできたはずなのに……死なせてしまった……どうして……」


 (だい)の大人、いい歳こいたおっさんになりかけの男が子供のようにベソをかいているのだ。そりゃヴィータもドン引きだろうと善仁は思うが、(あふ)れてくる涙は止められなかった。

 無様な姿を(さら)していると頭では理解していても、どうしようも無い。


 何なら馬鹿にされても良いぐらいの気分だったが、ヴィータはそれ以上は何も言って来る事は無く、(しばら)くすると、善仁の裸の上半身に毛布を巻いて、部屋から出て行った。


 空腹が満たされた事と、毛布を巻かれた事で善仁の体は温まり始めた。熱が出ているせいもあるだろう。

 汗が噴き出るほどの暑さを感じながらも、ぼんやりとした思考のまま、善仁はゆっくりと滑り落ちるように睡魔の中に沈んでいった。





 ふと、誰かの気配を感じたような気がして善仁は目を覚ました。


「…………?」

「あ、起こしちゃいましたか、ヨシヒト。せっかく眠ってたのに、ごめんなさい」


 聞こえて来たのは聞き覚えのある声だった。


「こんなにボロボロになって……私を(とむら)ったりするから……。放っておいてどこか遠くに逃げてしまえば良かったのに」


「‼︎……シュツカ⁉︎……どうして?一体これは……?」


 見張りもいなければ蝋燭の灯りも無い。一条(ひとすじ)の光さえ入らない地下室の筈なのに、善仁の目の前にはハッキリとシュツカの姿が見える。


(ああ、なるほど。夢を見てるのか……)


 少し混乱した後、善仁はそう思った。おそらく熱に浮かされているのだろう。なぜか冷静にそう思えた。


「どうして〝いいひと〟なのに、酷い目にばかり遭ってるんでしょう?ヨシヒトは」


 それはお前もだろう、と思いながら善仁はシュツカの幻影に語りかける。


「会いに来てくれたのか?もしかして俺が心配で安心して天国へ行けないのかな?だとしたら申し訳ないな……」


 少し冗談めかした台詞だが、たとえ夢でもこうしてまた会えたことが嬉しかった。心の奥がじんわりと暖かい。


「それはそうと、ヨシヒト。あなた心のどこかでもう生きててもしょうがないって思っていませんか?死んでも仕方ないって思っていませんか?約束しましたよね。生きるって。まさかとは思いますけど、もう忘れちゃったんですか?」


 シュツカは怒ったような顔を作ってそう聞いてきた。


「まさか、忘れないさ。……でもな、ピコロ親方は俺を許さないだろうしな。……一体これからどうなるのか、俺には知る(よし)もないんだ」


 一息に善仁を殺してしまわないのは苦しめる事で見せしめにし、ゴンドール一家の家中の統制に利用しようとしているのか。

 まさか散々痛めつけるだけで「ケジメ」をつけた事にするほどピコロ親方は甘くは無いだろう。


「ダメですよ。どうなるとしても、諦めてしまうのはダメです。気持ちで諦めてしまったらそれまでですよ。その先が絶たれてしまいます」


「そうは言ってもな……、正直これからどうしたら良いのかさっぱり分からないんだ。もう元の世界にも戻れないし……」


 言ってから善仁は「しまった」と思った。

 どうして自分はこう余計な一言を言ってしまうのか。


「それは……ごめんなさい。それは私の落ち度です。何としてもあなたを送り返すつもりだったのに……」


 案の定シュツカは悲しそうな顔をする。

 違うんだ、こんな事が言いたかったんじゃないんだ。善仁はそう思う。


「……どうやら時間のようです。生きてくださいね、ヨシヒト。また会える時を楽しみにしてます」


「えっ?もう行ってしまうのか?もう少しで良いからここに居てくれないか?シュツカ」


「ヤケを起こさないで……、自分を大切にしてくださいね。……それでは……」


「待ってくれ!まだ、まだ言い残した事が…話したい事があるんだ‼︎…………シュツカ‼︎‼︎」



 善仁がそう叫んだ瞬間、視界が明るくなった。薄暗い地下室の様子が目に飛び込んでくる。天井から吊られた体がぷらぷらと緩やかに揺れている。

 地下室の空気は冷え切って、体に毛布を巻かれているのに少し寒気(さむけ)がした。まだ熱があるのかも知れない。善仁は冷静に状況を分析する。


「…………やっぱり夢か……そりゃそうだよな…………」


 独り呟いた後で、両目から頬にかけて、少し冷たさを感じた。

 ……眠りながら泣いていたのか。自分でも心配になるくらい涙(もろ)くなっていないだろうか?


 そんな事を考えていると、目の前の扉が開いた。そしてモランが姿を現す。


「……なんだ、もう起きてたのか。……まさか、寝てないんじゃないだろうな。いや、一晩中吊られっぱなしなんだ、寝てないとしてもおかしくはないか」


「……大丈夫、少しは眠れたから……」


 善仁は律儀に答えて、そんな自分に心の中で苦笑する。

 善仁の上半身に巻かれた毛布にモランが気付いてない筈は無いのだが、モランは何も言っては来ない。


「流石にこれ以上吊ったままだと、血の流れが滞っていきなり死んだりするからな、ほら、降ろしてやるからおとなしくしてろよ」


 そう言って天井から吊られたロープと善仁に()められた手枷とを繋いでいる留め具を外した。

 その拍子に善仁は膝から床に崩れ落ちて派手に倒れ込む。


「おいおい、大丈夫か?かなり弱ってるな、顔色もやけに悪いし。薬湯でも用意させた方がいいか……」


 モランは善仁を助け起こしながら独り言のように呟く。


 その時、善仁の脳裏に、シュツカの声が聞こえたような気がした。


(生きてくださいね、ヨシヒト)


「…………でくれ……」


 善仁は喋ろうとするが、声が思うように出せない。


「ん?何だ?何か言ったか?」

 モランが気付いて聞き返してくる。


「……ピコ、……ピコロ親方を呼んでくれないか?モラン。あの人と……二人で話したい事が有るんだ」



 まるで誰かが善仁に乗り移っているかのように、自動的に言葉が善仁の口から出てきた。


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