地下室での私刑
ボグッ!…………バスッ!…………ボゴッ!
薄暗い部屋に鈍い音が響く。一定の間隔を置いて、無機質に、淡々と鳴り続けている。
部屋の中には外部からの光が差し込まず、ところどころに置かれたランタンと、蝋燭の明かりだけが光源になっている。あまり強い光では無いので、そこに居る者たちの表情までははっきりと見ることが出来ない。
バゴッ!…………ボスッ!…………ドゴッ!
そこは地下室だった。空気が流れないのと、少なくない人数が部屋にいるせいで、少し蒸し暑い。そこに居る者たちは皆、額に汗を滲ませている。
ドスッ!…………バガッ!…………バスッ!
「ぐうっ……」
思わず善仁の口から呻き声が漏れる。同時に切れた口の中に溜まった血が、口から噴き出る。
善仁は上半身を裸に剥かれて、バンザイした状態で手首を縛られた挙句に天井から吊り下げられていた。
つま先が付くか付かないかの高さで吊られているので、言うなれば人間サンドバッグだ。殴られるたびにフラフラ揺れている。
目の前には〔皮で出来た筒に砂を詰めて棍棒に仕立てたのであろう武器〕を片手に持ったハンクが立っている。
ハンクが被っている黒い頭巾には鼻の穴と、目のある場所に穴が開けられているが、その穴から見える彼の目と、その瞳にはなんの感情も宿っていないように感じられた。瞳の中に、何かとても深い闇が沈んでいるような……。初めて会った時にも思ったが、なんとも不気味な男だ。
ハンクは手に持った棍棒のような武器を握り直すと、頭上に振り上げて、善仁を殴りつけた。
ドカッ!
「があっ‼︎」
ハンクの一撃は善仁のこめかみ辺りに命中し、瞼をかすめた。脳が揺れたのか、視界がぐわんぐわんと揺れる。悲鳴を上げてしまうくらいには、今の一撃は効果的だった。
善仁はここに連れて来られてから、すでに小一時間ほどこうして殴られていた。
おそらくこれがピコロ親方の言っていた「お仕置き」なのだろう。
一体何発殴られたのだろう?始めの内は感じていた痛みを、いつの間にかあまり感じなくなっていた。
全身がぼんやりと疼くように痛いのはかろうじて分かるが、もしかして痛みを感じる神経が麻痺し始めているのだろうか?
ボゴッ!
そんな事を考えている間にも棍棒が飛んでくる。切れて開いた瞼の上の傷から、垂れてきた血が目に入る。
視界が曇り、目が痛い。
「そろそろ止めようか、ハンク。死んじゃうかもしれないよ」
ピコロ親方の声が聞こえる。その声を受けて、ハンクの動きが止まる。
持っていた棍棒のような武器を台の上に置いて移動し、ハンクは壁を背にして、その壁に腕を組んでもたれかかる。
善仁の、血が目に入って狭くなった視界には、ゴンドール一家の男連中が立っている。モランたちだけでなく、ボルトルンや善仁が知らない者も混じっていた。
視界には入らないが、ヴィータやハンナもこの場にいる事は声がしたので知っている。
ピコロ親方はパイプをふかしながら、善仁の目の前に立った。
「困った事してくれたよね、ロト。突然聖女様と一緒に居なくなったかと思ったら、しばらくして戻ってきたは良いけど、聖女様は死んじゃった、なんてのはね。……交渉材料が無くなっちゃった。帝都のお偉いさんとの交渉、出来なくなっちゃうよ。……どうすんの?これ」
そんな事知るか。何だったらそう言ってやりたかったが、殴られすぎて口がうまく開けない。
「まあ、どちらにせよ交渉は難航してたんだけど……。ブルトースの依頼を引き受けた手前、どうケジメをつけたモンかねぇ……」
ピコロがそこまで話した時、部屋の外から大声で怒鳴りながら、何者かが近付いて来る気配がした。
何事かと思って目を部屋の入り口に向けると、大きな音と共に、荒々しく扉が開かれた。
「こ、困りますよ、ブルトースさん!」
「うるせえ‼︎ピコロに用が有るんだ、何で入っちゃいけねえんだよ、邪魔すんじゃねえ‼︎」
大声を上げながら大男と、その手下と思われる男が三人、部屋に入ってきた。
大男は周りの人間よりも体格が一回り大きく、まるで熊のようなシルエットだ。そして大男の顔は、その体格と、乱暴な言葉遣いによく似合う人相の悪さだった。
ゴンドール一家の下っ端が止めようとしていたようだが、効果はまるで無いように見える。
「おや、噂をすれば……だね。どうしたの?ブルトース。そんなにカリカリして」
「すっとぼけてんじゃねえ‼︎ピコロ‼︎聞いたぜ、交渉材料だった聖女が死んだそうだな。そっちの不手際で!どうすんだよ!ええ⁉︎」
大男はかなりの剣幕で捲し立てる。
二人のやりとりを聞きながら、「死んじゃった」とか「死んだ」とか、シュツカの死を他人事みたいにポンポンと軽々しく言うんじゃねえ、そう善仁は思う。
殴られた箇所の痛みを感じながら、腹の底で渦巻く煮え滾るような怒りが熱く燃えている。
「聖女様が死んじゃったのはこの目の前でプラプラ揺れてる男のせいなんだけどね。どうケジメをつけるかで悩んでるわけよ、こっちも」
ピコロ親方が善仁を指差しながら言う。「この男のせい」と言う言葉に、善仁の心がズキリと痛む。
「はあ?それじゃマッシモ親方はどうなるんだよ?……まさかあんた、見殺しにするつもりじゃねえだろうな⁉︎あんた親方から金まで借りてる身で、そんな仁義にもとる事できんのかよ?」
「マッシモから借りてる金の事なら、こっちも荒事で手を貸したり、ウチらのシマでおたくの立ちんぼに融通利かしたり、その辺は持ちつ持たれつじゃあないの。今さら野暮な事を言いなさんなよ」
捲し立てる大男とそれをいなすピコロ親方といった光景が善仁の目の前で繰り広げられる。
「そもそもが、マッシモの身柄を執行官に持ってかれたおたくらの不手際が事の発端じゃあないの。何でムザムザ渡したんよ。ウチらはあくまで協力してるっていう立場だと、そう思ってるんだけどね、儂は」
理屈では大男はピコロ親方に勝てないだろう。暴力で脅そうにも、この場には荒事でその名を知られた「モラン疾走団」の全メンバーが揃っている。大男の不利は覆りそうに無い。
「じゃあ、そこの吊られてる男を引き渡してもらおうか、そいつの口から色々聞き出せる事も有るんじゃねえのか?」
「ダメだよ。この男にはケジメを付けてもらわんといけんから。ウチにはウチなりの統制ってもんが有るからね。マッシモ釈放の交渉材料については、他の道を探るしか無いじゃないの」
ピコロ親方も一歩も引かない。部下たちの目の前だから尚の事だろう。
しかし善仁は二人の話を聞きながら、腹の底に渦巻く怒りの炎が大きく、強くなっていくのを感じている。
(二人して勝手なことばっかり言いやがって。俺の運命も、こいつらの口八丁の末に簡単に決まるってわけか。マジで納得行かねえ……)
本当に、この世界に来てからは自分ではどうにもならない事ばかりだ。
自分というものが、自分以外の何かに翻弄され、いいようにされている。どうしても善仁はそう感じてしまう。
巨大な何かの塊に押さえつけられて身動きが取れない感じ。強く抑圧された感じ。その感覚が拭えず、フラストレーションとなって溜まっていく。
「マッシモ親方を何とかして取り戻すのは当たり前として、うちの若いモンらだって、聖女が死んだ件では浮き足立ってんだ。何かしらの落とし前を付けなきゃ、抑える事ができねえぞ。だからその男を寄越せってんだよ」
「だからそれはあんたの器量の問題でしょ。ウチが二人を逃した事とは関係無いのじゃないんかいな。分からん人だな、あんたも」
二人の議論は平行線を辿る。なかなか着地点が見えて来ない。
そんな二人とそれを取り巻く面々から、独り切り離された感覚の世界の中に、善仁は居る。
そんな善仁の身動きできない体の中には、あまりにも強大な理不尽に対する怒りの炎が沸々と燃え続けるのだった。