凶撃
(見えてきた!あそこだ‼︎)
善仁はビィズバーンの街を流れている川の川岸に停められた何艘かの小舟を見つけて、そこがあの船頭の船を降りた場所だと確信する。
目的地はもうすぐそこだ。ゴールを視認してラストスパートをかける脚は、心なしか力を取り戻したような気がする。
道の脇の階段を降りて、川岸に停められている小舟を確認しながら横を駆け抜けていく。
確かあの船頭の船は……、あった‼︎あれだ‼︎あの船頭も丁度良く舳先に腰掛けている。
「おーい‼︎爺さん‼︎俺だ‼︎船を出してくれ‼︎」
大声で話しかけながら小舟の前に急ブレーキで止まる。
「だ、旦那?そんなに慌てて、一体どうしたんでやすかい?」
「追われてるんだ!すぐに船を出してくれ‼︎渡し賃は払うから‼︎」
言いながら善仁はシュツカを船に飛び移らせる。船と岸の間に渡し板を渡す時間すら惜しい。
「分かりやした。それじゃ最初、漕ぎ出すのを手伝ってもらって良いですかい?」
「勿論だ‼︎」
善仁も船に飛び移る。
船頭は善仁に櫂を渡してきた。
「最初は呼吸を合わせて下さいね、旦那。そうでないとちゃんと進まねえ」
善仁が右舷に後ろ向きに座って櫂を握ったその時、遠くに松明を持った追手の集団が現れた。
船頭は長い竿で川底を押して、停まった船を動かし始める。
早く。早く岸から離れないと、追い付かれて飛び移られてしまう。
善仁は船頭の掛け声に合わせて櫂の先端を水面に突っ込み、力一杯柄を引いた。
何度かその動作を繰り返す。小舟は少しづつ、動き始めた。
岸を離れ、岸と船との距離がじわじわと開いていく。しかし遅い。焦れったい。船の進む速度はまるで上がらない。
追手の集団の一部が川岸に停まっている船を使おうとしているのだろう。その船の船頭と揉めて、何やら大声で言い合っている。
追手の何人かが善仁たちが乗った船に追い付いて来た。
船は川岸から離れて、少しずつ川の中央へと寄り始めている。しかし追手は諦めきれないのか、少しずつ速度をあげる船と並行して川岸を走って追って来る。
追手の一人が船に跳び移ろうとして跳んだが届かず、派手な水飛沫をあげて川に落ちた。
鎧や鎖帷子を着込んでいるからだろうか、思ったほどの距離は跳べないようだ。
そう考えると、おそらくはもう跳び移れないくらいの距離が、川岸と船の間にすでに開いている。善仁はその事実に少しだけ安堵する。
(このまま漕ぎ続けて何とか海まで出てしまえば逃げ切れる‼︎)
そう思うと櫂を漕ぐ腕にも力が入る。
逸り過ぎて船頭のタイミングとずれそうになった。イカンイカン、焦っては。そう思いながら深呼吸して、船頭が漕ぐタイミングに合わせていく。
それでも諦めずに追ってくる追手を見ていた善仁は、追手の集団の後ろから、彼らとは比べ物にならない速さでこちらに向かってくる松明の炎がある事に気付く。
一、ニ、三、四つある炎は、その速さを維持したまま向かってくる。
その炎がより近づいてきた時、善仁はその正体が、山羊のような動物に騎乗して追いかけてくる追手である事に気付いた。
あの動物は見た事がある。そう、あの荒野で追いかけられた記憶が蘇る。もしかしたら、あの時の追手なのかもしれない。
先頭を走っていた追手は山羊のような動物から飛び降りた。
船はいよいよ街から飛び出し、海に出ようとしている。流石にあそこから、船を使わずに追って来る事はできないだろう。
善仁が安堵しかけたその時、その追手は奇妙な行動をし始めた。
何か木で出来ているらしい道具を取り出したかと思うと、片足で踏ん付けて取り付けられた弦のような物を必死に背中を反らしながら引いている。
善仁はその道具が何か、ピンと来た。あれは弩弓だ。映画で見た事がある。
善仁の知識では、確か弓よりも強い張力を持つため威力が強く、銃に似た設計なので、武器を扱ったことがない人間には狙いを弓より付けやすい、と言うものだったはずだ。
矢の装填が終わったのか、その追手は弩弓を構えて片膝立ちになったかと思うと、こちらに狙いを合わせてきた。
その追手の顔と目付きはぎらついていて、内に秘めた殺意が漏れ出ているかのようだ。
マズい‼︎距離が離れつつあるとは言え、自分たちの位置はおそらくまだ有効射程内だ。
善仁は視覚に全神経を集中させて、その男が何処を狙っているのかを推測する。……どうやら自分ではないようだが。
(シュツカだ‼︎アイツはシュツカを狙っている‼︎)
そう気付いた瞬間、善仁は櫂を放り出して立ち上がった。
シュツカのいる場所まで弾かれたように飛び出していく。
その瞬間、善仁は追手が持つ弩弓とシュツカを結んでいる射線が見えたような気がした。
そこへ自分の体を割り込ませようと手を伸ばそうとしたその時。
その手をすり抜けて途轍も無いスピードで何かが横切っていく。トンッと、静かな、それでいて無機質な音がシュツカが居る場所から聞こえる。
その音に引っ張られるように、思わずシュツカに目をやる。
(嘘だろ……)
彼女の胸に、一本の矢が深々と突き立っていた。
「ああああああああ‼︎」
善仁は思わず雄叫びを上げた。
「やった……か?」
ローレンは弩弓で射撃した小舟の上を注視する。
彼は逃亡者たちがもしかしたら逃げる動きを止めるかもと考えて、神殿の巫女であろう人影を狙ったのだ。
手応えはあった。矢は命中し、人影が倒れ込むのをローレンは確かに見た。
もう一つの人影が間に入ろうとしたようだが、ローレンの放った矢の方が一歩早かった。
「ああああああああ‼︎」
小舟から悲鳴とも雄叫びとも取れる絶叫が聞こえてきた。おそらく致命的な場所に命中したのだろう。
これで奴らが動きを止めてくれれば、〝渡り人〟は確保できる。そう思った彼の元に、部下たちが駆け寄って来た。
「どうしたんだ、お前ら!こんなところに来てもしょうがないだろう。賊の一人を撃ったんだぞ、今がチャンスなんだ!早くあの辺の小舟を接収して奴らを追うぞ。何やってる‼︎」
そう捲し立てる彼に、部下の一人が応える。
「それが、あの通り第13軍の警備隊の人たちも小舟を接収しようと船頭たちに掛け合ったり、何なら脅したりしてるんですが、奴らビィズバーンの水運組合に話を通せって、その一点張りなんです。あの辺の小舟を借り受けるのはどうも難しそうなんです」
そんな馬鹿な。
そう思って警備隊の隊員たちが固まっている場所に目をやると、確かに何やら揉めているようだ。
「剣の切先を奴らの鼻先に突きつけてやれば良いだろうが‼︎何を眠たいことを言っている‼︎」
「それが……水運組合はこの街の貿易を支える組織、敵に回すととにかく厄介なようでして……自分たちも小舟の船頭を捕まえて交渉したんですが、とにかく強気で、刃傷沙汰も辞さない態度なんです」
そうこうしている間にも、逃亡者を乗せた小舟は離れていく。
(こんな、こんなつまらない事でまた取り逃すというのか‼︎)
ローレンの腸は煮え繰り返りそうだ。
「ええい、毛束山羊で港に向かうぞ‼︎哨戒船を借りられないか、海兵たちと交渉する‼︎」
諦められない、こんな事で。少しでも可能性があるならそれに賭ける。
ローレンは毛束山羊に飛び乗り、港がある方向に向かって駆け出した。