動き始めた運命
「あらぁ〜、素敵なお兄さぁん、ちょっとお隣りいいかしらぁん?」
ウィードは気持ちの悪い声とオネエ言葉で善仁に聞いてきた。
善仁は料理を口に運ぼうとしていたスプーンを持つ手を止めて、思わず顔を顰める。
「おいおい、そんな顔するなって、ロト。「無鉄砲通り」の港寄りの方に行ってみな。まじでこんなのが声かけて来るんだぜ?」
ウィードの軽薄さは相変わらずだ。とはいえ、いつも「悩みなんか一切有りません‼︎」といった調子で気安く話しかけて来る彼が、善仁は嫌いではなかった。
ウィードは「隣りに座っても良いか?」の返事なんて最初っから聞くつもりは無い様子で、手に持っていた皿をテーブルの上に置いて、善仁の左横に腰掛けた。
「メシは大勢で食ったほうが美味い!神が我々を地上に作りたもうたその時から、それは永久不変の真実である‼︎」
言葉の意味がちゃんとわかった上で使っているのか怪しい様子でウィードは顔を寄せてくる。
正直言うと、食事の時間には一人になりたいタイプの善仁はその発言にはまったく賛同しかねるが、今更一緒に食事を取る事を拒否する気にもなれなかった。
善仁は「紅兎亭」の厨房の隣にある従業員用の小さな食堂で「賄い」を食べていた。一日に二回の食事はここで取っている。
忙しい厨房の従業員が空いた時間で作る事がほとんどなので、正直メニュー内容はいつも似たり寄ったりで、工夫らしきものが全くと言って良いほど感じられない。
それに、ここが非常に重要な点なのだが、正直言って「賄い」の味はお粗末と言わざるを得ない出来だった。
現代日本においては、コンビニ弁当ですら極限まで味を追求されている。
というかしないと競争で生き残れない。(※善仁は決してコンビニ弁当という食べ物を下に見ているわけでは無い)
ついこの間まで食品メーカーの営業だった彼は、消費者から見えないところで企業側がしている、それこそ血の滲むような努力を知っていた。
その彼からすると、贅沢を言っている事は百も承知ではあるのだが、文明が遅れているとは言えこの「賄い」の出来は、少々不満を感じるものだった。
それはさておき、
(なんでウィードがここに?)
善仁がそう思っていると、食堂の入り口から、他の「モラン疾走団」のメンバーも入って来た。ユード、……とモランだ。
彼らも善仁のすぐ近くの席に腰を下ろす。モランはテーブルを挟んで善仁の正面だ。モランの右にユードが座る。ユードが席につくやいなや、ウィードが話しかけた。
「兄ちゃん、そのメケメケ鶏苦手だったよな、俺が代わりに食べてやるよ」
「ふざけんな。肉はこれしか入ってねえんだ、やるわけねえだろ。それに誰がメケメケ鶏が苦手だよ。勝手に決めるんじゃねえ」
兄弟でいつもの掛け合いを始めた。それを横で聞いていると、入り口から今度はヴィータが現れた。
ヴィータは善仁の顔を見つけるなり、「げっ」という顔をしたが、無理矢理その表情を消して、モランの左隣に腰掛けた。
彼女はどうやら意識して善仁を見ないようにしているらしい。見事に嫌われたものだ、と善仁は思う。
(うーん。君とはどうやら前世で敵同士だったようだね、ヴィータ)
などと満面の笑顔をヴィータに向けながら善仁が心の中で話しかけていると、不意に横から聞き覚えのある声で話しかけられた。
「あ、あの……。私も、ここ、いいですか?」
振り向くと、驚いた事にシュツカが立っていた。いつの間に食堂に入ってきたのだろうか。
善仁は手を差し出して「どうぞ」というジェスチャーをする。
シュツカは善仁の右隣に、微妙な隙間を開けて腰を下ろした。
用心棒であるモランたちが「紅兎亭」に顔を出すのは分かるが、シュツカが同行しているのは意外だ。
何か有ったのだろうか?
「聖女様の警護について、ハンナと今後の動きを話してたんだ。今よりガッチリ、人数を増やしたほうがいいんじゃないかってな」
まるで善仁の心を読んだかのように、ここに居る理由をモランが話す。
「って言うのも、どうやら聖女様について嗅ぎ回ってる奴らが居るみたいなんだ。聖女様と、それともう一人、一緒にいる男について……な。まあ一緒にいる男ってのは間違いなくロトの事だと思うんだが……つまり、嗅ぎ回ってる奴らの後ろにいるのは、この二人が一緒に攫われた事を知っているヤツって事になる。多分、あの誘拐の夜、あの場にいたヤツだ」
モランの目は善仁を見ている。
善仁はついこの間、シュツカから聞いた話を思い出す。善仁は〝渡り人〟と呼ばれる存在であり、しかしその存在についての情報は国家によって秘匿、統制され、世間一般には知られていない。
シュツカとモランの話の通りなら、嗅ぎ回っている者たちの狙いはシュツカよりも、むしろ善仁が本命のはずだ。
「だからこっちも情報屋を使って向こうの情報を集めてるんだ。ただ、上がってくる情報から判断して、向こうはかなり力を入れて二人を探している事は間違いない。あと、嗅ぎ回る奴らが現れ始めたのと同じタイミングで街道を兵隊が巡回するようになったらしい。所々で検問も張ってるって事だ。揃ってツィヴァルガー式のブリガンダインを着てるそうなんだが……」
「‼︎……それって、第13軍じゃないのか?あいつらが動いてんのか⁉︎」
ユードが驚いた様子で口を挟んだ。
その様子から「第13軍」というのが彼らにとって結構な脅威だという事が窺える。
「ああ、十中八九、奴らで間違いない。鉢合わせると面倒な事になりそうだから、誘拐の時に使った疾走竜はしばらく使わない方がいいだろうな」
話しているモランの表情は真剣そのものだ。
「えー、ウソでしょ。疾走竜が使えないのはちょっと……。それだとめっちゃ行動範囲が制限されるじゃん……」
あまり発言しないイメージのヴィータがボソッと呟く。
「……まあ確かにヴィータの〝ロシナンテ〟のスプリントありきで使う戦術が全部封じられるのは、正直痛いよな」
ユードが心底「参った」という表情を作って肩を竦める。
「〝ロシナンテ〟?スプリント?」
善仁は無意識に会話の中に出てきた単語への疑問を口にしていた。
「ロトが分からないってさ。教えてやれよ、ヴィータ」
ウィードが悪戯っぽい表情でヴィータに言う。
ヴィータはジロリとウィードを睨んだが、意外にも素直に質問に答える。
「〝ロシナンテ〟は俺が乗ってる疾走竜の名前。スプリントってのは疾走竜に乗って、めっちゃ速く走ること!これでいい⁉︎」
ぶっきらぼうに答えるのは善仁に教えるのが面白くないからなのか。だが簡潔で分かりやすい説明だ。
「疾走竜にわざわざ名前を付けて可愛がるあたりが女の子だよな。ロト、ヴィータだってこういう可愛いとこ、あるんだぜ」
「ッッ‼︎‼︎……もっぺん言ってみろ‼︎ぶっ殺してやる‼︎」
ウィードに煽られて激昂したヴィータがテーブルを乗り越えようとする。のをモランがその腕で制した。
「まあ、〝ロシナンテ〟は俺らが乗り回してる疾走竜の中じゃダントツに速いんだ。速すぎて、ヴィータしかまともに乗りこなせない」
モランがフォローを入れる。ヴィータを宥めようとしているのだろう。ヴィータの動きが止まった。
「その通り、だから駅馬車強盗をする時なんかは盗品の中でも価値の高い物からヴィータに持たせて、追手をぶっちぎるんだ。ロトたち二人を攫った時も同じさ。〝ロシナンテ〟が先頭を走ったら、俺らの疾走竜もつられてよく走るしな、これがさっき俺が言った戦術ってやつだ」
ユードが追撃でヴィータと〝ロシナンテ〟を持ち上げる。
ヴィータは大人しく自分の席に座り直した。
顔を見ると、クールに振る舞っているようで、その実ドヤ顔をしたいのを必死に抑えているのが分かる。
(あれ?ヴィータさん。貴女ってもしかして……〝ちょろい〟、のでは?)
なるほど、可愛いとこ、あるんだな。と善仁は思う。
ついでにユードが言った「駅馬車強盗」という単語は聞かなかった事にする。
「ふん。あんたみたいにズボラで良い加減な世話してるから、この間みたいに振り落とされたりするんだよ」
皮肉っぽくヴィータがウィードにやり返す。これにてこの掛け合いは手打ちのようだ。
「まあ、とにかくしばらくは気を付けないといけない事が増えるな。皆、いつも以上に慎重になってくれ。特に尾行が付いてないかは常に意識するように。それと必ず誰かと行動して、一人にならない事。いいな」
モランの言葉に他の「モラン疾走団」の面々は黙って頷く。
「あとは、なんでも帝都の神殿から、お偉いさんがビィズバーンに出張ってるって話だったな。だからピコロ親方は、神殿との交渉も考えてる。親方の帝都とのパイプを最大限使っても交渉が煮詰まってるらしくてな、新しいパイプが必要かもって事だ。マッシモ親方を釈放させようと圧力をかけても、どういうわけか向こうさんが頑なに首を縦に振ろうとしないそうなんだ」
モランのその言葉は、どうという事のない、ついでで出したような情報に思えた。
しかしその時、シュツカが周りから分からないように、テーブルの下で善仁の上着の裾を摘んだ。
「?」
善仁はシュツカの方を見ないように、軽く顔をあげて反応する。
「その神殿の人間は、どんな人かはわからないんですか?」
シュツカがモランに尋ねる。
「ああ、やっぱり神殿の聖女様には気になるのか?でも俺らはマッシモ親方が釈放されるまではあんたを神殿だろうがどこだろうが、引き渡すつもりは無いからな。で、そのお偉いさんだが、情報屋は……確か……神殿司祭、とか言ってたかな。今分かってるのはそれくらいだ」
モランは軽くシュツカを牽制する。するとシュツカは摘んでいた善仁の上着から手を離した。何だったのだろうか?
「とにかくピコロのオヤジは結構焦ってるってことか。なら尚更、そいつらを聖女様に近付けないようにガッチリ警護しないとな‼︎聖女様!俺らがついてるから、大船に乗ったつもりでいてくれよな!」
ウィードが善仁越しに軽快なノリでシュツカに話しかける。
(うん。薄々そうじゃないかとは思ってたけど、やっぱりこいつはアホだ。言う相手を間違えてるだろ。シュツカからしたら、成立するか怪しくなってる親方の交渉材料のままでいるよりも、その探してる奴らに見つかって保護されたほうが遥かに安全じゃないか。状況分かってんのかな?)
おそらくこのテーブルについている他のメンバーにも善仁と同じ事を考えてる者は居るはずだが、誰もウィードに突っ込もうとはしない。
ウィードがやるべきだと把握している事自体は間違っていないからなのか、こういう奴だと知ってて諦めているからなのか……、確かにこの男はこういう発言をしても、どういうわけだか許されてしまう、憎めない何かを持っている。
「そういうわけだからお前ら、今日中に今やってる貸付金の回収を終わらせるぞ。明日から、可能なら今夜からでも全員で聖女様の警護に当たる。人手が要るから、ブロン砂漠のキャンプに行かせてるハンクとトマーゾにも使いをやって、今呼び戻してる。ウィード、今日だけはサボるなよ。あと、金の回収先でも役に立ちそうな情報の聞き込みはしっかりやってくれ、以上だ」
話を聞く限り、モランはかなり本気で警戒しているらしい。言葉の端々から緊張感が伝わってくる。
「あとは、ロト。お前も何か周囲で気になる事があったら、報告してくれ。酒場で掴んだ情報でもいい」
モランの他人を引っ張り、統率するカリスマ性はかなりのものだと善仁は思う。
指示に従うことに抵抗を感じない不思議な魅力があるのだ。
「ああ、分かったよ。何かあったら伝える」
善仁はモランの目を見ながら淡白に答えた。
善仁は自室の窓から、夜の星空を眺めている。
世界は違えど、星空は見た感じ元居た世界と変わらないように思える。
違うのは二つ出ているお月様だけだ。赤っぽいのと緑っぽいの、今日は前見た時よりも間隔が近いような気がする。
ここは果たして地球なのだろうか?どうやら科学という概念がこの世界には無い様なので、善仁の疑問に答えてくれる者はどこにも居ないだろう。
シュツカと善仁の事を嗅ぎ回っている者たちが何者なのかは知らないが、善仁は仮にその者たちに保護されたとして、おそらくその事を喜べないだろうと思った。
保護された後の生活がシュツカの言う通り今よりもいいものだったとしても、結局は飼い慣らされているだけ、いいように利用されるだけのような気がする。
飼い主が変わるだけだ。それに、その場合でも、間違いなくシュツカとはお別れになるだろう。
(一体、どうなるのが良いんだろうな……)
運命に翻弄されるしかない自分やシュツカのような人間は、なんて儚い、ちっぽけな存在なんだろうか。
そう思うとどうしようも無い無力感に襲われる。どうやら心が弱っているらしい。月の魔力というヤツだろうか。
ふと窓の下から乾いた音がした。
つられて下を見ると、善仁の目は小さな石が地面にコツンと音を立てて落ちる瞬間を捉える。
誰かが石を投げた、そう思って視線を前の方にずらす。
そこには月明かりに照らされたシュツカが、こちらを見つめて立っていた。