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異世界堕悪  作者: 押入 枕
15/39

ビィズバーン城にて


 要塞都市ビィズバーン。

 帝国領の南部、ヴァルヒード地方の最南端に位置し、クランツェ海峡を臨む巨大城塞都市である。

 総人口百万人超えを誇る、帝国有数の主要都市の一つだ。

 クァーボ海に面した諸国家、それらによる貿易の中心地であり、先の戦争において南方諸国の侵略を防ぎ続けた、帝国南部の守りの要でもあった。


 帝国の経済、軍事両面の戦略上において重要な位置付けにあるこの都市は、統治機能を持つ政庁を中心にして、二重の防壁で囲まれた都市デザインとなっており、特に外側の防壁は高さ、堅牢さ共に帝国随一と称されている。

 皇帝直属の第13軍が常駐する事でも良く知られており、帝国内でも指折りの良好な治安を維持している。

 そのため毎年のように人口の流入が流出を上回り、帝都を除く帝国の主要都市の中では珍しく人口増加を続けていた。



 ワーグナスは政庁であるビィズバーン城内の一室で待機していた。

 この後に〝渡り人〟の捜索について協議する会議が控えており、その会議のメンバーとして参加するためだ。


 ワーグナスは最近まともに眠れていない。

 不眠の原因はもちろん〝渡り人〟を連れ去られてしまったあの失態だ。

 あの忌々しい失態を思い返すたびに、彼は胃のあたりに差し込みが走り、むかむかとした吐き気を催すようになってしまっている。

 やるべき事をコツコツと積み上げて入念な準備をし、その結果召喚には見事成功したのだ。成功した瞬間、今後の栄達の幻視をワーグナスは確かに見た。

 それなのに、その幻視の輝きは、どこの馬の骨とも知れない賊どもによって、横から(さら)われて行ったのである。


 あの後、手ぶらどころか負傷者を引き連れて戻ってきた追跡隊を見た時、ワーグナスは恥も外聞もなく取り乱し、追跡隊の面々と彼等の上司である魔導省幹部を、あらん限りの罵詈雑言(ばりぞうごん)面罵(めんば)した。

 その様子には身内である神殿の者たちでさえもたじろいでしまう始末で、その時の醜態と〝渡り人〟を取り逃した失態とによって、彼は総主教から無期限の謹慎を命じられたのであった。


 これこそまさに「天国から地獄」である。彼は長年絶っていた酒に逃避することで、なんとか絶望の深淵に落ちないよう踏みとどまる日々を送っていた。


(これも神の思し召し、儂に与えられた「試練」という事なのだろうか?)

 テーブルの上の燭台に立てられた蝋燭の炎を見ながらワーグナスは思う。


 三日前、日課である祈祷(きとう)すらする気にならず部屋で伏せっていたワーグナスを、大主教が呼び出した。

 何事かと出頭したところ、総主教からの書簡を携えて、ここビィズバーンの政庁支部まで出向するようにとの事だった。

 海路で向かえとの指示に従い港に向かったところ、ビィズバーン以外に配属されていた第13軍部隊の帰還船に同乗する事を求められ、そのまま気付いたらここまで連れて来られていたのだった。

 そうして言い渡されたのが会議への参加だったのである。


(まさか、こんな大ごとになってしまうとは……)


 総主教から預かった書簡の内容とは、消息を絶った〝渡り人〟の捜索を命じる「皇帝陛下直々(じきじき)の命令書」、すなわち勅命(ちょくめい)と呼ばれるものだ。

 その書簡を受理した上でどう対応するのかを、今まさにビィズバーンの首脳たちが協議しているのだった。


(追跡隊が〝渡り人〟を取り逃したことで儂の立場が首の皮一枚つながって保たれていると言うのは、なんとも皮肉な話だ)

 ワーグナスは心の中で呟く。

 もし追跡隊が〝渡り人〟を始末してしまっていたら、それこそ希望は絶たれていたはずだ。


 自分の運命は神の気まぐれに翻弄されていると感じるとともに、ワーグナスは〝渡り人〟と一緒に連れ去られた彼秘蔵の巫女(みこ)についても思いを馳せる。

 彼女を失う以前にはまるで気付かなかった事だが、抱き枕がわりの彼女の肌の温もりが(そば)にない夜は、驚くほど安眠から遠いものだった。

 彼女の不在も彼の不眠の原因の一端だと、そう言えなくもないだろう。


 困り果てたワーグナスは、これも長く絶えていた女郎買いにすがるより他なく、下男の仲介で「出張娼婦」を自分の部屋に呼んではみたのだが、結局のところ安物の香水くさい下品な女は、彼の巫女には遠く及ばなかった。


(シュツカ……。儂はお前の柔肌が恋しい。きめの細かい、上等な絹のような……お前の肌。)


 会議にはいつになったら呼ばれるのか、すでに長い時間待たされて退屈に()んでいるワーグナスは、無意識のうちにふしだらな妄想で自身の無聊(ぶりょう)を慰めていた。


 彼女のあの、軽く押せば弾むように押し返してくる白い肌。

 すらりと伸びた脚から小さな尻を撫で、そのままへそを通って小ぶりな乳房へ、妄想の中でワーグナスはシュツカを愛撫する。

 あの赤毛に鼻を寄せて匂いを嗅ぎ、首筋から回って彼女の背中へ……、そこにはワーグナス自身の手によって刻印した〝聖紋〟があった。

 記憶の中に在る〝聖印の儀式〟の光景がよみがえる。

 焼いた印鉄を彼女の肌に押し付けるそのたびに、

 痛みに反応して緊張し硬く強張る彼女の体から、焼きごてを通して伝わる震えをその手に感じるたびに、

 目から涙を(こぼ)しながら悲鳴を上げないように耐える彼女のその苦悶の表情を見るたびに、

 えも言われぬ恍惚(こうこつ)に包まれた事をワーグナスは思い出す。


(お前は儂のもの、儂だけのもの。……そうだ、お前は儂だけの巫女だ‼︎誰かに奪われるなど、絶対にあってはならん‼︎)


 実際のところは彼女たちの安否さえも定かではないのだが、そんな事実を彼はいちいち思考の材料にしたりはしない。

 今回、〝渡り人〟捜索のために、それなりの人数がチームを組んで力を合わせる事になるはずだ。

 彼女が〝渡り人〟と一緒にいる可能性は充分にある。つまり、二人ともが捜索によって発見され、奪還される可能性も。


 可能性が残っている限り諦めない。

 一度この手から(こぼ)れ落ちた彼の「宝物」を必ず取り戻すと、ワーグナスは決意を新たにするのだった。



 それから程なくして、使いの兵士がワーグナスを呼びに来た。

 そして政庁内の幾つかある会議室の一つに案内される。

 会議室に向かう廊下を歩くうちに、ワーグナスは政庁であるここ、ビィズバーン城の造りの堅牢さに圧倒されていた。

 この城の内部は、戦争が終結した後に統治機構としての体裁を急場で整えたらしく、激しい戦闘に備えていたであろう名残をそこかしこから見て取れる。

 もはや他国に侵攻、占領される可能性などほとんど皆無と言える帝都の、華美な建造物を見慣れた彼の目には、この城の無骨な、いかにも実践主義に(あふ)れた造りがとても新鮮に映るのだった。


 案内の兵士が重い扉を開けて、部屋の中へ入るようにとワーグナスを促す。

 明かりの少ないその部屋へ入ったワーグナスを、中に居る者たちが迎える。


「いやいや、お待たせして申し訳ない。遠路はるばるご苦労様です、ワーグナス殿。どうぞお座りください」

 部屋の奥に向かって縦に長いテーブル。その一番奥の議長席に座る男が、着席するように言った。

 兵士が椅子の一つを引く事で、ワーグナスの席を示す。ワーグナスは腰を降ろしながら、議長席に座る男を観察し始める。

 間違いなく彼がこの会議の司会だろう。


 年齢はワーグナスよりも少し若いくらいだろうか。その男の雰囲気は、官吏というよりは商売人のそれに近いものが有る。

 恰幅の良い中年男性で、顔を見ればどれもがっしりとした形の目、鼻、口が、四角い顔にそれぞれ存在を主張しながら陣取っていた。


「議題に入る前にそれぞれの紹介を。私はヴァルヒード伯よりこの都市の市政を預かっております、ビィズバーン都市長のカリメールと申します。そしてこちらが……」


 カリメールは隣の男に顔を向ける。

 武装しているので兵士だろう。その武装も、帝都で見る警備兵のような軽装ではなく、あとは兜さえ被れば今すぐにでも出撃できそうな完全武装だ。

 ……という事は、もしかするとこれが噂に名高い……


「第13軍所属、ビィズバーン警備隊長のランディーヤと申します。お見知り置きを」


 やはりそうだった。

 皇帝直属の第13軍といえば、厳しい規律と高い練度で有名だ。

 常日頃から完全武装に体を慣らしているとは恐れ入る。鍛え抜かれた肉体が鎧の上からでも透けて見えるかのようだ。

 とはいえこの男はコイフを被っているので顔しか肌を露出させていない。

 さらに男は少し変わった顔立ちをしていた。異国の出身なのだろうか。


「今回、皇帝陛下の勅命により、我々第13軍が、捜索に協力させていただきます。といっても、都市の警備任務もありますので、実際に動かせるのは全部隊の四分の一ほどの人数にはなりますが……。そこは精鋭を選抜して事に当たらせていただきますのでご安心を」


 ほとんど表情を変えずに話してくる。ワーグナスはこの警備隊長になんとも言えない不気味さを感じていた。


 それからカリメールは続けてもう一人の重要メンバーの情報を伝えてくる。


「あとは今日、こちらには来られていないのですが、情報の収集と統括の担当として、ヴァルヒード伯の密偵頭であるネオス卿にご助力いただける事に決まりました。今回、我々は様々な方面から協力を得られるようで、……皇帝陛下は余程〝渡り人〟を掌中に収められたいご様子ですな」


 そこに関してはワーグナスも意外に思っていた。

 現皇帝は先代と違い、普段こういった〝渡り〟などの〝奇跡〟にはあまり興味を示さないと聞いていたのだが。

 だから魔導庁の予算も、先代の皇帝の時代よりは縮小されているのだ。


「さて、捜索に当たる人的資源が豊富である事を確認した上で、実際にどのような手法を取るのがよろしいのか、本日はそこを詰めたいと考えております」

 カリメールが会議を進行する。帝都の役人のように持って回った言い方はせず、無駄を省いた仕切りだ。

 ここビィズバーンは城も人も、とにかく実際的らしい。


「まずは捜索対象である〝渡り人〟と、あとは神殿の巫女様、それと彼らを攫った下手人についての情報のすり合わせですな。ここで今回の協力者をもう一人、ここに呼びたいと思います。君、お連れしてくれたまえ」

 カリメールの指示を受けて、控えていた政庁の職員が部屋の外に向かう。

 しばらくして、職員は一人の兵士らしき人物を連れて戻ってきた。

 ワーグナスはその兵士の顔をどこかで見ている気がした。


「魔道庁執行部のローレン・ランバートと申します。今回は我々執行部の名誉を挽回する機会を与えて頂き、執行部を代表して感謝いたします」


 そこまで聞いてワーグナスは思い出す。あの追跡隊にいた男だ。

 向こうもワーグナスの顔を見て、一瞬微妙な表情をした。無理もない。この男の上司だったヘイヴェルはあの失態で執行官の任を解かれたという噂だ。

 しかし名誉を挽回、ということはこの男も〝渡り人〟の捜索に加わるのか、だとしたら少しやりにくいな。とワーグナスは思う。


「まあまあ、そう(かしこ)まらないでも良ろしいでしょう。早速ですが、ランバート卿が追跡して得られた賊の情報をお聞かせ願えますかな……」


 カリメールはローレンに話を促す。本当に無駄を省いてサクサクと進行する。置いて行かれないようにと、ワーグナスは話に耳を傾けるのだった。


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