聖女の告解
「ええと、何から話せば良いのか……。そうですね。……まず、私が所属している「神殿」という組織についてお話しします。ヨシヒトさんは神殿について、どういった活動をしているのかなど、情報はお持ちですか?」
ややスローなテンポでシュツカは語り始めた。とても丁寧な言葉遣いだ。善仁は首を横に振る。そして思う。
(そういえばこの娘は聖職者なんだった。そりゃ神のお力が〜とか言ってても別におかしくはないよな)
「我々「神殿」組織は、この帝国が成立する遥か以前から、この地域一帯に根差して活動してきました。我々の組織が尊崇の対象としている「神」を信仰する人々は、国境を超えて、我々の組織外にも数多くいらっしゃいます」
ふむふむ、と善仁は話に聞き入る。あまり宗教には詳しくない彼だが、つまりは一神教でかなり歴史が古いという事だろうか。
「活動の主な内容は、神の教えを説く事で民衆の皆様の心の安寧を守る事、冠婚葬祭の行事を担う事などです。あとは救済活動として、孤児院の運営や、経済的に困窮している方たちを対象に、炊き出しなども行っております」
うん。話を聞く限りでは、善仁が持つメジャーな宗教団体に対するイメージと全く同じだ。
「ただ、それらは表向きの活動であって、本来の活動から得られた智慧を利用した副次的なものに過ぎず、我々の組織の本質的な活動とは言えません。我々が、と言いますか、・・・本来「神殿」組織の上層部が目指しているのは「神との対話」であって、そのための活動こそが、我々の本質と言えます」
そこまで話してシュツカは一呼吸置いた。頭の中で情報を整理しているのだろう。
「信じるか信じないかはヨシヒトさんに委ねますが、ヨシヒトさんがここに居るのは……、私たちが本来の目的に沿った活動を行なったから……。すなわち皇帝陛下の勅命を受けた私たち「神殿」組織が、あなたを特別な儀式を用いて〝異界〟から〝召喚〟した結果に他なりません」
話に聞き入っていた善仁の思考が停止する。〝皇帝陛下〟?〝異界〟?〝召喚〟?何を言っとるんだ?この娘は。
「ヨシヒトさんには心当たりがお有りなのではないですか?おそらくですが、あなたは我々の暮らすこの世界で生まれ育った方ではないはずです。こことは違う世界で日々の暮らしを営まれていたが、ある日いきなりこの世界に呼ばれた。そうではありませんか?」
そこまで聞いて、善仁は衝撃を受けるとともに、あのクリスマス・イヴの夜に起こった謎の現象の正体に辿り着いた気がした。と、同時に、何故今頃になってそんな話をして来たのか?という疑問が頭に浮かぶ。
「その様子だと、やはり心当たりがお有りのようです。……私はヨシヒトさんに謝らないといけません。本来なら、ヨシヒトさんは、今のようなひどい目に遭わなくても良かったはずなのですから」
(謝る?この娘が俺に?いったい何で?……‼︎……そうか‼︎つまり俺がこの世界に居るのは……)
シュツカの話している事がようやく理解できてきた。
「つまり……アンタたち「神殿」の奴らが俺をこの世界に呼んだって事なのか?」
そんな事が本当に可能なのか?にわかには信じられないが……。しかし善仁がここにこうしているのは疑いようの無い現実だ。
驚愕の表情を浮かべる善仁に、シュツカはさらに追い討ちで衝撃の事実を告げる。
「はい。そしてあなたをこちらの世界に呼んだ。その「鍵」となり、実際にあなたをこちらの世界に顕現させた者こそが、紛れもないこの私、巫女シュツカなのです」
「‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
善仁は驚きからこれ以上は開かないというほど目を見開いてシュツカを見る。彼女が言っている事を信じるなら、目の前のオドオドとした印象のこの娘こそが、自分をこの世界に呼んだ張本人なのだ‼︎あまりの衝撃に、善仁は言葉を失った。
「本来であれば、召喚された〝渡り人〟……ヨシヒトさんのように異界から呼ばれた方を我々はそう呼びます。その〝渡り人〟は国家によって手厚く保護され、その権力と責任において生活も保証されます」
シュツカは続けて語る。
「それなのに今回、私たち二人はあの人たちに拉致され、ここに連れてこられました。今回の事は完全に不測の事態、事故なんです。私たちを守ってくださるはずだった兵士の皆さんはおそらく油断していたのでしょう。本当だったら今頃、私は神殿で祈りを捧げる日々に戻っていたでしょうし、ヨシヒトさんは国賓として、ここより遥かにきちんとした環境で生活を送っていたはずです」
(国賓。国に保護されていた……か。どちらにせよ色々と自由ではなさそうだな)
善仁は複雑な気持ちになる。それに先ほどから胸に渦巻くこの感情は何だろう?
「〝渡り人〟に関する事項は、一般の国民には知る由もない国家の最高機密です。「巫女」についての知識をお持ちだったピコロ親方でさえ、ヨシヒトさんが〝渡り人〟である可能性には考え及んでいませんでした。だから本当は私なんかより、ヨシヒトさんの方が遥かに人質としての価値は高いんです。ヨシヒトさんとの交換であれば、収監されているピコロ親方のお知り合いが、どれほど法に照らして犯罪者として処刑されるべき人であったとしても、仮に一国の大臣クラスの人物であったとしても、法務官は間違いなく取引に応じるでしょう」
……何かがズレてないだろうか。そう思いながら、善仁は胸に渦巻く感情が「怒り」であることに気付いていた。
「もう一度二人でピコロ親方にお会いして事情をきちんと説明すれば、ヨシヒトさんも人質として交換されて、今の状況から間違いなく抜け出せると思うんです。だから女将さんを通してピコロ親方に……」
シュツカがそこまで話した瞬間、善仁は目の前のテーブルを横に跳ね除け、シュツカが着ている服の胸ぐらを掴み、持ちあげた。強く引っ張ったからだろう。シュツカの背中のあたりから、服の布地が裂けるような音がした。
「‼︎……ヨシヒトさん⁉︎……一体どうし……」
「勝手な事ばっかり言ってんじゃねえ‼︎」
善仁は無意識の内に大声で怒鳴っていた。
シュツカの胸ぐらを掴んでいる手に力が入る。あまりに突然のことに驚いて思考が追いつかないのだろう。シュツカは呆然とした表情のまま固まっている。
「何が「人質としての価値」だ‼︎ふざけてんのか‼︎てめえらで勝手にこんな世界に呼び出しやがって‼︎俺の意思はどこにあるんだよ‼︎」
腹の底で煮えたぎった怒りが口から噴き出す。
「謝りたいって、そもそも謝るところがズレてんじゃねえか‼︎勝手に呼び出してごめんなさいって、どうして最初に言えねえんだよ‼︎おかしいだろうが‼︎」
出せる限りの大声で猛烈に捲し立てる。善仁の頭の中に一本の焼けた鉄芯が入って熱を出しているかのようだ。怒鳴るたびにその声でますます自分の怒りがより強くなっていくような、そんな錯覚に陥る。
「俺の生活がひどいって、じゃあなんでそんな生活する羽目になってんだよ‼︎最初にお前らがこの世界に呼び出したからだろうが‼︎……向こうの世界にあった、俺の生活、俺の仕事、俺の周りの人たち、全部無くなったんだぞ‼︎どうしてくれんだよ‼︎どう償って……」
そこまで言った瞬間、善仁はハッと我に返った。
服の胸ぐらを掴んでいる手に震えが伝わって来る。
シュツカは泣いていた。顔を歪ませた彼女の虹色の瞳は涙で濡れ、両目からポロポロと雫が溢れ落ちている。
「……ごめんなさい」
彼女は涙に震えた声を絞り出した。
「ごめんなさい。……でも、こうなってしまった以上、それぐらいしか、私には良い方法が思い浮かばない……」
ヒッ、ヒッと嗚咽し始めた。彼女の体は小刻みに震えている。
一度怒りが湧き出るのを止めてしまえば、冷めていくのはあっという間だった。
代わりに女性を泣かせてしまった事への罪悪感が、善仁の心の中にじわじわと拡がっていく。
胸ぐらを掴んでいた右手から力が抜けていき、引き上げていたシュツカの体がぺたんと床に降りる。
「あ……。すまない。……カッとなって抑えられなかった。……ごめん。泣かせるつもりは、そんなつもりは無かった……」
自分で口に出すと尚の事、先程の自分の怒りがみっともなく思えて来る。謝ったところで我ながらなんとも言い訳がましい。
善仁は立ち上がってベッドに座り直すと、頭を抱えて大きく一つため息をつく。
部屋にはシュツカの嗚咽と、鼻を啜る音だけが虚しく響いている。
(何やってんだ。俺は……)
善仁が自己嫌悪に陥り始めた時、扉の外から声をかけてくる者がいた。
「おーい。ロトさんやい。ものすごい音と大声が聞こえたけど、何かあったのかい?大丈夫かい?」
さすが安普請なだけの事はある。丸聞こえだったらしい。
そりゃそうなるよなと思いながら、善仁は声の主に応える。
「ああ、すまない、ベヤミン。何でもないんだ。ちょっと寝ぼけてしまったらしい」
咄嗟に思いついた嘘で誤魔化す。
声をかけてきたのはこの寮を管理している責任者のベヤミンという初老の男だ。基本的に面倒くさがりのくせして世話焼きという、わけが分からない性格をしている。
「そうか、大丈夫なんだな。もう夜も遅いから、あまり暴れんようにな」
そう言って部屋の前から足音が離れていく。ベヤミンはああ言ったが、もしかしたらここにシュツカが居る事に気付いているのかも知れない。
そう思ってシュツカを見ると、少しは落ち着いたのか、背中が破れて襟元が大きくはだけた自分の服で、涙をぐしぐしと拭いている。
善仁は収納箱の中に、支給されたはいいが使うあてのない手拭いが入っていたのを思い出し、取り出してシュツカに渡した。
「綺麗だから使ってくれ。それと……すまなかった。本当に。女性相手に暴力を振るうなんてどうかしていた。言い訳のしようもない。すまなかった。この通りだ」
そう言って正座した状態で頭を下げる。この世界でもこの態度が謝罪の意として伝わるだろうか。
そうも思うが、こうするより他にどうすれば良いのか分からない。
「いえ、そんな、頭を上げてください。……私が悪いんです。……あまりにも……考え無しの発言でした」
伝わったらしい。
シュツカの性格ならそう言うだろうとは思うが、それでも善仁の心の中で居心地の悪さは消えなかった。
(そうだ。考えてみたらシュツカ一人のせいでこうなったわけじゃない。皇帝とやらの命令が無ければ、モランたちに攫われなければ、いや、そもそもピコロ親方の知り合いが捕まらなければ……。そう。今の状況は無数の偶然が重なった結果だ。ましてやシュツカだってこんな状況は望まなかっただろう。彼女も巻き込まれた被害者なんだ、怒りをぶつけるのは筋違いも甚だしいよな)
手拭いで顔をひとしきり拭いた彼女は脱力し、糸が切れた操り人形のように座っている。
泣いた事で疲れたのだろう。善仁の視線は俯いた彼女の顔から細い首筋へ、そして大きくはだけた肩まわりへと移動していく。
(‼︎……ッ。目の毒だな、まったく……)
善仁は立ち上がって再度収納箱を開け、やはり支給された、普段着でもある自分の上着を取り出す。
「これを着てくれ。目のやり場に困る」
そう言ってシュツカに渡すと、彼女はそこで初めて自分の服が破れて肌が大きく露出している事に気づいたらしく、恥じらう様子を見せた。
渡した上着を破れた服の上から慌てて被ろうとしている。
暫くして善仁の上着に収まった彼女を見て、善仁は思う。これはある意味失敗だったかも知れない、と。
まるでサイズの違う善仁の上着はシュツカの細い体にはブカブカだ。何というか、いわゆる「彼シャツ」状態になっている。
彼女の今の格好は、かえって善仁の琴線に触れているような……。そんな事を考えていると、シュツカが口を開く。
「ヨシヒトさ……。あの、これからはヨシヒトって呼んでも良いですか?」
それは親しみを込めた呼び捨てで呼んでいいかという意味だろうか、別に全然構わないが。
善仁は「いいよ」と了解の意を示す。
そう言えばシュツカは「ロト」という、ピコロ親方に付けられた名前ではなくて、本名の「ヨシヒト」の方で呼んでくるな、とそこで初めて気付く。
「……ヨシヒトみたいな男の人は初めてです。なんて言ったら良いのか……。うん。ヨシヒトはいいひと……いいひとです」
そりゃちょっとした事ですぐ暴力に訴えるこの世界の男たちと比べたらそうなんだろうが、「良い人」という点だけで良いなら、そんなヤツはいくらでも居るんじゃないだろうか?と善仁は不思議に思う。
「まあ、〝善い〟〝仁〟って書いてヨシヒトだからな。ただ、良い人って言われるのは、正直あんまり好きじゃない」
そう、嫌な思い出が蘇るから。言われるたびに哀しい気持ちになるから。
だが、そう思うのとは裏腹に、善仁は自分が笑顔になっている事に気付いていた。
何とかシュツカと無事に仲直りできそうだ。シュツカを見ると、彼女も笑顔で返してくる。
「まあなんだ、その、これで仲直り……だな」
「……はい。これで仲直り……ですね」
うん。やっぱり女性は笑顔でいるのが一番だ。
月明かりに照らされた彼女の笑顔を見ながら善仁は心の底からそう思った。
善仁とシュツカが笑顔で笑い合っていたその時、男子寮のどこかから、いきなり女性の喘ぎ声が聞こえてきた。
二人とも一瞬で笑顔が消え、ギョッとした表情のまま固まる。
かと思うと、シュツカの顔が月明かりだけの部屋の明るさでも分かるくらいにどんどん赤くなり始めた。さらに少しずつ俯いて表情を隠そうとしている。
(よりによってこのタイミングかよ!メチャクチャ気まずいやんけ‼︎……マジで一体誰だよ‼︎それにしても……ホントにお盛んな事ですね‼︎)
善仁は心の中で毒づく。
誰が犯人かは分からないが、おかげで仲直りできていい感じだった空気が、一瞬で違うものに変わってしまった。
そうこう考えている間も喘ぎ声は聞こえてくる。……わざと大きい声を出してないか?あれ。
(あーもう、どうしてくれんの?この空気……)
さっきまで向かい合って座っていた二人は、今は別々の方向を向いている。
善仁が横目で盗み見ると、シュツカは正座した状態でぎゅっと体を強張らせているようだ。
あからさまに善仁から顔を逸らして俯いている。
(このタイミングで、もう自分の部屋に戻ったら〜とか言い出すのはやっぱり変だよな。いや、あえて無理矢理にでもそっちに話を持って行くべきなのか?)
気まずい沈黙がしばらく続いたが、それを破ったのはシュツカの方だった。
彼女はゆっくりと善仁の方を向くと、しかし目は逸らしたまま、途切れ途切れに絞り出すように言った。
「よ……ヨシ、ヒト……わ、……わた、私たちも……あの……その……し、しますか?」
善仁は口を開けて固まってしまった。
(聞き間違いかな?)
善仁はシュツカを見つめたまま考える。
先ほどシュツカの口から聞いた言葉の意味は、「私を抱きますか?」というものだろう。
そりゃあ毎日のように娼婦たちの喘ぎ声だの、胸の谷間だの、悩ましい腰つきだの、キュッと持ち上がった尻を振って歩く様だのに晒されていたら、まだまだ善仁だって現役バリバリなのだから、ついにはそんな幻聴も聞こえてきそうなものだ。
「何というか、先程のお詫びと言いますか……、その、償いという事でしたら、今の私にできるのは……そういった事しか……」
幻聴ではなかったらしい。
そう言うシュツカの顔にはこちらまで恥ずかしくなりそうなほどの恥じらいが見て取れる。彼女は今にも顔から火を噴きそうだ。
(ついさっき胸ぐら掴んでた男に対して取る行動としてはどうなんだろうか?「DV彼氏から離れられない系の女子」って多分こんな感じなんじゃないか?いくら良い人だと思うからって……。恐怖を感じた後で少し優しくされたら「飴と鞭」効果でコロッとイッてしまうのか?それにしてもこんな都合の良い「据え膳」があっていいのだろうか?いやいや、だったら尚更スルーするわけには……。違う‼︎彼女はこの場の空気に呑まれているだけだ。……ほう、だったらお前は若い娘さんに恥をかかせると言うのか?……ええい‼︎俺は一体、どうすりゃ良いんだ‼︎)
善仁の頭の中で、シュツカを「抱いてもいい、いやむしろ抱くべきだ」派と、「そこは最後まで紳士であるべきなんじゃないか」派とが激しい討論を繰り広げている。
お互いの主張がぶつかり合い、両派一歩も譲らない。喧々諤諤の議論が繰り広げられ、善仁の脳はオーバーヒートで今にもメルトダウンしそうだ。
先ほどまで間違いなく善仁優位だったシュツカとの関係性は、ここに来てあっさりと逆転してしまった。何という奇策だろうか。
彼女は一見受け身であるかのように見えながら、その実、善仁の精神を想定の範囲外から攻めてきたのだ。
こんな意外なところに孔明の罠が潜んでいようとは。善仁はどうやら知らぬ間に死地に踏み込んでしまっていたらしい。
沈黙に包まれた時間だけが過ぎて行き、あまりにも優柔不断な善仁に業を煮やしたのか、はたまた彼女の恥じらいが限界値を超えたのか、シュツカはゆっくりと立ち上がると、俯きながら消え入りそうな声で言った。
「あ……あの……。変な事、言って……すみません。わ、忘れてください」
そう言って彼女は入り口の扉に向かおうと方向転換する。
(あ……‼︎)
その瞬間、善仁は反射的にシュツカの手を捕まえていた。
頭の中で「紳士であるべき」派が「あーあ」と、失望の声を上げている。逆に「抱いてもいい」派は高らかに勝利宣言する。
そう、結論は出てしまった。もうこの流れを止める事はできない。
善仁はシュツカをそっと抱き寄せ、そのままベッドに押し倒した。