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異世界堕悪  作者: 押入 枕
11/39

軟膏と火炎瓶


 届け先に運ぶ荷物を馬車の荷台に積み込んでいた善仁は、倉庫に薪の束を取りに行く途中で、ふわふわと赤毛を揺らしながら歩くシュツカの後ろ姿を見つけてギョッとした。

 両手で洗濯物がいっぱいに入ったカゴを抱えている。

 問題はカゴに入った洗濯物の量で、おそらく寮近くの水場で手洗いしてきたであろう洗濯物は、シュツカの頭を超える高さで積まれていた。あれでは前が見えない。


 洗ったばかりの洗濯物だ。ある程度は絞って水を切っているとは言え、それでもあの量は、かなりの重さになると思われた。

 そう思って見ている端から、シュツカの足元はフラフラし始める。


「おっとと、重たいだろ、それ。持とうか?」

 慌てて彼女に追いついて、横から声を掛ける。声を掛けられて驚いたのか、シュツカの足がもつれてバランスを崩し、転びそうになる。


「危なっ‼︎……とと、大丈夫か?」

 善仁は洗濯物が入ったカゴごと彼女を抱き留めて、転ばないように何とか踏み留まった。

 洗濯物も崩さずに無事だ。良かった。せっかく洗ったのに、洗濯物を落としでもしたら苦労が水の泡だ。

 そのまま、シュツカの手からカゴを受け取る。まるでおもちゃのように、小さい手、白魚(しらうお)のような細い指、強く(つか)んだら折れそうなほど細い腕だ。


「手伝うよ、危なっかしくて見てられない」

 そう言うと、シュツカは

「あ、……ありがとうございます。すみません」

 そう言いながら、善仁を見つめて固まっている。


(ありがとう、だけで良いのにな。たまにいるよな、悪く無いのにすぐ謝るタイプの人…………ん?)

 善仁はこちらを見るシュツカの目が、非常にユニークな特徴を備えている事に、その時初めて気づいた。

 その特徴とは、彼女の瞳である。


 大抵の人間の瞳の、その虹彩の色は一色だけだ。虹彩の中で多少の色が濃い、薄い、明るい、暗い、のグラデーションを見せる場合はあるが、それでも一つの色だと言える。

 そこへ行くと彼女の虹彩は、三、四色が瞳孔を中心に階層を作って、それぞれの色の存在を主張している。まるで虹のようだ。


「どこに持ってくんだ?ああ、あの物干し竿がある所か」

「は……はい。あの……、良いんですか?重くないですか、それ?」

 いや、その重いものを持ってフラフラしてたのがあなたですよ。と心の中で思いながら、

「男だからね、全然平気に決まってる」

 と、善仁は痩せ我慢して答える。……実際結構重いぞ、これ。よく運んでたな。と、ある意味シュツカに感心する。


「…………すみません。お忙しいでしょうに……」

(また謝った。何なんだ?口癖になってんのかな)

「んー。忙しい、のかな?どうだろう。今日は今から馬車に揺られてお出かけだ。移動の時間はぼけーっとできると思ってるんだけど」

「…………はあ、……」

 シュツカはこちらの言葉を理解しているのかいないのか、気のない返事をする。


 会話が膨らまないな。と善仁は思った。彼女が「紅兎亭(くれないうさぎてい)」の女性従業員とは普通に喋っている場面を何度か目撃している。今までの彼女の様子を見るに、どうやらこの娘さんは男が苦手なようだ。


 そのまま目的の場所まで洗濯カゴを運んで、善仁は自分の仕事に戻ろうとした。すると、

「あ……あの、ありがとうございます。あ!……そ、そうだ、ど、どうぞ、これ……」

 詰まりながら喋るシュツカがお礼の言葉と一緒に何かを渡して来た。五百円玉大の小さな二枚貝だ。

 閉じている貝を開くと、何か粘りのある白っぽいペーストが乗っている。


「あの、()り傷とか、切り傷に効く軟膏(なんこう)です……。良かったら使って下さい」

 なるほど、「紅兎亭」の色々な仕事をこなす善仁の手にはいつの間にかたくさんのマメや傷ができていた。それに気付いて渡してくれたのだろう。


「良いのか?こんな薬とか、……高い物なんじゃないのか?」

「寮で同室の人に頂いたんです。まだあるんで、どうぞ」

そういう事なら断る理由も無い。


「貰っとくよ。ありがたく使わせてもらう。それじゃあ、また」

「は、はい。ありがとうございました」

 しつこいくらいに礼を言うシュツカにひらひらと手を振りながら背を向けて、善仁は当初の予定通り薪を取りに倉庫に向かった。




 それは鳥の(さえず)る声が聞こえる森の中、馬車で通ってきた道から大きく外れて茂みに囲まれた場所に有った。

 目印なのだろうか、そこの入り口を覆うように布でできた日除けが張られている。

 中に入ると、申し訳程度に設けられた覗き窓から光が差し込んでくる。

 その光だけでは必要な明るさにまるで届かないのだろう、テーブルの上にはランタンが置いてある。


 森の地面を大きく深く掘って、丸太で壁と天井を組んで木の板で補強した、隠れ家というべき構造のこの部屋は、「モラン疾走団」のアジトの一つだった。


 部屋の中はまるで映画で見た、第一次世界大戦中の、塹壕(ざんごう)と塹壕を繋ぐ部屋のようだ。

 部屋を外側から見ると、この部屋という大きな箱を地面に埋めて、その上から土で固め、さらに雑草を生やしたり、茂みを植えたりしてカモフラージュした形になっている。


 ちなみにここは港町ロデオンを出て馬車で30分ほどの距離にある森のどこかである。


「ちわー。頼まれた物資をお届けにあがりましたー」

 同行してきたチャックが部屋を覗いて中に居る者に声を掛ける。入室の許可を貰って荷物の搬入開始だ。

 馬車から運んできた荷物を抱えて、善仁も部屋の中へと入る。


 ちなみに馬車、とは言っているが、車体を引いているのは、馬というよりは痩せたカバのような見た目の動物だ。

 ただ、一応この世界にも善仁が知っている馬ほぼそのままの生物がいるという事は、街で見かけているので知っていた。


「おっ。ロト。お前も来てたのか、ご苦労様だぜ」

 部屋に入るなり声を掛けて来たのはウィードだ。おそらく作業台であろう机に向かって、何か粗い粉状のものをすり鉢で()り潰している。

 何かの薬品だろうか、こんな換気の悪そうな部屋で扱って大丈夫なんだろうか?


「おお、補給物資の到着か、助かったぜ。そろそろ食料が尽きそうになってきて、このバカが仕事ほっぽりだして狩りに行こうとし始める頃合いになりそうだったんだ」

 そう言ったのはユードだ。彼も作業台に向かって手を動かしている。

 作業に集中しているのだろう。顔を動かさず、声だけで話しかけてくる。


「ええと、持ってきた荷物の置き場について指示を貰いたいんだけど……」

「ああ、大丈夫、大丈夫。そこの隅っこに、適当に積んどいてくれ。あと、こっちからも、街に持って帰って貰いたいものがある」

 善仁の問いかけにユードが答え、さらに追加の仕事を依頼して来た。


「そこの棚に置いてある木箱に入った……酒瓶っぽい見た目の、そうそう、それだよ。そいつを持って帰って、モランかザラスに渡して欲しいんだ。ただ、取り扱いには注意してくれよ、強い衝撃を与えると破裂して火が着くからな」

 などと、物騒な話をして来た。

 そんな危ない物を運ばせる気か、コイツは。


「見た目は酒瓶だから、検問で引っかかる事はまず無い。たまに密造酒か確かめるから飲ませろとか無茶苦茶な事を言ってくる腐れ衛兵も居るが、そん時はピコロのオヤジの名前を出せばいい。まあ、普通にしてりゃ、怪しまれる事は無いだろうけどな」


 危険物の都市への持ち込みは勿論禁止されている。ただ、この世界の住人は、例えばモランたちのように、平然と帯刀、帯剣している者がちらほら居たりするのだ。

 善仁は詳しくは知らないが、どんな法律、警察機能が働いているのだろうか。


「衝撃で着火するって、どのくらいの衝撃なんだ?知っとかないと怖くて持って帰れないんだけど……」

 善仁は自身の身の安全のために、より詳しい情報を求める。


「まあ、確かにそうだな……。じゃあ、テストも兼ねて、使ってみるか。ハンク、物見小屋の鍵を貸してくれ」


 そう言ってユードは部屋の奥にいたもう一人に話しかける。

 善仁も、このハンクと呼ばれた男の存在には部屋に入った時から気付いていたが、この男はどうにも触れづらい雰囲気を持った外見をしていた。

 目と鼻の穴の位置が開いた、黒い頭巾のような者を被っており、顔が分からない。粗い布で仕立てられた作業着を着ている。


 ハンクと呼ばれた彼は、腰に付けた鍵束を外し、ユードに渡す。一言も喋らない。


「じゃあちょっと行って来る。ハンク、ウィードがサボらないように、しっかり見といてくれよ。ロト、行こうか」

「俺が兄ちゃんの代わりに行けば、サボる心配は無いと思うぜ」

「それをサボるって言うんだよ。試作品のテストをお前にやらせたらテストにならんだろうが」

「タハー、そりゃごもっともー」

 ……兄弟らしい息の合った掛け合いだ。仲が良いんだろうな。と善仁は思いながら、ユードの後ろに続いて、部屋を後にした。



 森を流れる小川の近くで、ユードは鍵を使って開けた小屋から持って来た木箱を地面に置いた。

 木箱の中にクッションがわりに敷き詰められたおが(くず)に、陶器でできた酒瓶のようなものが刺さっている。


 ユードはそのうちの一本を取り出して、手の中で回して状態を確認した後、善仁に話しかけた。

「よく見とけよ、これがどういうモンなのか」

 そう言って、おもむろに小川を越えた向こう岸に放り投げた。放り投げた酒瓶は、放物線を描いて地面に落ちる。


 その瞬間。


 派手に酒瓶が割れる音がすると同時に、落ちた場所から大きな火柱が舞い上がった。そしてそのままメラメラと燃え続けている。


(……火炎瓶じゃないか‼︎おいおい、こんな物騒な物、何に使うつもりだよ)


 驚いて固まった善人に、ユードが説明する。

「元々は酒瓶とか小ぶりな油壺に「燃える水」を入れたやつを投げつけて、割れたところに火矢を飛ばして着火してたんだ。でもそれだと手間だし、火縄か何かで火種を確保してないといけないし、火矢をちゃんと狙って当てないといけないからな。咄嗟(とっさ)には使い(にく)かったんだ。そこで俺は火打ち石を使った着火を思いついた」


 そう言って酒瓶の首のあたりを指さす。紙を巻いてあるのでその中がどんな構造なのかは見る事ができない。


「火打ち石をより強力にしたような、発火石(はっかいし)って物があるんだ。衝撃が加わると、火打ち石より派手に火花を飛ばして危険だから、錬金術師の調合作業とか、鉱山で発破(はっぱ)を使う時ぐらいしか取り扱わないんだが、それを使う事にした。火打ち石じゃ少し弱くて、うまく着火しないんだ。不発が多かった」


 ユードには化学物質の知識があるのだろうか?ユードは説明を続ける。


「発火石に換えてからは、不発はほとんど無くなった。酒瓶が割れるほどの衝撃でないと発火しないように構造を工夫して、石の大きさも調節してある」


 二本の酒瓶をカチカチと打ち合わせて見せる。

 いや、火が着かないと言われていても怖いのでやめて欲しい。


「投げてみるか?実際に使ってみたら、注意しないといけない(さじ)加減も分かるんじゃないのか?」

 そう言って一本差し出してくる。一瞬、善仁の頭を火傷や怪我という言葉が(かす)めたが、少しだけワクワクする少年のような心が、「やってみたい!」と騒いでいる。


 善仁は一本受け取る。思ったよりも、ずしりと重い。そして大体の目標の当たりをつけると、そこ目掛けて酒瓶のようなそれを投げた。


 ほぼズレ無く目標に着弾する。酒瓶が割れる音がして、火柱が上がった。

 成功だ。確かにこれは扱いやすい。投げてぶつけるだけだ。


 ユードが先に投げた方は、まだ消えずに燃え続けている。


「ユードはこういった物を作るのが得意なのか?」

 善仁は思った疑問を口にした。ユードが答える。


「俺は前の戦争じゃ工兵やってたからな。手先が人より器用なのは自分でも分かってる。大工仕事とかも、よく頼まれるし」


(戦争?この国は戦争してたのか?)


 平和な日本で生まれ育った善仁には戦争、と言われてもいまいちピンと来るものが無い。


「あれ?知らなかったのか?俺らはほとんど全員が戦争帰りだぜ、戦場で同じ釜の飯を食って、戦争が終わったら、俺が皆を誘ってロデオンの街に帰って来たんだ。俺は元々ロデオンの出身で、ピコロのオヤジに伝手(つて)があったから、それを頼ってな。そして今に至るってわけだ」


 なるほど、「モラン疾走団」の面々の結束が固そうに見えるのは、そういう理由があったのか。戦場で命を預け合ったなら、それは強い絆が芽生えるはずだ。


「まあ、親から貰った農地があるわけでもないとか、元々流れ者で行くあてが無いとか、昔やらかしておおっぴらに普通の場所で働けないとか、そういう連中の集まりだから、できる仕事はこんなのばかりになっちまうんだけどな。でも俺は今の生活が気に入ってるし、仲間の事も信頼してる。何とかここで踏ん張って金を貯めて、独立して商売を始めるのが俺の夢だ」


 思いがけず多くの事を語ってくれるユードだが、夢を語る彼は良い顔をしている。それを聞く善仁の心も明るくなっていくような気がした。


「叶うと良いな……。いや、きっと叶うさ」

 善仁がそう言うとユードは笑顔で応えて来る。


(夢か……俺はいつの間にか、そういう事を考えなくなっていたな……何故なんだろう?)


 善仁が心の中でそう思っていると、森のどこかで鳥の大きな鳴き声が鳴り響いた。


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