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異世界堕悪  作者: 押入 枕
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荒野の狂走


「ンンンンおおあああああああ‼︎‼︎‼︎」


 思わず彼の口からうめき声が漏れる。

 ドドドドドドドッと、振動が尻の下から背骨を伝って頭を揺らす。


 体を激しく揺さぶられながらも、本能が彼の視界を固定しようとしている。

 日々のデスクワークで凝り固まった体幹も、何とか姿勢を安定させようと奮闘しているのか、妙な痛みに似た違和感を体のあちこちに感じる。

 ふとした拍子に下を向くと、ガタつく視界の中、凄まじい速さで地面が前から後ろに流れていく。


 ガクン。と、体が大きく跳ねた。一瞬、完全に宙に浮き、尻が鞍に叩きつけられる。


 彼を乗せて走っている生物が障害物を跳び越えたらしい。

 何年か前に痛めて以来、腰痛は彼の数多い悩みの種の一つだ。案の定、鈍く重い痛みが腰から拡がっていくのを感じる。

 このままだと体のどこかが壊れてしまう。恐怖と不安で自然と表情が強張っていく。


 脂汗が(にじ)む顔に砂埃が吹きつけ、不快にへばりつく。少し目に入った。視界が塞がれる。痛い。不快だ。粗い砂粒が眼球を攻撃し、それに対する肉体の防御反応として、涙がじわりと滲んでくる。

 本来なら指の腹で(まぶた)を押さえ、涙と一緒に砂を流したいところだが、あいにくと彼の指、というか両手は塞がっていた。

 後ろ手に縛られているからである。


(何故?)

 彼は理解できていない。今現在のこの状況を。何故こんな事になっているのかを。

 彼の脳は五感を通して入ってくる情報を必死で処理しているが、状況がもたらす恐怖と、理不尽さへの微かな怒りと、湧き上がる不安とで完全に混乱していた。

 心臓が早鐘のように拍動し、何かに追い立てられる様な浅い呼吸が混乱にさらに拍車をかけるが、彼の意識にはそれに気付く余裕がない。


 彼は後ろ手に縛られ、口には粗い布か何かで猿ぐつわを噛まされていた。つまり両手の自由がきかない。声を上げることもできない。拘束されているのだ。


 大声を出そうとしても猿ぐつわでせきとめられ、唾液に濡れた布を通して不快な振動が唇に伝わり、うめき声として出力されるばかりだった。

 縛られている手首から先は動かせるが、彼の手はベルトを強く握りしめている。

 彼を運んでいる生物に乗せられた鞍に留められているベルトだ。彼の尻の後ろに位置しているそれを、もうかなり長い時間必死に(つか)んでいる。

 それはなぜか?ベルトを放したら振り落とされるからだ。


 彼は猛スピードで走る生物の背に乗せられていた。

 二人乗りの後ろ側だ。荷物ポジションである。拘束されていて、ほぼほぼ身動きが取れないので、まさに荷物と化している。


 ちなみに自動車やバイクで舗装された道を走るのであれば、おそらく今出ているスピードはせいぜい時速55〜60キロくらいのものだろう。

 しかし自分のコントロール下にない、意識をもった生物の背に荷物のように乗せられ、さらにその生物は、むき出しのゴツゴツとした大地を駆けている。

 彼の体感では、自動車で100キロ出すよりも、はるかに恐怖を感じると言えた。

 走行による振動が恐怖を煽り、その恐怖で脂汗が滲んで来る。


 すっかり物事を暗い方向にばかり考える癖がついた彼の頭は、もし振り落とされたり、この生物が転んだりしたらと考えてしまう。

 想像するだけでも、背中を冷たい汗が流れていった。


 さて、人を乗せて走る生物といえば馬が一般的だと思うが、どこからどう見てもこの生物は馬ではない。


(……恐竜?)


 彼が持ち合わせている知識に照らせば、恐竜の一種というのが適切に思える。

 遠い昔に観た、恐竜を動物園の動物のように展示するテーマパークを舞台にして、そこで起きる事故と混乱を描いたパニック映画。

 その映画に出てきた二本足で素早く走る、人より少し小さめのサイズの・・・なんという名前だったか、あの恐竜は。とにかくそれだ。

 ただ、映画のそれと比べると、この恐竜のような生物の体格はかなり大きいはずだ。それこそ馬ぐらいある。

 その恐竜的な生物に、お馬さんよろしく鞍を乗せて(またが)っているのだ。


 長い尾でバランスを取りながら、二本の足で躍動感あふれる走りをしているのが乗っていて分かる。

 彼の視界には入らないが、頑丈な指でしっかりと地面を捉え、力強く蹴り出す。

 背骨や骨盤、関節をしなやかに駆動させてリズム良く一歩一歩、左右の脚をストロークさせているのが振動から伝わってくる。


 動物の筋力が生むエネルギーに乱暴に振り回される恐怖と、間違っても振り落とされないようにという焦りから、彼はベルトを握る手に必死で力を込める。

 もし落ちたら、運よく死ななかったとしても大怪我は避けられないだろう。


 彼には馬に乗った経験は無いが、拘束されている事を差し引いたとしても、間違いなく馬より乗り心地は悪いと断言できる。

 顔に当たる風は呼吸ができない程ではないが強い。

 自然に吹いている風ではなく、この生物が走ることで起こる向かい風なのは言うまでもない。

 常に耳の横をゴワーッと風切り音が流れている。それに混じって砂埃が時折り顔に吹きつける。

 この生物の背の上で大きく揺らされるのと相まって、とても不快な気分だ。


 理解できない状況をよそに、一瞬昔の記憶がフラッシュバックする。



 あれは確か中学生の頃、やんちゃな先輩のバイクの後ろに乗せてもらった事があった。

 どういうわけかその時は彼も先輩もヘルメットを被っていなかったが、なんとも間の悪い事にパトロール中のパトカーに遭遇し、望まない追いかけっこをする羽目になったのだ。

 男二人のタンデムで腰に手を回したりしようものなら、気持ち悪いと先輩に殴られた上にあらぬ噂が立つ事うけあいなので、自然とシート後ろのタンデムグリップを持つ事になるわけだが、その時の体勢が今と全く同じだった。

 バイクから振り落とされないように、全身の筋力を総動員した記憶がある。

 先輩の運転は上手い下手はともかく、とにかく荒かった。

 急加速、急ブレーキ、無茶苦茶なコーナリングと、事故を起こさなかった事、コケなかった事が奇跡に思えるほどの運転で、彼の今までの人生経験の中でも、死を覚悟した数少ない出来事の一つになっている。


 また体が宙に浮いた。

 と思った瞬間、鞍に尻が叩きつけられる。その痛みで記憶から現実へ、彼の意識が戻ってくる。


 そう、あの時と同じだ。このよく分からない生物に二人乗りしている。

 目の前に座る、やんちゃな先輩……ではなかった、二人乗りのパートナーは、空気抵抗を減らすためか上半身をやや沈め、前方を見据えて走りに集中しているらしい。

 縛られることであまり体の自由がきかない彼とは違って、おそらくは手綱であろう物を握り、(あぶみ)を踏みしめて膝と腰を使い、恐竜のような生物の走りに動きを調和させている。見事な騎乗技術だ。

 後ろから見た感じだと、体格は彼よりも少し小柄なように思える。上半身を前傾させているのもあるが、明らかに座高が彼より低い。

 羽織っているのはマントなのだろうか?それのフードをすっぽり被っているため、真後ろからでは顔はおろか、髪も頭の形も見ることはできない。


(というか、誰?)

 まるで心当たりがない、知らない人だ。

 当然の疑問が浮かんだその時、


 ヒュッ!


 と、彼の耳の横を背後から何かが通り過ぎていった。

 光を反射しているそれは重力に引かれる様にして地面に落ちる。いや刺さる、というべきか。


 ……弓矢の矢だ。

 光を反射したのは(やじり)の部分か。羽根を上に向けて地面に刺さった矢が、後ろに流れて視界から消えていく。


(えっ?……矢?……背後から……撃たれてる?なんで⁉︎)


 ますます彼の脳内は混乱する。

 どういう事なんだ?何が起こっている?何で矢が飛んで来るんだ?

 まるで意味が分からない。


 後ろ手に縛られているせいで窮屈な肩越しに、右側から左側から、可能な限り顔を後ろに向けて周囲の状況を掴もうとする。

 猛スピードで走る生物の背に揺られてバランスを取りながら、無理矢理に行う動作なので、首を痛めてしまいそうだが今はそれどころではない。



 まず視界に入ってきたのは、彼を乗せているものと同じと見受けられる恐竜のような生物がもう四騎(騎という数え方が正しいのかどうか疑問ではあるが)、騎乗者を乗せて同じスピードで駆けている。


 彼のすぐ斜め後ろに一騎。

 これも二人乗りしているが、後ろ側に乗っているのは一目で女性だと判別できるシルエットだ。


 その女性は見たところ彼と同じように縛られているようだが、後ろ手に縛られている彼とは逆で、前側に騎乗している者の胴に腕を回して、その胴の前側で手首を縛っている。まるで前側の騎乗者に後ろから抱き付いているような形だ。

 ただ、その頭が片側に項垂(うなだ)れるように傾いて前側の騎乗者に寄りかかっており、どうやら気絶している……もしくは死んでいるのでは無いかと思われるほど脱力しているように見える。

 走っている恐竜のような生物に振り落とされないように、前側の騎乗者にガッチリ縛り付けられている様子だ。


 前側の騎乗者はと言うと、頭部から肩にかけてフードを被っているためやはり顔が見えない。しかしマントを羽織っていないので、革で作られた鎧のような物を着用しているのが見える。

 後ろの騎乗者の体を自分の体ごとたすき掛けのように縛っているのも見て取れた。まるで寝ている子供をおぶっているかのような形だ。


 さらにはその後ろ、二人乗りしている二騎から少し離れて三騎並んで走っている。それぞれ騎手を乗せているが、これら三騎は皆一人乗りだ。

 騎手は三人とも、やはりマントというかポンチョとでも言うべき物を羽織っており、フードを目深に被っているため、顔を見る事はできない。

 何者なのか判断する材料が圧倒的に足りない。

 この三騎が特徴的なのは背中に木の板の様なものを背負っている点だ。矢が刺さっているので、なるほど盾として背負っているのだと理解した。

 その盾で防ぎきれずにすり抜けた矢が、彼に向って飛んで来ていたのだ。


 さらに後方にピントを合わせる。少し離れて、同じように騎乗して駆けている集団がいる。数は七、いや八騎だ。

 離れている距離は15〜20メートル程だろうか。揺れる視界、舞い上がる砂埃のせいで視覚的情報を得るのが困難だ。

 だがその集団が、自分を含む五騎を追っている事くらいは理解できる。


 後ろを走っている三騎が並走しているのは、どうやら自分が乗っているこの一騎と、同じく二人乗りしているもう一騎を、後ろの集団が射かけてくる矢から守っているという事であるらしい。

 対照的に追手の集団は大きく横に拡がっている。そしてこちらに向かってめいめいに矢を射かけてくる。

 それにしても向こうの集団が追手であるなら、つまり自分たちは逃走中で、後ろの四騎はお仲間という事になるのだろうか。

 だとしたら何故逃げているのだろう?


 追手が騎乗している動物はこちらの恐竜のような生物とは違う。

 見た目は哺乳類のようだがどうやらあちらも馬とは違うようで、山羊の体毛を長くしたような見た目だ。

 乗り手は一目見て分かる特徴として、全員が鎧を着込んでいる。つまり武装した集団ということか。

 何とも物騒な状況だ。


 追手の中の一騎、その騎手が持っている弓に矢をつがえ、こちらを狙っている。

 騎乗しながら目標に矢を射かけようとする動きを目で追いながら、彼はいつかテレビで見た流鏑馬(やぶさめ)の映像を思い出していた。

 器用なもんだと呑気な考えが浮かんだ瞬間、放たれた矢が彼から1メートルほどしか離れていないところを飛んでいく。

 矢が飛んでいくそのスピードに、彼は目が覚めるような感覚を覚え、遅れて恐怖が背骨を伝って登ってくる。


(いや、これ当たったらマズくないか?何でこいつらこんな危ない事してくるんだ?)


 何なんだよ、この状況。

 時おり浮かぶ疑問は、体を伝わる振動と、耳横を通り過ぎるやかましい風切り音と、飛んでくる矢の恐怖でかき消されていく。

 何故矢を射かけられているのか?何故追いかけられているのか?何故体を拘束されているのか?


(もしかして……映画の撮影?)


 歴史ものの映画なんかはこんな追跡劇のシーンがよくあるような気がする。

 だが、嫌でも気付いてしまう。カメラがどこにも無い事に。

 それに映画の撮影に、仮にエキストラとしてでも出演する心当たりが彼には無い。もちろん彼の職業は俳優ではない。


(コスプレイベントか何かとか……いや、でもなあ……)


 だったら自分を乗せて走っているこの生物は一体何なのか?説明がつかない。

 それに、人に向かって矢を射かけてくるような野蛮なイベントがあるだろうか?

 瞬間、歴史ものという単語から連想してタイムスリップという非現実的な考えが浮かぶが、彼の常識や知識、経験が総出でツッコミを入れて来る。意義を唱えてくる。そんなバカな、と。


 ダメだ、何も分からない。

 徒労とも不毛とも感じられる思考をめぐらせている横を、矢が飛んで行く。

 近くを通ると肝が冷えるが、走る動物に跨ってバランスを取りながら、さらには高速で移動しつつ動く的に矢を当てるというのは、どうやら簡単な事ではないらしい。その事に彼はすでに気付いていた。

 まず当たらないだろうという謎の楽観的な予感と、状況に少しづつ慣れて来た事で彼の心は落ち着きを取り戻しつつある。


 彼の周囲の風景が、認識の中に溶け込んできた。


 茫漠(ぼうばく)とした不毛の大地、とでも言えばいいのか、赤い色をした乾いた地面が拡がり、岩のようにところどころひび割れ、乱雑に隆起している。

 不毛とは言っても砂漠というほどではなく、乾燥に強そうな植物が、大洋に浮かぶ小島のようにまばらな密度で生えていた。

 凸凹(でこぼこ)だらけの不整地だが、遠目で見渡すと非常に平坦に見える。

 より遠くには山、というよりは高台というべき形で地面が隆起しており、ほぼ垂直に切り立った岩肌は断崖絶壁という単語以上に適切な表現は無いように思える。


 その乾燥した大地に追い打ちをかけるかのように天気は快晴だ。

 高い位置に白い大きな雲の塊がある。空は網膜を突き抜けて行きそうな青色で、赤みがかった大地とのコントラストがくっきりと出ている。

 大自然にのみ()()る壮大で雄大な風景ではあったが、今の状況において、そういった感慨に浸るような余裕は無かった。

 認識すればするほど日常からかけ離れた風景に茫然とするとともに、彼は脳が考えるのを放棄し始めた事を感じていた。


(そうか‼︎これは夢だ、夢を見ているんだ。うん、そうに違いない‼︎)


 頼むからそうであってくれ。彼は無意識的にそう願っている。

 しかし同時に、夢の中では不可能なほどクリアに思考できる事にも、五感を通して入ってくる、認識できる情報が持つ密度と質量が、明らかに夢ではなく現実のものである事にも無意識下で気付いていた。



「ヴィータ‼︎そろそろだ、見えてくるぞ‼︎」


 突如として後ろから声が聞こえる。若い男の声だ。このスピードで走りながらでも聞こえるのだから、余程大きな声を出しているはずだ。

 その声に応えたのか、彼の前のやんちゃな先輩……ではなかった二人乗りのパートナーは、右手を挙げて、空中にくるりと小さく輪を描いて見せた。

 了解、の意味だろうか。もしそうなら何を了解したというのだろうか。


 何か嫌な予感がする。


 パートナーは手綱を少し短く握りなおしたかと思うと、いきなり恐竜のような生物の横腹に踵で蹴りを入れた。


 途端に加速する。


 慣性の法則で、彼の体は後ろに引っ張られるような感覚に(おちい)った。

 体に伝わる振動が、より暴力的なものへと変わる。

 今まで出ていたスピードにようやく慣れつつあった彼の心に、焦りと恨みがましい気持ちが湧いてくる。


「跳ぶぞ‼︎準備しろ‼︎盾を捨てて一列になれ‼︎」


 また後方から大声。その声につられて何とは無しに後ろを向く。

 その瞬間、彼の視界は不可解なものを捉えた。


 大声を出した二人乗りの一騎の後ろの、おそらくお仲間であろう三騎。それぞれが背負っていた木の板を体から外して地面に捨てている。

 だが、気になったのはその事ではなく、さらにその後方、追手の集団が何やら口々にわめきながら、騎乗している山羊のような動物の手綱を思い切り強く引いている事だ。


 見たところ追手たちはとても慌てているように見えるが、おそらく減速しようとしているのだろう。

 一騎が転倒した。

 それにもつれるようにもう一騎も。

 騎手ごと巻き込まれて投げ出され、もんどりうって派手な砂埃が上がる。


 それを見た瞬間、彼は嫌な予感が背中を電流のように走るのを感じた。


 慌てて前に向き直ると、嫌な予感が的中したことを悟る。彼らの進行方向、その先の地面が途切れている‼︎


(崖だ‼︎)


 理解した瞬間、嫌な汗が全身から吹き出す。

 加速したスピードそのままで、彼を乗せた生物は、何も無い虚空に向かって駆けていく。


(いやいや何考えてんだ‼︎落ちるって‼︎死ぬって‼︎このままだと崖から落ちて‼︎バカじゃないのか、こいつら‼︎)

 逃げきれないから自決するのか?そんな馬鹿な。理解できない。


(何で俺が巻き込まれなきゃならんのだ‼︎そうだ、このベルトを掴んでいる手を放してわざと落ちるか?いや、流石にこのスピードだと落ちたら命が……、いやでもこのままだと崖から落ちるから同じことだし‼︎)


 などと思考する一瞬でさらに虚空へと吸い寄せられる。

 もう間に合わない。

 もう遅い。


(嫌だ‼︎嫌だ‼︎死にたくない‼︎こんな、こんなところで……あああああああ‼︎)


 地面の切れ目に到達したその瞬間、彼の体は深く沈み込む。いや、沈んだのは彼を乗せている恐竜のような生物だ。

 そして、



 跳んだ。



(あああああああああああああああああああああああああ‼︎)


 恐竜のような謎の生物は、彼と、前に乗っているもう一人とを乗せたまま、大きく跳躍した。

 深く沈んだのは跳躍の予備動作だったようだが、それにしても二人も乗せている事をまるで感じさせない、とんでもないバネだ。



 地面から離れて、虚空に抱き留められる。

 この瞬間、彼の思考はほとんど停止している。

 死を意識した極限状態の中で研ぎ澄まされた集中力のためか、時間がゆっくりと流れていくような感覚。

 まるでスローモーションだ。

 不思議な事にまったく、何の音も聞こえない。無音の世界の中、重力に引かれて放物線を描きながら、彼らは落下していく。

 放物線の先と思われるところ、今の彼の座標より低く、遠い位置に地面がある。谷と向かい合わせになった崖の端だ。

 なるほど、あそこを目指して跳んだのか、と彼は思う。


 断崖絶壁と断崖絶壁に挟まれた谷の上を彼らは飛んでいた。……違う、跳んでいた。


 本当にあそこまで届くのだろうか。ふとそう思った彼は、気になって不意に下を見た。いや、見てしまった。


 断崖絶壁のその下は、吸い込まれそうなほど深かった。

 快晴の天気のためか、はるか下の谷底に川が流れる地面が見える。

 超高層ビルの屋上から下界を覗き込む感覚だ。高層ビルだとしたら何階建てだろう?彼が知るどんなビルの屋上よりも、いや、比べ物にならない高さだ。

 彼の耳の横を風が通り過ぎているのか、びゅうびゅうと音が鳴る。



 ふと目の前が白く霞んでいく。

 頭がぼうっとする。

 光が視界の端から中央へ、押し寄せるようにして侵蝕して行き……




 彼は気絶した。




※令和3年10月27日 修正、編集し直しました。

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