Section.20 Runner(6)
「俺としては、何も見なかったことにしてここから立ち去ってもらえれば、それが一番有り難いんだけどな」
権藤は、またいつもの、つまらなそうな口調に戻って言った。
「なあに、浜橋先生にも遥さんにも危害は加えませんよ。正直にこのまんまの状況を報告すれば、会長も無理してまで遥さんを手許に置いておきたいなんて言いはしません。そこまで惚けちゃいない。養い親に傷物にされた挙げ句自殺に追い込まれた可愛そうな女の子がいて、その人でなしの落とし前だけはつけてきた、ってことになれば、筋だって通る。第一、うちの兵隊も一人、殺られてるんでね。こいつばかりはどうしようもない」
「……どうしようもない、って……」
アイコが、呆然とした口調で言った。
「そんな理由で、人を殺していいの? 」
「いい訳、ないだろ! 」
小声だが、絞り出すように史郎が言う。
大島は、腰に手を当てて、権藤をにらみ返していた。
まるでいつもの柔らかい調子とは違う、妙に迫力のある背中を、聖やアイコたちに向けたまま。
「その方が浜橋先生や遥さんにとっても都合がいいですよ、きっと」
権藤が、珍しく長口上を垂れた。
「実際、自分の娘に母親と呼ばれるのが怖くて刺しちまったなんてことを思い出さずにすむ」
その間に、美春は、聖やアイコとは別のところを見ていた。
権藤の連れている、チンピラの数と、手許の様子。
「……おい、狼男」
美春は、史郎を肘でつついて、権藤から見えないように小声で聞いた。
「……なんだ」
史郎も、他の人間に聞こえないように答える。
「あいつら、ハジキとか持ってると思うか」
「思わない」
「なんでそう思う」
「あんな大人数の時にわざわざ違法物件持ち歩くバカはいない。普通に袋だたきにしたって人は殺せる」
「俺もそう思う」
美春は、低い声で言って小さく頷く。
「あんたと俺と、聖。三人でどのくらい凌げるかな」
「無茶言うなよ、あいつら本職だぜ。一対一でも奇襲か罠でもしかけなきゃ無理だ」
史郎が、美春を牽制するように言った。
「止めた方がいい。大体俺は上泉聖より弱いぜ、きっと」
「それに、理由もない、腹が立つ、以上の」
「その通りだ」
史郎は、初めて権藤たちからも分かるように美春に言って、肩を竦めた。
その瞬間。
へたり込んでいた雪奈が弾かれたように立ち上がり、言葉にならない叫びをあげて、いつも持ち歩いているナイフを太股のホルスターから引き抜き、権藤めがけて体ごと突っ込んでいった。
眼にも止まらない早業、とまではいかないが、虚を突かれた全員が動けなかった。
それは、権藤も例外ではなかった。
ずしん、と、鈍い衝撃。
一瞬、その場の空気が固まった。
ぐらりと揺れた権藤が、雪奈を蹴り飛ばした。
獣のような叫びを上げて、倒れた雪奈を、機械のように二度、三度、踏みつける。雪奈が悲鳴を上げながらナイフを握った手を振り回し、権藤の足から血しぶきが飛ぶ。
とても長い時間、のように思えた、僅か数秒。
アイコが喚き散らしながら飛び出して、崩れた空気投げで権藤を投げ飛ばした。
呆気にとられている後ろの一人もついでにひっくりがえして押さえ込む。
流石にそれを見ていた明和会の男たちが動き出し、アイコの短い髪を捕まえて、倒れた男から引きはがそうとする。
そのときにはもう、聖が動いていた。ジャングル・ブーツでアイコの髪を捕まえた男の顎をブーツで蹴り上げ、のけぞるところにもう一発、腹に蹴りを叩き込む。
あとは、乱戦が始まった。
その場の人間たちが、慌ただしく動き始める。
「あーあ」
「やっぱ、こうなるか」
史郎と美春は顔を見合わせて嘆息し、それでもすぐさま聖とアイコに駆け寄る。