Section.20 Runner(4)
皆山は、どこから話そうか迷っているようだったが、しばらくして顔をあげると、静かに、しかし、力の入った声で話し始めた。
「遥は、私の最初の妻、そしてそこにいる史郎の母でもある、新田麻耶の妹だ。大人しかった麻耶と違い、高校生のころから派手に遊び歩いていたがね」「俺が物心ついたときには、お袋ははもうこの世にはいなかった」
史郎が、妙に白けた声で言う。
「俺は新田の爺ちゃんたちに育ててもらった」
「すまなかったと思っている」
皆山は、史郎に頭を下げた。
「だが、このことは分かって欲しい。俺たちの周りにお前を置いておくのは、危険だった」
「明和会の会長の手が、伸びてきてたんですよね」
雪奈が、ぽつんと言った。
「遥さんを、連れ戻すために」
「……何故それを? 」
「……女のカン」
言ってから、ちろ、と舌を出す。淡いピンクの舌先。
「なんて、嘘ですよ。昔、権藤から聞いたことがあるんです。孝一郎さんの恋人は、会長のお気に入りだったって。それが遥さん、なんてとこじゃないですか?」
「会長にこの人を差し出すように迫られてた、ってか? 」
美春が、彫像のように動かない遥の顔をのぞき込みながら、言った。
「その通りだ。岸川は明和会の会長に、遥を差し出すように迫られていた」
皆山が二人の言葉を引き継いで、頷く。
「岸川はその頃まだ駆け出しで、この街を預けられるかどうかのボーダーラインだった。ちょうど、権藤って男と競争していた。岸川が会長に逆らえるはずがなかった」
「それでこの人を……」
一樹と聖が顔を見合わせ、美春と同じように遥の横顔に視線を集める。
「遥は、岸川のために自分から会長の元に行くと言ったそうだ。岸川はそれを聞いて、かえって遥を会長に差し出すことができなくなった。それで、岸川は私たち夫婦に相談を持ちかけてきた」
「……」
「岸川のところに堅気の姉が連れ戻しに来たので、やむを得ずに手放した。そういうことにして、堅気には手を出せない、と会長に言い訳をしたい、とね。私たちはそれを承知して、一旦遥を預かることにした」
「だけど、甘かった」
明和会の事情に多少は精通している雪奈が、ため息混じりに言う。
「そんなことで諦める会長じゃないし、隠しきれるもんでもない」
「……その通りだよ」
皆山は肩を竦め、大きく息をついた。
まるで片足を切り取られた痛みにでも耐えるように。
「遥を匿っていた私たちのアパートに、明和会の手の者がやってきた。彼らは、踏み込んでくるでもなく、一ヶ月近くも私と麻耶のアパートを遠巻きに見張っていた」
「うえ……」
その様子を想像してしまったらしいアイコが、身震いして自分の肩を抱いた。
「気持ち悪い……そういうの」
「ああ、麻耶もそう言っていた。平気だったのは遥くらいのものだ。この人は、」
皆山は愛おしげに、人形のように反応のない遥の髪を撫でた。
「脳天気というか、おおらかというか、怖れをを知らない人だったから。だが、危険は本当にすぐ近くまで迫っているような気がした。だから、私たちは新田の家に幼い史郎を預けることにした」
「……」
その場に居合わせた誰もが、言葉もなく立ちつくして、皆山の話に耳を傾けた。
「そのほんの数日後のことだ。仕事から帰った私は、麻耶も遥もいない部屋に、愕然とした。部屋は全く荒らされておらず、遥の荷物だけがきれいさっぱり無くなっていた。私は岸川に連絡し、必死で二人を捜した。しかし、」
皆山は、ここで、うう、と苦しそうにうめき声をあげた。
「見つかったのは、湖畔に打ち上げられた、麻耶の遺体だけだった」
「……よくある、話ね……」
雪奈が脱力したような声で、皆山の後をひきとって話す。
「自殺扱いになって、事件にもならない。で、遥の方は会長の手元に連れて行かれて、飽きるまで玩具にされてお役御免、てところか」
「……雪奈」
「つまんねえ話」
げし、と、雪奈は、遥の車椅子の車輪に、軽く蹴りを入れた。
「こんな水べりに庭なんか造ってんのも、そのせいなんだ」
「そのとおりだよ」
皆山が、嗄れた声で、うなだれたまま答える。
「岸川は、麻耶の打ち上げられた岸辺の家を買い、この屋敷を造った」
「……ここがお袋の墓、って訳だ」
あやうく俺の墓までできるところだったけど、と言いかけて史郎は口を噤む。
「岸川は」
皆山が、言葉を継いだ。
「甘い男だよ。遥に対する罪滅ぼし、のつもりだったんだろう。会長に捨てられた遥を拾って、連れて帰ってきた。そのときには遥は薬物中毒になっていたが、治療してなんとかもとに戻ったのも岸川のおかげだ。そして、岸川は私に遥の面倒を見るよう、頼んだ。自分は遥のためならなんでもするが、連れ添う資格がないから、と。」
「で、あんたは遥と再婚し、岸川の支援でバイクショップを立ち上げた。それがシルバーバレット、か」
史郎は頭の後ろで腕を組み、ため息混じりに言う。
「そこまでなら、まあ、悪い話じゃねえな」
「問題は、」
美春が、まるで検事のように冷徹に、言った。
「その後で、遥が摩耶を身籠もっていたってことだったんだな」
「それも、誰の子か分かりにくいタイミングで、か」
聖も、容赦ない言葉を投げつける。……「狼男」と、その親たちに。
「あんたと岸川は摩耶を取り合い、結局岸川が摩耶を取り上げて自分の子として育てた。あんたと遥は、摩耶たちから離れて暮らし、ようやくそこのお調子者をひきとるところまで来た」
「ああ……そうだ」
皆山は、わずかに史郎に顔を向けるような素振りを見せたが、結局また項垂れる。
「遥にとっても罪滅ぼしのつもりだったんだろうと思う」
「は……」
史郎は、欠伸でもするように息を吐いた。
「馬鹿馬鹿しい……」
「そこに突然、岸川摩耶がやってきた」
聖が、足で地面を踏みしめるようにしながら、言った。
「あたしの兄貴に……上泉久に連れられて」