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Section.19 天使のウィンク(1)

「……岸川は、ずっと明和会に睨まれてた」

 冗談みたいに包帯だらけの姿で病床に横たわったまま、雪奈は独り言のように口を開いた。

 ベッドサイドで雑誌を眺めていた美春は、静かに視線をあげて、雪奈を見る。

「少女売春とりしきってるのも確かに目障りだったみたいだけど、それだけじゃないと思う。潰そうと思えばいつでも潰せるのに、何か理由があって潰せない、そんな苛立ちを感じることが多かった」

「……人質でも取られてるような? 」

「そんな感じ」

 雪奈は、弱々しくため息をついた。

「あたしね、岸川のこと……孝一郎さんのこと、利用してただけのつもりだった」

「……」

「聖さんに認めてもらいたくて。そのために利用してるんだって。孝一郎さんと寝るのも世話するのもみんなそのためだって。あたしは馬鹿で弱虫だから、そうやって誤魔化してた。こんな貧相でしょぼくれた変態で中年の親父のことなんか本当はなんとも思ってないって。でも、そうじゃなかった」

「小諸、もういいよ」

 美春は、雑誌を閉じて椅子から立ち上がった。小さな冷蔵庫を開けてペットボトルの水を取り出し、プラスチックのコップに注いで雪奈に渡してやる。雪奈は自由になるほうの手でそれを受け取って一口飲み込む。

「あんたの性格はよく知ってるよ。口は悪いのに人がいいっていうか。あたしはあんまり好きじゃなかったけど」

「厳しいねえ、美春姉さんは」

 小さく笑うと、どこか傷に響いたらしく、雪奈は苦しそうに顔をしかめた。

「だいたい、岸川はあんたを裏切ったんだろ」

「……違うのよ」

「雪奈は、苦しそうな表情のまま、答える。

「あたし、孝一郎さんに愛されてたことが分かった」

「はあ? 」

 さすがの美春も、思いがけない雪奈の言葉に目を丸くした。

「なんだそりゃ」

「孝一郎さんは、あたしを自分で殺そうとした」

「……」

「あの臆病な人が。自分の手を一度も汚したことのない人が。あたしは知ってるんだ、孝一郎さんの弱さも汚さも。その弱い弱い孝一郎さんが、あたしだけは自分の手にかけようとした。まあ、結局殺しきれなくて柴田に頼んじゃうところも孝一郎さんだなあと思ったけど」

 雪奈は、不思議とおもしろがっているような口調だった。

 自分が殺されかけたというのに。

 美春は、急に雪奈が正体不明のエイリアンに変わったような気がして、思わず凝視する。

「あたしは馬鹿だなあと思う。自分でも。こんなひどい目にあって、痛い目にあって、親や友達に心配かけて。それでも、孝一郎さんの孤独や恐れが、とても愛おしく思える」

「……それは病気だよ」

 美春は、思わず口をついて出た言葉に、自分でびっくりした。

 雪奈は一瞬瞳を揺らした後、確信めいた表情に変わって、言った。

「そうかも知れない。きっと、DVにあっても別れない女なんだと思う、あたし。美春さんみたいなフェミニストの上にニューハーフの人には分からないかもしれないけど」

「ばーか、分かる訳ねえよ」

 美春は、あはは、とわざとらしく笑った。どう答えていいのか、心底分からなかった。

「あたしは、あたしの友達を殴る奴、傷つける奴、殺そうとする奴は許さない。それだけだ」

「……さすが、虎姫の親友」

 雪奈は、大きく息を吐いた。

「かなわないな」



「宮田はずっと見張らせていた。あんたに近づくようなら始末しろと命じてあった」

 岸川の呂律はかなり怪しくなっていた。

 立て続けにあおったスコッチがかなり効いてきたようだった。

「あんたがシルバーバレットで、遥の夫だと知られたら具合が悪いと思っていたからな」

 苦しそうな表情だったが、それが酔いのためなのかどうかは分からない。額には汗がだらだらと流れていた。

「あんたを巻き込んだら、遥が許さないだろうから」

「……死んだ人間に許されないからといって、生きている人間を殺したのか」

 皆山は、鋭い目をさらに眇めて、言った。

「俺がしゃべると思ったんじゃないのか、お前が摩耶にしたことを」

「そんなことはどうってことじゃない」

 岸川は、あははは、と、甲高い笑い声をたてた。

「俺が摩耶と寝たと知ったら会長は俺を生かしておかないだろうがね。だが、何の問題がある。仇敵の子、かつての恋人の子であったとしても、俺と摩耶は愛しあっていた」

「仮にも自分の子として育てた娘だぞ」

「摩耶も、そう言っていた」

 岸川は、皆山をにらみ返した。

 焦点があっているような、あっていないような視線。

「あいつは、俺を忘れるために上泉久を選んだ。禁じられた想いとひきかえられるだけの価値のある相手として」

「……何故そんな勝手なことを言う」

「勝手ではないさ……摩耶がそう言ったんだ」

 岸川の手からタンブラーが滑って、床に落ちた。ごつんと鈍い音がして、タンブラーが転がる。カーペットのせいで、割れもしない。

「摩耶の誕生日に食事をしたとき、摩耶がそう言った。父親とは結婚できないから、ひきかえにしてもお釣りのくるような奴と結婚するとね」

「じゃあ、何故見守ってやらなかったんだ」

「黙れ! 」

 岸川は、皆山の問いに急に声を荒げてテーブルに拳を叩きつけた。

 そのままテーブルに手をかけ、酒瓶ごとひっくり返す。

 しばらく鬼のような形相で皆山を睨みつけていた岸川は、急に脱力したように椅子に座り込み、両手で頭を抱えて背を丸くした。

「……遥が、言ったんだ……」

「……」

「自分が叶わなかった望みを、叶えてやってくれと……せめて摩耶の願いを叶えてやって欲しいと」

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