Section.18 鏡の中の人形(6)
「その後、摩耶は久に全部話をしたらしい」
「それがさっきの話につながるんだ……」
アイコは、ため息混じりに言った。
「久さんは全部を受け入れて、それでも摩耶さんを受け入れたんだね」
「……よく分かるな」
「分かるよ、さっきの話だもん」
アイコは、もう一度、大きなため息。目の前からお菓子を片づけられた子供のように急に不機嫌になる。さっきまでの、柔らかい気持ちはどこかに消し飛んでいた。
「嫌になる。全然似てないと思ってたのに、なんか鏡の中の自分を見てるみたい」
「……なんだそれは」
「摩耶さんは、岸川とは男女の関係になっちゃってたけど、久さんとはきっと最後まで何にもなかった」
アイコは、天を仰いだ。紺色の空に、星が光り始めていた。
「摩耶さんは、太陽に近づきたかったんだ。久さんっていう太陽に。それまでの自分を焼き尽くして、生まれ変わらせてくれると信じて」
あたしが、先生に近づきたかったように。アイコは、心の中で呟いた。
アイコは、史郎に膝枕をしてやりながら、実際には史郎との距離が全く近づいていないことに気づいてしまった。
アイコがどんなに近づこうとしても、史郎は夕日のように遠ざかっていく……。
こんなに近くにいるのに。
アイコの脳裏に、不意に一樹の顔が浮かんだ。アイコは自分でもわけがわからず、思わず、史郎の顔をのぞき込む。
史郎の、透明な瞳がアイコを見上げていた。目つきは悪いが、優しく包み込むような視線。
それは、アイコが望んだ視線ではなかったが。
「先生は、 摩耶さんが二人の板挟みになって自殺したって思ってるんですか? 」
アイコは、史郎を試すような気持ちで、訪ねた。
「それとも、久さんのいい人ぶりに耐えられなくなって死んだとでも? 」
史郎は、わずかに目を細めて、首を傾げた。
「……わからん」
「わかんないんですか」
何故か、アイコは急に悲しくなった。まるで自分が摩耶になってしまったような気分だった。
「摩耶さんは、そんなことで死んじゃうような人ですか? 」
思いがけない言葉が、自分の口から飛び出していた。
「先生の話の中の摩耶さんって、そんな弱い人には思えない」
「! 」
思いがけないアイコの言葉に、史郎は思わず目を見開いた。
真剣な表情の……真剣と言うよりは怒っているような表情の……アイコの顔。
鼻の頭が陽に焼けてほんの少し紅くなっているアイコの顔。
史郎がこれまで見たことのない顔。
「ずるい人なんだ、摩耶さん。弱さを武器にして。いつでも死んじゃいそうな危うさを武器にして。嘘じゃなく本当にいつでも死んじゃいそうなのに、何とかして生き延びようとして必死だったんだと思う」
「アイコ」
「その必死さが、あたしにはずっとなかった。だから、先生は摩耶さんのSDRをあたしに渡してくれたんでしょう? 」
「……」
史郎は、答えなかった。代わりに口を真一文字に結んで、目を閉じた。それから片頬をつりあげるようにして笑い、鋭い目を開ける。
それは、アイコの見慣れた、「先生」としての新田史郎の顔。
「ばーか」
史郎はアイコの膝から上半身を起こすと、こつん、と軽くアイコの額をつっついた。
「そんな難しいこと、考えてたわけないだろ」
「……」
「俺はただ、お前に牙を持たせたかったんだ。でも、どんな牙がいいか、分からなかった。だから、俺の妹の残した、ちっぽけな牙を贈った。それだけだ」
アイコは、しばし、睨みつけるように史郎を見た。
射るような、計るような視線。
そして、ようやく、史郎と自分の言葉が通じ合っていることを確信する。
「それが牙だと分かってる、ってことは、先生も分かってる、ってことでしょう」
アイコは、ひとつひとつ、確認するように言葉を絞り出す。
「摩耶さんは、決して自分で自分の命を絶ったりするようなことはしない。崖っぷちから落ちて死なないために必死で刃を研いでた人が、そんな簡単に力尽きる訳がない」