Section.18 鏡の中の人形(3)
「その遺書に書かれていたことは、支離滅裂だったよ」
足首を痛めた右足をだらんと前に投げ出した史郎は、アイコに渡されたペットボトルの緑茶をぐびぐびと飲み下して、言った。
「大半はオヤジと岸川のオヤジへの恨み言。あとはなんだか日記みたいな感じで、上泉久のことばかり」
土の上に座って膝枕に史郎の頭をのせたアイコが、覗き込むようにして尋ねる。
「先生のことは? 」
「俺のことは一行だけ」
ははは、と史郎は笑った。
「知らないとはいえ実の妹に色目使ってキモイ、だってさ 」
「ひどい 」
アイコは真面目に憤慨した。
草の匂いが鼻をつく木陰。傍らには、VFRとSDRが並んで停まっている。
史郎を負いかけて岸川の屋敷に向かっていたアイコと、岸川の屋敷からなんとか逃げだしてきた史郎は、途中ですれ違い、合流することに成功していた。
史郎が岸川の屋敷を脱出するときに足首を痛めていたので、二人はとりあえず岸川の追手が目をつけなさそうな河川敷に乗り入れて身を潜めた。アイコが自動販売機からペットボトルを仕入れてきた。一本を痛めた足首にハンカチで縛りつけて冷やすために使った。
もう、陽が落ちかけていた。
「岸川に対するアイツの気持ち、久に対するアイツの気持ちに比べれば、俺の岡愡れなんか大したことじゃなかったのさ」
史郎は、あっさりとそう言って、アイコの頭を撫でた。不自然な態勢。
「摩耶は、どっちも本気だった 」
「久さんだけじゃなく、岸川にも? 」
「あいつ、実はファザコンでもあったらしい」
史郎は、つまらなさそうに唇を尖らせる。
「ずっと、パパのお嫁さんになるのが夢だったんだと。でも、流石に実の親じゃしょうがないって諦めてたらしい」
「……気持ち悪」
アイコが、正直な感想を言った。自分と父親の関係を考える。男としての父親、なんて、考えてみたこともなかった。
「ていうか、父親とか兄貴に色目使うって、どういう感性? 」
「痛てて。それは俺に対する攻撃か」
べえ、とアイコは舌を出し、少し意地悪な笑みを浮かべて答える。
「さあね」
「まあ、子供の頃の思い出だって、遺書には書いてあった。摩耶も流石に父親とは付き合えないと思ってたんだろうけどな」
「それで、上泉久とつき合い始めた?」
アイコは、意地悪な笑みを浮かべたまま言葉をつないで、首を傾げる。
「一樹さんとか聖さんがさ、いうんだよ。久さんは、完璧だったって。スゴイひとだったって」「摩耶がどうやって久を捕まえたのか、不思議に思うだろ」
史郎は微妙な笑顔を浮かべた。悲しそうにも、誇らしげにも見える微笑。
「ところが、事実はもっと不思議。摩耶が久をおとしたんじゃなく、久が摩耶に惚れたのさ」