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Section.18 鏡の中の人形(2)

 摩耶の第一印象は、良くなかった。顔立ちは整っているし、色も白い。髪はつやつやと黒く、奇麗に切りそろえられている。

 それでも、どうしようもなく陰鬱なイメージの女だった。

 夜道で出会ったら、幽霊と見間違えそうな感じ。それも、強烈に祟るというより、じわじわと弱々しく、それでいていつまでも取り憑かれそうな幽霊。

 岸川摩耶を連れてきたのは上泉久という男だった。

 屈託のない笑顔を浮かべる、陽に良く焼けた好青年・上泉久は、史郎が店を手伝いはじめるより以前からの客で、史郎も割によく知っていた。地元の大学生で、非のうちどころの内ない「いい奴」である。

 あまりにも、摩耶とはアンバランスだった。

 快活に話す久と違って、最初摩耶は一言も口をきかなかった。

 そんな摩耶と史郎が親しくなったのは、摩耶が傷だらけで抱きついてきたからだった。摩耶は岸川に乱暴されたといい、久にバレたら死ぬ、と言って泣きついてきた。そんな摩耶の面倒を見ているうちに、史郎はいつしか摩耶を愛おしく感じるようになっていた。

 今にして思えば、それは恋などではなかった。

 摩耶が妹だったから、だった。

 史郎はそのことを、摩耶が死ぬまで知らなかった。

 摩耶が傷だらけで現われたのを知ってすぐ、義母の遥は浜橋の家を出て行方不明になった。父は、寂しそうだったが、警察に捜索願を出そうともしなかった。それは多分、遥の失踪の理由を知っていたからだろう。

 かつて、自分をつけ回していた岸川に、遥は身代わりに摩耶を差し出したのだ。生贄に捧げた子がせめて幸せなら、遥も逃げ出さずに済んだだろう。

 だが、現実には、摩耶は不幸だった。不幸な生い立ちが、摩耶の全身に染みこんで、陰鬱な、湿気たような空気になって彼女の回りに淀んでいた。

 遥は絶望して逃げ出したのだろう、と思う。

 久は多分、そんな摩耶を、持ち前のお節介さで「救おう」としていたのだろう。それが彼女を傷つけたのだろうと、史郎は思う。

 摩耶は、史郎のVFRのタンデムシートに乗り、史郎にきつく抱きつきながら、言ったことがある。

「あたし、久のことが、本当はだいきらい」

「? 」

「あの人は、真夏の太陽みたいに明るくて正しくて無遠慮で。勝手にあたしのこと不幸だとか決めつけて、勝手に助けに来て。あの人の周りの人は、みんなあたしと久がつきあってると思ってる。あたしが久にぞっこんだって思ってる。おっかしいの」

「……違うのか? お前、わざわざあいつと同じショップにSDR持ってきたり、あいつにすごく気をつかったりしてなかったか? 」

「……」

 摩耶は、それきり黙り込んだ。

 数日後、摩耶と史郎は例の滝を見に行った。

 史郎は摩耶のSDRの慣らしがてら。摩耶は、レースのワンピースというおよそ似つかわしくない格好でスクーターに乗って。

 二人は、谷の向こうに大きな滝が見える、崖っぷちでバイクを降りた。使い捨てカメラを持っていた摩耶がせがむので、史郎は仕方なく写真をとってやった。摩耶は陰気な微笑を浮かべてポーズをとる。

「Подарок с любовью.」

「はあ? 」

 摩耶の発した意味不明な言葉に首をかしげながら、史郎は使い捨てカメラを摩耶に放り投げる。

「久に、愛を込めてプレゼントする。この写真」

 危なっかしい手つきで受け止めながら、摩耶は答えた。

「太陽に当たると死ぬって病気、知ってる? 」

「なんか昔、テレビでみたな」

「あたしは、それと同じ。久っていう太陽に焼かれて死にかけてる」

「なんだそれ」

「出会わなければ良かったのに。久みたいな人と出会わなければ良かったのに。久がそばにいるとあたしは焼かれて死ぬのに、それでも、久のそばにいたいと思ってしまう」

 なんだ、結局ベタ惚れなんじゃないか、と史郎は思う。

「あたしはそれがものすごく腹立たしい」

「無茶苦茶だな」

「久の太陽を曇らせたい。翳らせたい。あたしみたいな、太陽に焼かれると死んじゃう奴だっていることを分からせたい」

 言いながら、摩耶は史郎と立ち位置を入れ替え、史郎の写真を撮った。それは妙にはしゃいでいるようでもあり、それでいてひどく捨て鉢なようでもあった。

「……あたし、免許とったら、ひさしとここに来るんだ」

 摩耶は、笑って言った。

「タンデムじゃなく、遅れながらでも自力で走って。それが、久へのあたしの復讐」

「物騒だな」

「そうね」

 ふと、摩耶は表情を曇らせて、付け足すように言った。

「史郎さん、今日話したことは、久には絶対話さないでね」

 急に、摩耶が遠くなったような気がした。

 摩耶の表情は、いつもの日本人形のような虚ろなものに変わっていた。

 それきり、摩耶は黙り込んだ。峠を降りても、摩耶は一言も喋らなかった。シルバーバレットの店に戻り、二人でバイクを降りて、缶コーヒーを黙って飲んだ。

 味について、史郎は覚えていない。

 摩耶は空き缶をパンプスで蹴り飛ばすと、小さな声で「さよなら」と呟いて、それきり史郎の方を振り返りもしないで、スクーターに乗って去っていった。

 それから、摩耶がシルバーバレットに現われることは、二度と無かった。

 翌日、史郎は峠道で久のGSX−Rをぶっちぎった。

 それから半月ほどして、史郎は父から、摩耶が自殺したこと、遺書が残されていたことを聞いた。史郎は、シルバーバレット宛に届けられた、摩耶の長い遺書を読む羽目になった。


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