Section.17 夜明けの、ミュウ。(2)
聖が目を覚ましてみると、そこは白い壁に囲まれた部屋だった。
消毒液の匂い、いろいろな薬の匂い、病院独特の匂い。
天井は最近はやりの間接照明、夜なのか昼なのか、日光は感じない。
聖は、夢でも見ているような感覚で、しばらく呆然と天井を見上げていた。
それからふと周囲を見回して、自分の顔を覗き込んでいる、見慣れた顔と目が合った。
少し怒っているような、拗ねているような表情。うっとおしい茶色い髪。どこかしら童顔な印象のある、北原一樹の顔。
「……あれ」
「あれ、じゃねえよ」
一樹は唇を尖らせた。ふう、と安心したように肩の力を抜き、改めて腕を組む。いつもの、草臥れたスーツ。
「意識戻らないから、心配したじゃないですか」
「そう……? 」
「あ、まだ起きないほうがいい」
上半身を起こそうとする聖をやんわりと押しとどめる。聖の腕には、まだ点滴の針が刺さっていた。点滴のパックは、生理的食塩水のようだった。聖は自分の身体を少し動かそうとして、右足がギブスで固められていることに気付く。
「あちゃー、せっかくライン鍛えてたのに台無しだ……」
「贅沢言わないでください。あんだけの事故で、足一本で済んでるんですから」
一樹は、呆れたように言った。
「……ここは? 」
「赤十字病院ですよ」
聖の問いに、一樹が病室を見回して答えた。狭い個室だが、新しくて清潔な印象。
「救急車で運ばれたんです。幸い、怪我は足の骨折くらいだった。最初は集中治療室行きかとか大騒ぎだったそうですけど。ただ、目を覚まさないんで先生も心配してました……あ、そうだ」
一樹はベッドサイドのインターホンをとって、ナースセンターを呼び出し、聖が目を覚ましたことを告げた。間もなくナースが何人かと若い医師がやってきて、いろいろ話をしたり脈を診たりした。
医師はとりあえず心配はなさそうだと聖に告げた。その間に一樹はナースから入院手続きの説明を聞き、それから、警察が事情聴取に来る時間を告げられた。
一樹は、医師の説明が気になって仕方がないようだったが、とりあえず生命の危機はないという話に安心したようだった。
ひと通り医師と話している間に、聖は現状を大体理解したようだった。
岸川の屋敷に向かおうとしていたこと。アイコに横切られて頭に来たこと。無理に追いかけようとして自爆したこと。
「GSX−Rは? 」
「大島さんが引き上げさせたそうです」
「そうか。下手くそライダーのおかげでひどい目に遭わせたな」
聖は溜め息をついて、一樹を肘でこづいた。
「一樹、煙草」
「ここは禁煙です」
一樹はべー、と舌を出した。聖は頬を膨らませたが、どうしようもない。
「雪奈みたいに怪しい病院いかなくてすんだのは、運が良かったのかも知れないけど。それなりに不便だな」
「まあ、あっちなら煙草吸えたでしょうけど……って、予土さんに怒られますよ」
そこまで話したところで、一樹は急に口ごもった。耐えかねたように前のめりになり、目頭を押さえて小さく肩を震わせる。
「……一樹? 」
「良かった……心配しましたよ、本気で」
「……」
「アイコから電話かかってきた時は、どうしようかと思った。アイツが思ったより落ち着いてたから、なんとかパニくらなくて済みましたけど」
「そうか……」
聖は、小さくしゃくりあげる一樹から一旦目を逸らして、天井を見上げた。
「アイコに、みっともない姿見せちゃったな……イメージ崩壊だね」
「聖さん……」
聖は、点滴の針が刺さったままの手を伸ばして、一樹の右手の袖を掴んだ。一樹は、少し驚いたように身体を起こし、目を見開いて聖を見る。
聖は、驚くほど真面目な顔で、言った。
「ありがとう」
「……」
「もうしばらく、側にいて欲しいんだけど、仕事は大丈夫? 」
「え……」
一樹は、一瞬何を言われたのか分からない、という顔をした。それから、少しずつ理解したように、柔らかく笑った。
聖も、穏やかな笑顔で、一樹を見つめ返した。
「……うん、素直な聖さん、珍しい」
病室に入りかけて、空気を読んだようにドアの外で足を止めたミサキは、果物籠を抱えたリョータと顔を見合わせて笑った。
「……でも、アイコはどこいったんだろう」




