Section.16 ダイヤモンド。(4)
岸川は、病的なまでに規則正しい生活を送っていた。
時計を見なくても、ほとんど何の狂いもなく定刻に起き、定刻に朝食を摂り、定刻に着替えて定刻に出社する。
いかにも嘘っぽい営業用の微笑を貼り付けているから一見温厚そうに見えるが、眼鏡の奥の冷ややかな目つきと同様に、機械のように冷徹に、一日のスケジュールをこなす男だった。
月曜日だけは、九時から十一時まで自宅で非公式の来客に応対し、十二時三十分に運転手に家の前にリンカーンを付けさせて出勤するのが通例だった。
その日、岸川は少し違和感を感じながら、朝目覚めた。
本来なら、岸川の目覚める頃までに朝食が用意されているはずだった。他の日はシリアルとフルーツ、コーヒーだが、月曜日は昼食を摂らないので、英国式にボリュームのあるものを用意させることにしていた。
その日に限って、朝食が用意されていなかった。
厳しく注意しておかなければ、と思いながら、岸川は冷蔵庫を開け、買い置きのチーズとクラッカーで簡単に朝食を済ませた。コーヒーミルの置き場所がわからないので、電子レンジでミルクを沸かし、歳暮か何かの箱に入っていたインスタント・コーヒーを突っ込んで不味いカフェオレを造って飲み干した。
口の中を少し火傷する。
月曜日の午前中は、重要な商談、表に出せない仕事の時間である。
今日は、某政治家の後援会長との面談、選挙資金の出資プラス、対立陣営への工作。そろそろ潮時なので始末しようと考えていた裏の事業のひとつが、そのために使えそうだった。
「本来なら、昨晩で使い物にならなくなっていたはずのマンションがあるんですが。そこであっちの選対本部長が援助交際相手と無理心中、なんてのもいいかもしれませんね」
「それじゃ、岸川さんにも累が及ぶのでは? 」
「私はあそこをレンタル・ルームとして貸していたのに、事件を起こされて迷惑している被害者、の線で準備しておきます。大丈夫、女の方から足がつくことはありませんよ」
「いずれにせよ、私たちは貴方に何も頼んでいないし、あなたも何も聞いていない、ということでよろしいな」
そんなやくたいもないやりとりを、岸川は自ら記録にとる。それもいつもの通りだった。
ただひとつ、役立たずの裏切り者を傍らに従えていないことを除けば。
月曜の午前中、この来客の時間に、ここ数年ずっと、小諸雪奈を同席させていた。意味もなく隣に座らせていただけだが。見栄えのいい女を座らせているだけで、客の反応がいろいろに分かれるものだ。
今日は、その、雪奈の姿がない。
岸川は、朝から少し違和感を感じていたが、その原因が雪奈の不在のせいだと気づくまで、少し時間がかかった。自分で殺しかけたのだが、岸川はそのことをすっかり失念していた。最初は、雪奈が時間になっても姿を見せないことに腹をたてたくらいである。何より、大切な朝食が準備されていないではないか。
仕事の話が例のマンションに及んだところで、岸川は自分のやったことを思い出し、軽く舌打ちした。
雪奈を壊してしまったせいで、今日は来客のために宅配のコーヒーポットを用意する羽目になった。最近出来たチェーン店のコーヒーは、濃すぎて胃の弱い岸川には合わなかった。