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Section.15 Yah−yah−yah!(3)

 大島を送るかわりにケルンの鍵を受けとった聖は、ケルンで仮眠をとることにした。アイコが帰ってくるかもしれなかったし、ひょっとすると、それでも、一樹が戻ってくるかもしれなかった。聖は、そのどちらもないだろうと心の底では思いながら、自宅に立ち寄って必要そうな装備をトランスポーターに積み込むと、ケルンに向かった。

 結局、本当の家はこの古びた汚い木造の喫茶店しかないのかも知れなかった。中学時代、よく家出をしては転がり込んでいたし、高校の時は大島の留守を狙って美春と二人でしけこんだりもしていた。大島は、多分知っていたのだろうが、何も言わなかった。それが良かったのか悪かったのか、聖には分からないが。

 その頃聖は、美春のことを本当に愛していると思い込んでいたが、それは勘違いだったようだ。美春自身も、その時は自分のことがよく分かっていなかったのだろう。美春の聖への感情はむしろ「親友」へのものだったので、聖が強く求めれば、それを差し出すことはあっても、美春が聖を求めることはなかった。

 そのことに気付く程度には繊細だった聖はひどく傷ついた。

 それで、美春を刺した。本気で殺すつもりだった。美春は黙って刺されるつもりだったらしいが、聖の方の手許が狂った。

 聖のナイフは聖の右腕を貫いた。

 美春はそれでボクシングを辞めた。

 辞めて良かった、と、美春は言う。刺される前から、ずっと辞めたかったのだと。

 それから、美春は女になった。ついでに、聖の親友になった。

 美春は高校を卒業すると、家を出て、しばらくはケルンで店長をやっていた。その頃、大島はバイクショップの方にかかりきりで、ケルンは開店休業状態だったから、ちょうど良かったらしい。

 東京の短大に進学した聖は、帰郷する度にケルンに滞在し、実家にはほとんど寄りつかなかった。

 むしろ、聖にとってはこの古ぼけた喫茶店が実家のようなものだった。

 ケルンまでたどり着いた時には、もう陽が昇り始めていた。

 車を置いて店に入った聖は、アイコのねぐらになっている奥の部屋に転がり込んだ。

 万年床状態になっている布団が、むしろ有難かった。

 聖は布団に潜り込むと、目を閉じて、顔まで掛け布団を引っ被った。

 ひどく疲れていた。湿っぽい布団は、なんだか乳臭い気がした。

 ……多分、アイコの匂い。

 聖は溜め息をつき、唇を噛む。

 ……あいつくらいの頃からやり直せれば。

 そんな後悔じみた気持ちに、吐き気をもよおす。

 ……そうすれば、噛みつく相手を間違えたりしないのに。


「これ、着けとけ」

 川の水で顔を洗ってごしごしとタオルで顔をこすり、小さくノビをしていたアイコに、史郎がそう言ってボストンバッグを投げてよこした。

 アイコは地面からバッグを拾い、中身をあらためてみる。

 ごろごろと、黒い樹脂製のプロテクターが詰まっていた。

「プロテクター? 」

「ああ」

 史郎は、肩をすくめる。

「俺もつけてる。バトルスーツってわけにはいかないが、ないよりはマシだ」

「転ぶの前提? 」

 アイコが、顔をしかめた。

「しょうがねえだろ、場合によっちゃお前に虎姫を止めてもらわなきゃいけないからな」

「それは無理っぽい」

 あはは、と苦笑い。

「あたしじゃとても聖さんには歯が立たないよ」

「それはどうかな」

 史郎は意味あり気に目を細めて、腕を組む。

 アイコは、プロテクターを一つとりだし、肩に当ててみながら、ふと真顔になった。

「……先生」

「なんだ? 」

「本当に、聖さんのためになる? 」

 アイコは、色素の薄い瞳で、史郎を凝視していた。

「聖さんを止めることは、本当に聖さんのためになる? 」

「さあな」

 吊り上がった目を細めて、史郎が答える。

「俺はそう思ってるが、本当のところはわからん」

「……」

「とにかく、今、上泉聖が岸川のところに行くのは止めたい。いずれ、俺から本当のことを話すにしても」

「聖さんと話しあってからじゃ、遅い? 」

「多分な」

 口ごもるように答えて、黒いハイネックの、新素材でできたアンダーウェアにショルダー・ホルスターをひっかけ、慣れた手つきで使い込まれたプロテクターを身に付ける。

 ジャック・ウルフスキンのオレンジのマウンテン・ジャケットとオーバーパンツをその上から被れば、それは、アイコがパスケースに入れて持ち歩いている姿の史郎。……狼男。

 史郎はブーツの紐を締めなおし、ウェスト・バッグをマウンテン・ジャケットの下に固定する。

「あんまり深入りしないように、警告しに行ったんだけどな。上泉聖のところには」

 言いながら、ごそごそとウェスト・バッグを探り、妙にかさばる毛の塊みたいなものを引っ張り出した。

「なに、それ」

「これかー」

 不審そうに首を傾げるアイコに、史郎はそれを頭からすっぽり被って見せる。

 出来の悪い、狼男のマスク。

 アイコは一瞬呆気にとられ、それから、我慢できずに吹き出す。

「ぎゃはははは! 何それー! 」

「おかしいか? 」

「おかしいよー! 何でゴリラ? 」

「ゴリラじゃねえよ、狼男だ」

「どこがー! 」

 アイコは、たまりかねて腹を抱え、地面にうずくまる。

「……やっばい、お腹痛え」

「そこまで笑うなよ……上泉聖は真面目に驚いてたぜ」

「……何でそんな格好? 」

 涙まで滲ませながら笑いころげるアイコに、史郎はばつが悪そうにそっぽを向いて、言った。

「……あいつらが、狼男、とか呼んでるらしいから、つい……」

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