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Section.15 Yah−yah−yah!(2)

 予土の父はこのまましばらく入院することを勧めたが、雪奈はそれを断り、また、父と戻ることも断った。小諸は淋しそうだったが、雪奈は、父にこれ以上迷惑はかけられない、と言ってきっぱり拒絶した。小諸も、無理に雪奈を連れ戻そうとはしなかった。

「でも、お願いがある」

 雪奈は、すごすごと立ち去る父の背中に、甘えるように言った。

「ニーヴェの、いちごのドルチェ。あれが、食べたい」

 それは、もう小諸の店のメニューには載っていない品物だった。

「お前だけしか、美味いと言った客がいなかったあれか」

「そう、あれ。いっぱい食べたい」

「わかった」

 そう言って、小諸は雪奈に背を向けると、よろめきながら、振り返らずに医院を出ていった。

 小諸が見えなくなった途端、雪奈は体中の力が抜けたようによろめき、予土があわてて支えなければならなくなった。呼吸が荒くなり、意識がまた朦朧としかけているのが、傍目にも明らかだった。予土と予土の父は両脇から抱えるようにして、奥の病室に雪奈をひきずっていく。

「親爺さんにまで意地を張ってどうするんだ」

 予土が、あきれたように言った。

「あんた、まだ動き回れるような状態じゃない! 鎮痛剤追加してやるから、おとなしく寝ておれ! 」

 予土がそのまま年齢を重ねたような見た目の、小柄な白衣の院長は、雪奈を叱咤する。

「うるっせえ……あたしだって、これ以上オヤジ泣かしたくないんだよ……」

 力なく悪態をつく唇は、紫色がかっていた。

 美春はやれやれ、と肩をすくめて三人のあとを追いかける。途中で、フィギュアスケートのように動きながらくるりと聖の方を振り返り、大島をちらりと見て、言った。

「あたし、今日は雪奈たちについてるよ。まだ、何があるか分からないからね」

「ごめん、ありがとう……」

「お前、店は? 」

 大島が、少し心配そうに、尋ねる。美春はくく、と笑って背を向けながら、答えた。

「大丈夫、うちのスタッフは結構しっかりしてるから」

「そうか」

「それより、聖のこと、頼みます」

「とりあえず、ケルンに行ってる」

 大島が答えるより先に、聖が言った。

「アイコが帰ってくるかもしれないし」

「一樹は帰ってこないと思うよ」

 美春は目を眇めて、首をねじって聖を見た。うつむいている聖の顔は、美春には見えない。聖は、うつむいたまま、明るい声で言った。

「わかってる」

 少し、語尾が震えていた。

「一樹は、一度も本当にあたしの側にいたことはないんだから。帰るも帰らないもない」

「あーあ」

 美春は、わざと大声で言った。

「虎姫も普通の恋愛脳だわねえ」

 あはは、と乾いた笑い。ヒールの音をかつかつと鳴らしながら、美春は先に行ってしまった予土親子と雪奈を追って、診療所の奥に消えていった。

 聖は、無言で右の拳を思い切り診療所の壁に叩きつけた。

 派手な音がするが、いくらなんでもコンクリートの壁がびくともするはずもない。

 聖は、前かがみになり、右の拳を抱え込みながら、うめいた。

「いってえ……」

「物に当たるなら壊れるものにしろ。拳が壊れたら走ることもできなくなる」

 大島は、呆れたように言う。

「お前らしいといえばお前らしいがな」

「そうでしょうとも……あたしはいっつも、肝心のところで間違えてきたから」

 聖は、拗ねたように唇を尖らせて、大島を見る。

「でも、今度こそ、間違えない」

 その声は、さっきと違って、震えてはいなかった。

 大島は、聖の顔を正面から見た。

 いつもの、根拠のわからない自信にあふれているような不敵な眼差しと、視線がぶつかった。聖は、拳の痛みで我に返ったように、小さく笑った。少し頬を紅潮させてはいるが、それを除けば、いつもの上泉聖。みんなの暴君、虎姫様。

 大島は、ほっとしたように肩の力を抜いて、それから、聞き返した。

「……で、これからどうする」

「とりあえず、狼男とアイコは放っておく」

 聖は、きっぱりとした口調で言った。

「岸川に会って、話をつける」

「話をつけるって、お前……」

「とにかく、雪奈やあたしの仲間に、もう手出しはさせない。兄貴や狼男のことを探られたくないというなら、あたしはそれを諦めてもいい。本当に殺されたんなら、宮田さんには悪いけど。警察にも行かない」

「……」

「少なくとも、岸川には雪奈に詫びを入れてもらう」

「あいつがそんなこと、聞き入れると思うか? 」

「駄目なら権藤さんに洗いざらい、雪奈の知ってることを伝えて岸川を潰させる」

「この街が戦場みたいになるぞ」

「少なくともあたしはここにいられなくなるでしょうね、そうなれば」

 聖は、鼻歌でも歌いだしそうな口調で、楽しんでいるかのように言う。

「地方の都市じゃ、いろいろな人の利害関係が、微妙なバランスの上に乗っかってる。あたしたちの『マインドトラベル』だって、広告主が手をひけばあっという間に廃刊。大島さんみたいな地主さんはかなり防御力高いだろうけど、それにしたって土建屋さんやら議員さんたちとの駆け引きでどうなるか分からない」

「……知ってたのか……」

「これでも一応情報産業ですからね」

 一見気楽な趣味人に見える大島が、国会議員やら県知事やらの有力なパトロンの一人であることは、地元財界・政界では公然の秘密だった。聖は、雑誌づくりを通じて、地方都市の権力構造を熟知していた。その中で岸川がどういう地位を占め、どの程度の力を持っているのかも。

「それも駄目なら、岸川が雪奈に詫びをいれるまで、あたしがぶん殴ります」

「聖、お前……」

「虎を怒らせるとどうなるか。絶対分からせてやります」

 聖の目は、笑っていなかった。不敵な自信と、冷たく青い怒りの炎。

 大島は思わず身震いする。聖は、酷薄にさえ見える微笑を浮かべていた。

「兄貴のことも、一樹のことも、もう、どうでもいい……ただ、むかついて、むかついて、むかついて……」

 聖は、もう一度、病院の壁に拳を叩きつけた。

「むかついて、しょうがないんですよ」

 がたん。

 壁は壊れなかったが、壁に掛かっていた額が、取り付け用の釘ごと外れて床に落ち、バラバラに分解してしまった。

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